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今年の目標と広島⑤原爆の破壊力

福岡の片田舎で製造業リーマンやってます。よへいです!

だらしのない自分を変えるべく、今年は行動の年にしようと誓いました!

そして、今年の目標の1つ「ビールスタンド重富さんのビールを飲みに行く」を達成するため、先週土曜日、家族を置いて単身広島へと向かいました!笑 

ビールスタンド重富さんのことは後日書かせていただきたいと思いますが、道中にいくつかの初体験があったので、その辺を書きたいと思います。

尚、今週の記事はこちらです↓

一応連載なので、①から読んでいただけると話が繋がると思います。

さて、今日は初原爆ドームを見て感じたことを


▢破壊された原爆ドーム

まずはこちらの写真をよくみていただきたい。

これは現在の原爆ドームです。

そして次にこちらをご覧ください。

▢被爆前は広島県物産陳列館

元々はこんなに巨大な建物だったのですね。

この建物が、爆風によって一気に吹き飛んでしまうなんて。原爆の恐ろしさを感じずにいられません。

この巨大な建物は物産館として用いられていたようです。いまで言うデパートみたいな場所だったのかな?

原爆ドームという名が強すぎて、一体どんな建物だったのか恥ずかしながら知りませんでした。

参考までに説明文を引用します。

 原爆ドームのもとの建物は、チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により1915年(大正4年)4月に広島県物産陳列館として完工し、特徴ある緑色のドームによって市民に親しまれていました。
 館は、県物産の展示・即売、商工業に関する調査・相談などを業務としていましたが、美術展や博覧会など文化事業にも利用されました。
 その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称し、業務の拡大が図られていきましたが、戦争の長期化・激化とともに業務が縮小され、内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材株式会社など官公庁などの事務所として使用されました。

▢被爆直後の広島県物産陳列館

被爆直後の写真です。

建物の半分以上が大破しています。当時建物内にいた人は即死だったそうです。

説明文を引用します。

 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機が、人類史上最初の原子爆弾を投下しました。原爆は、広島県産業奨励館の南東約160メートル地点の上空約600メートルでさく裂し、建物は大破・全焼、館内にいた全員が即死しました。
 しかし、爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、建物の壁の一部は倒壊を免れ、最上部に残った鉄骨により円蓋をもつ建物であることがわかる程度の残骸となりました。
 戦後、広島県産業奨励館の残骸は、最上部の円蓋鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。

気になったので、爆心地を調べてみました。

小さくて見えづらいですが、🔴が爆心地。
青い矢印で示しているのが原爆ドームです。

引用によると、爆心地の上空600mの地点で爆発し、ほぼ真上だったため、全壊しなかったそう。

少し分かりづらいですが、爆心地の方向、すなわちドーム部の右側部分がごっそり破壊されている。元の形は見る影もない。

爆心地の方向、

▢瓦礫の残る原爆ドーム内

写真を拡大してもらうとわかるのですが、内部にはまだ、瓦礫が散乱しています。

戦争の爪痕。今なお世界で起きている紛争などもこのような状況だと思います。テレビで見る戦地が今から79年前にここ広島にあったことを切なく思います。


上部の鉄骨が下方向に曲がっているのがおわかりになると思います。

館の隣には川が流れています。

同じく被爆地である長崎の平和記念公園で読んだ解説によると、川には水を求めてなくなった人の山ができていたそうだ。

もしかすると、この川も同じ状況になっていたかもしれない。本当に悲惨だ。

▢そもそもなぜ広島に投下されたのか

記事を引用すると、

アメリカは、当時、日本をできるだけ早く降伏させアメリカ軍の犠牲を少なくしたいと考えていました。また、1945(昭和20)年2月のヤルタ会談で旧ソ連が対日参戦することが極秘に取り決められ、アメリカは、それ以前に日本に原爆を投下し、戦後、世界で優位に立ちたいと考えていました。さらに、20億ドルの経費と最大時には12万人以上を動員して開発した原爆が戦争終結につながったとアメリカ国内向けに正当化する必要もありました。
こうした中、1945(昭和20年)の春から投下目標都市の検討が始まりました。都市の規模や爆風で効果的に損害を与えることができるなどの条件で進められ、目標都市への空襲が禁止されました。広島を第1目標としたのは、目標都市の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないと思われていたためです。

つまりこういうことだ。

・日本を早期降伏させ、アメリカ軍の犠牲を最小化する狙い。

・ソ連が参戦する前に戦争を終結させ、戦後、世界的に優位に立ちたい。

・戦争を終わらせるという大義名分で、原爆の開発にかかったコストを正当化する必要があった。

・連合国軍の捕虜収容所が広島にはないと思っていた。

なんとも身勝手極まりない理由だ。

▢最後に

原爆ドームを生で見ると、いままで考えたこともない細かい部分が浮きあがってきました。

たった5分程度の滞在でしたが、5分以上の価値のある濃密な時間。

「行かなくてもいいかな」と思っていたのですが、「行ってよかった」に変わる体験。

改めて、平和のありがたみを再認識しました。

さて、「今年の目標と広島」は、今日で⑤となりましたが、明日の⑥で最後になります!

明日も楽しんでいただけると嬉しいです!

それではまた明日、お会いしましょう!




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