見出し画像

育休中にボランティアを始めた私が出会った「仕事が辛くない会社」

2021年8月、産休に入った私はこの上なく幸せだった。
初めての出産を控え、幸せホルモン的なものが出ていたのかもしれないけれど、私の頭にあったのは「やっと、しばらく仕事から離れられる…!」ということだった。

現職についてここで詳しく語るつもりはないけれど、所属していた会社のマネジメント体系が残念すぎて、ほとほと疲れていた。
バイオ系ベンチャーのサイエンスライター兼、データベース管理兼、知財管理兼(&兼&兼&兼、というベンチャーあるある)として、この分野が大好きで続けていた仕事。

それでも、組織としてあまりにも穴が多くて、完璧主義の私はその穴を埋めるための仕事に終始追われていた。
苦手なことだろうがストレスがあろうが何だろうが、やるのが当たり前。

仕事というのは、そういうものだった。
ベンチャーで産休&育休に快く送り出してくれたメンバーには感謝していたけれど。

今日は、育休中に出会ったJPTでの活動が、私の人生をいかに豊かにしてくれたかを語りたい。
うまく書けるかわからないけれど、これは全然誇張ではない。

(執筆:ミッションパートナー ちひろ)

産後3ヶ月目に知ったJPTという会社

経験した方ならご存知のとおり、産後の母体は一旦死に瀕する。
最低でも9時間睡眠が必要なロングスリーパーの私は、産後3ヶ月くらいでようやくシャバに帰ってきた。

そして、「我が子はとんでもなく可愛いが、暇やな。暇じゃないけど、暇やな」と、私の中の知的好奇心が昼寝から目覚めた。

「副業するほど元気ではない。でもなんかしたい。読書以外の何か」
そう思った私は、小説を翻訳してみたり、絵を描いてみたり(2歳児レベル)、時間のかかる料理をしたりしてみた。
満たされない。

育休中にボランティアをできるサービスを知って、JPTに出会ったのはその頃だった。

前に非営利のボランティアに参加して、ぬるすぎて嫌になった経験があったので、株式会社にこだわって探していると、JPTの募集があった。

「なぜ参加したか」
その問いには今でもうまく答えることができない。
ただ、社長の成川さんの個人noteを読んで、「この人の役に立ちたい」と思った。

私に何ができるのか、わからなかった

気持ちだけで応募したものの、「○○の経験が△年あります」というような経歴は私にはなかった。
市役所を一年で辞め、その後今の仕事を始めてから、たぶん会社経営にかかわるすべての仕事をしてきた。
ただ、そのほとんどが自分でGoogle検索してこなしたもので、それをプロとしての経験と言っていいのかどうか、わからなかった。

同じ時期に参加したボランティアメンバーたちと私の4人が、JPTアンバサダーの一期生だった。

「自分に何ができるかわからない」
そう言った私に成川さんはこう言った。

「ちひろさんの好きなことや得意なことをしていただいたらいいですよ」

「???」
↑このときの私の反応は、そんなおかしなものではないはずだ。
ボランティアとはいえ、見えないコストはかかる。社長と副社長の時間も割いてもらっている。

それなのに、会社の方からは何のリクエストもなかった。

それまで31年間、他人の期待に応え、彼らを喜ばせることを自分の存在意義としてきた私は、困った。
他のメンバーはどう思っていたのだろう。

そこで成川さんはJPTの現状と課題を共有してくれ、みんなが自分の好きなことや得意なことを前提として、仕事を作っていった。

タスクベースで仕事が存在せず、自分で作っていく。その方法がハマる人もいるし、そうでない人もいるだろう。
実際、同期生でも活動内容が早期にカチッと決まった人と、そうでない人がいた。

私は、これで花が開いた。

ゴリゴリ仕事したい気持ちと育児

アイディアがどんどん溢れてくる。
書きたい気持ちが止まらない。

日々の生活全てが、ネタに見えた。
社長の成川さんや副社長の阿渡さんに話を聞くうちに、JPTがやろうとしていることへの理解がどんどん深まり、ネタ帳が膨らんでいった。

