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書くことは自由だ!

50記事を超え、noteがますます楽しくなってきました、今日この頃です。

すごい方には遠く及びませんが、スキやフォローをしたり、してもらったりすることが、徐々にではあるけれど、確実に増えてきたように思います。

いつも通りの日常生活を送りながらも、全国に、しかもいろんな職業、考え方、年齢、性別の方とお友達に(ちょっといきすぎ?)なれているような気がして、ほんとうにうれしいです。

シンプルに楽しい、うれしい、ということをもうちょっと詰めて考えると、ここに自分だけの空間ができた、っていうことがうれしいんじゃないかな、と思うのです。

何を書いてもいい

ありがたいことに、日本は言論の自由があって、もちろん常識的にだめなことはありますが、基本的に意見としてはなんでも言えます。

前回書きましたが、note始める前は、新聞の投稿欄によく出していて、それが結構ボツるという残念な体験を何度かしました↓

自分の考えや思ったことをアウトプットする、という点ではすっきりするし、書くこと自体を楽しんでるところは十分にあるので、それはそれでいいとは思っていたのですが

やはり、書いた文が消えるってことや、誰が読んでくれて、どう思われたか、といった反応が返ってはこない、というのが残念でした。

で、好きなことを書く、といっても、あわよくば掲載されたいから、やっぱりあまりにもくだけた口調では書けず(本当にその気持ちを伝えたいときは、きれいな言葉だけでは物足りないことが多々ある)、本心丸出しの文は、どうしても書けないんです。

それが、noteでは全部かなえられています。

毎日書くかどうか、っていうのも、始めるときにどうしようかな、と思いました。毎日書くこと自体が目的になるのはあまり意味がない、と考える方もいるみたいだったし、実際、毎日書けるかな、っていうのもあったし。

でも、回を重ねていくうえで、

・本当になに書いてもいいんだ…

・ダメでもいいんだよねえ。

・独り言でも、まあ、いいか。

・だれかの役に立たなくても、しょうがないね。

・きれいにまとまらなくても別にいいよね。

・書いたら、なんか落ち着く気がする。

なんて思い始めてから、はじめよりもまた一歩、楽しめている気がします。


文句を言いたいときは、ばーっと書いてから読み返して冷静に。文句ばかりでてくる自分が嫌になったら、妄想に逃げ。うれしいことがあったら、それはそのまま忠実に。

誰かに怒られるわけではなく、点数をつけられるわけでもなく。本当に自由です。おかあさんとして、奥さんとして、パートだけど働く人として、それから、なんの肩書も関係なく、ただひとりの人として、

どれも全部、ほんとの自分なわけで。

わたしは、このnote書いてることは家族にも言ってません。先日、以前勤めていた出版関係の会社にいた上司さんにちょっと言っただけです。

あまり近しい人に言うと、「あの人がこれ読んだら、どう思うかな」なんて考えてしまい、自由に書けなくなると思うからです。

当分、誰にも言わないつもりです。自由、最高。

noteのなかだけでも自由に

現実の日常生活は、なかなか自由でいるのは、難しいものです。

会社があったり、家庭があったり、学校があったり。

「しないといけないこと」がいっぱいあって、それもちょっとずつ「やりたいこと」をする時間を増やせるようにシフトしていきたいけど、一度にはなかなか。

だから、わたしにとって、noteは自由でいるための最初の一歩です。

読んでくれる方々、ありがとうございます。

noteを作ってくださった方々、ありがとうございます。会社、大阪なんですね。さっき初めて知りました。堺筋本町とか、懐かしい…

いつも楽しい記事を書いてくれる、すごくたくさんのクリエイターのみなさん、ありがとうございます。

で、まがりなりにも、少しは文章を書ける力を持ってたわたし、よかったね!

っといったところで、自由を満喫して閉店ガラガラです。

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