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ラストの大会は知らぬ間に

「最後っつっても、なんか実感わかないよね…」

先週、長女の部活の最後の大会があり、ママたちと少しのパパさんが集結してみんなで応援にいきました。

これまでと違う大会

大声の声援はもちろん禁止、演技前の気合入れる円陣もなし、あるのは拍手くらい。もともとはとってもにぎやかな大会なのですけど、密や飛沫を避けるため、いろいろとルール変更などされています。なので、思い描いていた華やかな最後の大会とはずいぶん違いました。

本来なら、合宿をしたり、毎日朝から夜まで練習を重ね、地方の予選を通過し、全国大会へ、さらにそこで上位入賞を目指すのが常のようですが

練習時間もかなり制限され、もちろん合宿なども全くなく、満足のいく練習もなかなかできなかったようです。

それでも、最後だからがんばろう!とみんなで思っていたようですが、時間がないことや、いままでに経験していないことを取り入れたりしたことで、喜ばしい結果ではありませんでした。

悔しい最後

3年生の迫力ある演技にあこがれた1年生のころ。

イベントや自分たちの大会に向けた練習、夏には合宿と超多忙で、毎日朝練から放課後の練習まで、毎日くたくたでした。

でも、やっぱりそれくらいの時間を費やしていると上達はするもので、何か月かの間にできることはすごく増えていたし、先輩たちの迫力ある演技をみて、2年後にはきっと!とみんな夢みて頑張っていました。

1年生の最後の3月からコロナ禍が始まり、長女はけがもあって練習から遠ざかりました。少しはできるようになって大会やイベント向けに練習しても、直前で辞退となったり、イベント自体がなくなったりと、今となっては何をやって、何をやらなかったのか、もうよくわからない2年生の1年間でした。

そんなこんなで気づけば3年生。第4波の緊急事態宣言でまたかなり部活ができる時間は制限され、1学期は2度のテストもあり、本当に少ない時間でした。

だけど、先週の大会では、あまり部活時間を制限されなかったのか、十分に練習してきたんだろな、と思われる学校もいくつかありました。そろっていて、迫力があって、見ていて感嘆がもれるような演技。それを見て、とても悔しくて見るのが嫌だった、と娘は帰りの車で言いました。

そうだねぇ。

娘はわりと負けず嫌いです。

1年生のころ、2年生でこれができるようになって、最後は全国大会でバリっと決めて引退するよ!という気合は、どこか、自分の周りをふわふわとつかみどころなく浮遊しているようだったんじゃないかなあと思いました。つかもうとしてもつかめない感じ。つかもうともがくうちに、最後の大会がわってしまったような。

どこか不完全燃焼の雰囲気が残る最後に、泣いてる子もいたりしました。でも号泣でもない。どこかふわふわと、もやもやと、そういう感じの泣き方に見えました。

がっつり練習して、がっつり本番を迎えて、その結果失敗しても、ある程度さわやかに泣くことができそうだけど。

引退までもうすこし日にちはあるのですが、もうちょっとと思うと、親たちも寂しさが募ります。やっと最近ママ同士も親しくなってきたのに。親睦会的なこともほぼほぼできないままだったなあ。

パーと大会を総括

家に帰ってきてから、長女がいないところでパーと話します。長女がこう言ってたよ、とか、ママたちもこう言ってたよ、とかいう話をした後、それでもさ、という続きになりました。

結果は芳しくなかったかもしれないけど、それでもけがから復帰し、最後の大会にみんなと出られたのはよかったよね。

それでも、なんだかなあ、と気持ちを共有したり、何気ないことで笑ったりできる仲間と一緒に過ごせたのはよかったよね。

わりと人となじむのに時間がかかる長女が、部活をして中学のころより、気の合う友達がたくさんできて、よかったよね。

長女がそんなのを聞くと「なんもわかってないくせに!」と多分怒るから、いないところでそう言い、2人でなんとなく納得しました。わたしもちょっと、そう総括したことで納得できた気がしました。

長女に、思い通りに行かずに終わってしまう、ということを経験できたことも貴重な経験だったと思うよ、と少し時間が経ったらいいたいです。

長女に、いつもより高くて大きめのアイスを買ってあげ、冷凍庫にしまいました。


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