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【過去記事発掘】テリー・ボジオ:ドラムで宇宙を表現する真摯な音楽家の姿を見た!@ビルボードライブ東京

以下の文章は2016年1月に某サイトに掲載するために書いた記事です。そのサイトにはまだ載っているようですが、筆者が退職した後もシレっとSEO対策で載せっぱなしになっている死んだ記事になっているのが許せないのでここにサルベージいたします。暇つぶしにどうぞ。

 ドラム界、三賢人の一人、テリー・ボジオ。
(ほかの2人はあなたの好きなドラマーの名前を適当にぶっこんでください。)

 1975年、フランク・ザッパのバンドに加入し、数々のアルバムに参加。時には共作者に名を連ねるなど八面六臂の活躍ぶりを見せ、「ザ・ブラック・ページ」を始めとする強烈なインパクトを誇る超絶プレイ、「おっぱいとビール」などの珍パフォーマンスで70年代後半のザッパ黄金期を支えた。ザッパのもとを離れてからも、UK、ミッシング・パーソンズに参加。ジェフ・ベックや同じザッパ門下のスティーヴ・ヴァイなど数多のミュージシャンと共演。現在、還暦を過ぎてもなお活動は益々盛ん、昨年末には65歳になるという年齢すらも超越しつつある、まさに驚異のドラマーである。

 テリー・ボジオが、昨年より日本全国津々浦々を回るツアーを行っていた。自身のキャリアの現在を総括した「テリー・ボジオ/ザ・コンポーザーシリーズ」CDボックスセット(ワード・レコーズ)のリリースを祝福して行われたものだが、そのクライマックスとなるビルボードライブ東京公演を観覧する機会に恵まれた。

 2016年1月4日、月曜日という年明けてすぐの公演となったが、当日は2回公演。しかもそれぞれ異なるセットリストを演奏するという趣向。筆者が潜入したのはセカンド・ショーだ。

 テリー・ボジオといえば、例の「要塞」と呼ばれる巨大なドラムセットが思い出されるが、会場に入ってステージ上に鎮座する実物は圧巻の一言に尽きた。独特な形状のラックに吊るされた大小さまざまなゴング。数えるのもめんどくさい(26だそうです)細かくチューニングされた大量のタム。8つのバスドラムに、自分の位置からは見えなかったが、スネアは2つで足元にはバスドラだけではなく、リモートハイハットや、数々のパーカッションのためのペダルがズラリと並んでいる。そしてそこかしこにガングルーやハンドラトルなどの民俗楽器が配置されている。横向きに置かれたジャンベに、フットペダルがセッティングされているのがやけに気になった。セットの左右にはボジオ自身によるペインティングが置かれ、右側にはMC用のマイクとKORGのウェーブドラムが単体で用意されている。

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 ほぼ時間通りに始まった演奏は全6曲。鍵盤打楽器ではなくいわゆる膜鳴楽器であるドラム。タムなどをこまかくチューニングして演奏される曲は現代音楽の世界では、例えば複数名で演奏するものではスティーヴ・ライヒの「ドラミング」、ソロ演奏では石井眞木の「サーティーン・ドラムス」などを連想する。またゴングやシンバルなども含め打楽器のオーケストラともいえる構成で演奏されるものでは、ボジオの師匠であるザッパが敬愛したエドガー・ヴァレーズの「イオニザシオン」が代表と言えるだろう。こうした音楽は、緻密な構成によって生まれるポリリズムの妙や、複数の打楽器が同時に演奏されることによって生まれる自然界では成立しえない音響が聴きどころとなる。ボジオのソロ・パフォーマンスには、一人の体によって演奏されているとは到底思えないようなポリリズム、反復、そしてメロディがあり、ときには和音も感じさせる驚きがあった。もちろん、トリガーによってMIDI音源と思われる音も出力されてはいたが、決してバックトラックの同期などに頼ることはなく、すべての原動力はボジオの手足だった。曲のアプローチも、アフリカンやラテンの風味を思わせるものから、人力テクノといわんばかりの超絶な連打、その一方でアンビエントな鳴りを聞かせるものもあり、それは観客をドラムによって組み立てられたサウンドスケープに心地よく誘うものだった。

1曲はドラムセットを離れてKORGウェーブドラムのみで演奏された。パートごとに様々な音色を巧みに使い分け、アコースティックなパーカッション演奏では決して得られることがない先鋭的な演奏だった。 途中1回だけ挟まれたMCはすべて英語ではあったが、言葉の壁に気を使い、なるべく平易な言葉を選んで話すのが印象に残った。ボジオの人柄を感じさせるものだった。

 そのなかで最も筆者が興味をひかれたのがステージ上に置かれたボジオのペインティングについての話だった。ボジオは1975年にフランク・ザッパのバンドに加入したのは先にも述べた通りだが、75年5月に行われたツアーはザッパの盟友、キャプテン・ビーフハートが加わったものだった。ビーフハートは本名をドン・ヴァン・ブリートと言い、幼少のころから彫刻や絵画に非凡な才能を発揮。音楽活動を退いてからは芸術の分野で活躍した。ボジオはまさにそのツアーの最中にビーフハートのすすめでスケッチブックを手にして以来、ペインティングの作成を続けているということだ。自身のペインティングを背に演奏することはまさに自身の創作活動の総和といってもいいパフォーマンスなのだ。

そのMCのあとボジオはセットに戻り、「次の曲のタイトルは“Frank”。ザッパのことさ」と一言。続いて始まった演奏は、ザッパ・トリビュートとも言うべき素晴らしいものだった。ザッパはヴァレーズの影響もあり、打楽器のみの楽曲をいくつか残している。なかでもキャリアを通して有名なものは、ボジオ在籍時に書かれた「ブラック・ページ#1」。これはザッパがきちんと譜面に書いたドラムソロ曲で、その難易度の高さ、バンド演奏を加えた「ブラック・ページ#2」の「踊れなさ」でも有名だ。ボジオのソロ“Frank”は、静かで内省的な演奏だが、「ブラック・ページ#1」のエッセンスのようなものを感じさせるものだった。

 何より驚かされたのは、ドラムで「いまここにいない人=ザッパ」への尊敬、追慕、寂寥感を表現していることだった。自分自身、エモーショナルなドラムというと、どうしても激しいものと思いがちであったが、ドラムでも「静けさ」を表現できるとここで初めて知った。ボジオの尽きることのない表現意欲と、ドラムが持つ可能性を思い知らされた。そして、確かにボジオのセットは本人も「モンスター」と呼ぶシロモノだが、彼の演奏を聴き、見ていると、そこに無駄なものは一切なくすべてボジオの表現欲求が具体化したもの、ボジオのドラムに対する思想が形を持ったものであることがわかるのだ。

自分が見たテリー・ボジオはロック・ドラムから始まり、ドラムを使って作曲し、宇宙を表現する音楽家だった。

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