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ホテルイカ

時刻は深夜12時。
洒落たバーのカウンター席で一人、私はしっぽりと、右の奥歯に挟まったホタルイカの燻製を剥ぎ取ろうとしていた。

癖のあるカクテルを口に含むと、干からびたホタルイカの体内に水分が駆け巡る。味付けの塩分がホタルイカの体外へ染み出すと、たちまち口内は海となった。私は頬を吸い込み人工的に荒波を作り出し、ホタルイカの救出を試みた。

海外の大学は入るより出る方が難しいとよく聞くが、わざわざ海を渡らなくとも、私の口海で、いや口内でそれは起こっていた。

隣の客は経営の話をしていた。同期よりも自分は優れていた、普通に仕事をしていただけなのに周りが見えない景色を見ていた。出来ない後輩に対してどうマネジメントしていくべきか。出来ない奴の気持ちが分からない。

歯に絹着せぬ物言いだなと、歯にホタルイカを挟んだ私は思った。

やがてめんどくさくなり、諦めて次のホタルイカを口に放り込んだ。

左の奥歯に挟まった。

私の歯はそれほど隙間が空いていただろうか。ガラガラだっただろうか。空室だらけのホテルかよ。いや、だとしたら有り難いか。お越しいただきありがとうございます、ホテルイカ様。

もうここまで来たら一緒だと残りのホタルイカを一気に放り込んだ。さすがに挟まらなかった。満室御礼。次は予約くらいとってから来て欲しい。

こんなことを考えていると既に時刻は1時を越していた。周りの客もほとんど退店しており、薄暗い店内では静かなBGMがやけに大きく聞こえた。

と思ったが、隣にはいまだ歯に絹着せぬ物言いの客がいた。話し相手は相槌をうつ返答だけをしていた。相手はどんな顔をしているのだろうか。熱量のこもったその話を聞いている、後輩らしき男をチラと見た。奥歯に物が挟まったような顔をしていた。

奥歯に物が挟まった男と、奥歯に物が挟まったような顔をしている男に挟まれた一人の客は、それでもなお活き活きと話し続けていた。

店を出た。終電を逃した。
今日はホテルにでも泊まろう。空室でガラガラだと助かるのだが。

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