同時に、この会社が実現しようとしているミッションが、単なる「障害者雇用の待遇改善」ではないことも見えてきた。
ここには、私たち人類全体の、次の時代の働き方が詰まっていた。

「この会社の取り組みを、もっと多くの人に知ってもらわないといけない」
それが私のエネルギー源になった。

とはいえ、娘は生後半年足らず。
離乳食が始まり、お昼寝の時間が減り、授乳や寝不足で削られる体力や時間と相談しながらの活動になった。
週に5時間~10時間くらいが限度だった。

そんなときに成川さんが言ってくれた言葉たちのおかげで、私はつぶれずにいられたのだと思う。
「○○ちゃん最優先で!」
「仕事をするために子供がノイズにならないように!」
「無理せず!」
「JPTの活動は後でいいので!」

私が、私自身と家族を大切にすることを、私以上に応援してくれた。

JPTでの活動で得られたこと

JPTアンバサダーとして活動した半年間に得られたことを、箇条書きのように列挙するのは難しい。

半年前に私が見ていた「世界」と、今の私が見る「世界」は大きく変わったからだ。その変化に、ここでの活動が寄与している割合はかなり大きい。

自分のペースで自分の好きな仕事をしている最中も、常に成川さんの伴走があった。
たまにあるアンバサダー仲間との交流が、士気を高めてくれた。
ミッション研修など、今までの自分の世界では出会えなかった学びがあった。

JPTでアンバサダーになったら得られること。それはこういうことかもしれない。

自分がJPTのミッション実現のために、あるいは自分自身のためでも、「こうしたい」「こうなりたい」「こんな経験をしたい」と思って自発的に活動すれば、ほとんど全てが叶う。

逆に、あぐらを組んで待っていればJPTという組織が何かを与えてくれると思っていると、何も手に入らない。

育休中は、仕事をしていないから暇だとは決して思わない。乳児の育児は、スケジュールもなければ、まとまった時間もない。
それでも、本業の仕事をしているあいだは叶わなかった働き方であり、経験だった。

半年間のアンバサダー・プログラムを終えて

2022年7月にアンバサダーを卒業した後も、ミッションパートナー(業務委託)として継続しないかというオファーをいただき、今もJPTの一員として活動させてもらっている。

予想を裏切らず保育園には落選し、来年4月の入所も危ぶまれる中、私は「仕事」というものを新しい目線で考え直している。

JPTの社員さんたちは、みんなプログラミングギークの方ばかり。
自分がどうしても苦手なことは頑張らなくていいJPTでは、それぞれが好きな環境で仕事に打ち込める。だから、みんな活き活きしている。

アンバサダー仲間たちの中には、転職を目指してJPTでの経験をもとにキャリアアップを図ろうとしている人たちもいた。
実は私もひっそりそんなことを考えていた。
でも、JPTで活動しながらも、自分の本業をキラキラした目で話してくれる人もいた。

「今の仕事が好き。今の仕事仲間が好き」
そう語る同期メンバーは、今でもミッションパートナーとして一緒に活動している。(ダブルワークほんますごい)

私は、今の仕事のどこが好きだろうか。なぜ続けているのだろうか。

近頃の私は、そんな自問自答をしている。
育休が明けたら、また新たな気持ちで仕事に向き合えるかもしれない。

キャリアという枠組みだけではなく、人間として、本当に貴重な経験をさせてもらっている。

障害者雇用の現状にモヤモヤしている人も、そうでない人も。
自分の仕事観を俯瞰してみたい人も。
新しい経験をしてみたい人も。

誰が参加しても、プラスの経験が得られる場所。
それがJPTアンバサダー・プログラムだと思っています。
ぜひ、一緒に活動しましょう!

▼JPTアンバサダー・プログラムの詳細はこちら


この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?