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本日この記事で通算300記事目の投稿になります。

ありがとうございます!

今年はとりあえず100記事を目標にしていたので、それを今日で達成できました。
2021年6月8日からnoteを始め、途中2回の休みをはさみながらここまできました。
そしてもうすぐnoteで書き始めて1年が経とうとしているなんて感慨深いです。

一つ一つの記事を辿ると、あの日あの時自分が何を考え、どんなことで悩んだり喜んでいたかを振り返ることができます。

そういう意味で毎日書くというのは、すごく私には意味があることだなぁと思います。

私にとってもはやnoteは日常の一部となっています。

もう少し熟考してアップすればいいのですが(そういう記事もあるにはあるんですけど)、その時感じたことをすぐ文字にしたい!という時もあります。


先日「ギョエッ!そうなの??!」と思ったことがありました。

結構な人が文章を書くためにスクールに行ったり、勉強をしているということを…。

ひゃ〜、そうなんだ〜…。

「わ、私もそういうの通った方がいいですかね???」と尋ねると、もう書けている(つまりゼロからのスタートではない)から必要ないよーと即答されました。

そういうスクールに行く人は、0からスタートして1になるためにとか、書くことを仕事にしたい人なのだと。ほー、そうなのかと目からウロコでした。ということで私は素人なのでこれくらいでよいのです。

しかし私はちょっと考えました。
素人の私がなぜ毎日文章を書けるのかを。

私は看護師として長くお仕事をしてきたわけなのですが、看護師って毎日が記録なんですよ。

今はどうか知りませんが、昔はSOAPソープという看護記録が一般的でした。
看護問題を優先順位で【#】シャープをつけて、そのシャープに対し一つ一つ看護記録を展開していく。

S)主観的データ(ex:患者さんや家族の言葉)
O)客観的データ(ex:血液データ、食事量、顔色など)
A)アセスメント(上記を踏まえての評価)
P)プラン(次の看護をどうするか)

ということをひたすら毎日書くのです。しかも昔は手書きです。

看護師は交代制の勤務なので、次の勤務者が患者さんのことをわかるように書かなければならない。
そして何かアクシデントや急変などが発生した時に、どんな経過を辿ったのかがわかり、かつ看護記録は私たちを守るものでもあるので、しっかり書かないといけません。

なので患者さんが言ったこと、自分が見てきたことをまとめて、アセスメントし、次につなげる。

それを20年以上やっているわけですから、日常の何気ない言葉、事柄に関心を向けて文章を書くことが染みついていると私なりに思いました。看護師みんながそうではないですけど、たまたま私がそうなのです。

そんなことを考えてたら、私がお姉さんナースとして関わっていた後輩から昔もらったLINEメッセージを偶然見つけました。

彼女はこのnoteを読んでくれたようで、

「zoéさんの看護記録は忙しくても眼が止まって読んでしまうものが多く、noteも同じく引き込まれるものがありました。」とメッセージをくれました。

お世辞が9割だとしても、数年一緒に仕事をして私の看護記録を毎日読んでくれていた子の言葉だったので、すごく嬉しかったです。

というわけで私がnoteを書き続けられるのは「昔取った杵柄」というわけです。

これからも中身の薄い文章を懲りずに書いていければいいなと思っています。

そして改めて、いつも読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。

皆さんがいるからこそ、また私は書き続けられるのです。

今年のシーズン1はあと1週間ほどで一度終了する予定です。再開はたぶん6月ですが、それまでどうぞお付き合いくださいね。

それでは素敵な週末をお過ごしください。



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