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「舐められる舐められないというはなし」

社会生活をしていると舐められるということがある

それはおそらくかなり敏感に感じることがあると思う。

他者との比較から感じることもあるし、その人のスタンスや単に失礼な人もいる

これにどのように対処するかというはなし

たとえばメジャー時代のイチローのはなし

彼はシアトルマリナーズでほぼ孤立していたという(すごいなしかし)

・日本でどれだけ活躍していようがなんぼのもんだという目線
・アジア人への差別
・実際に活躍したが、チーム貢献が少ないと感じるチームメイトからの嫌がらせ

などがあったそうだ、それも壮絶に

そこに対して彼がとった方法は尖ること
尖ることで、孤高になることで徹底対抗した

まずグラウンドでは誰とも会話しない、したとしても笑顔は見せない
記者団とはシャワーを浴びて上半身裸のまま、ときに背を向けてセンスを仰ぎながら、気に食わない質問には無視を決め込んだ、相当な酷い対応であっったと聞いている
また、目に見えないプレッシャーや嫌がらせとも徹底的に戦った。直接に何かを言うのではない、とりつく島がないという態度を取り続けたことで抗戦した。

これは同じ時期活躍していた松井とは対照的だ。

松井は紳士的な態度、フレンドリーな態度、チームプレーに徹した考え方であっという間にチームに受け入れられた。脱退後の関係性も良いと聞く。チームリーダーだったジーターには尊敬すらされていた。

おそらく、大変なプレッシャーではあったと思うけども、松井は幸せにプレーできていたのではないかと思う。

人生で見たときのことを考えたい。

松井ですら、やはりアジア人ということで舐められた場面はあったと聞く。
しかし、彼がとった行動は受け入れて相手にしないこと、ただ行動すること。

イチローは直接攻撃はしないが、孤高を貫いた。

この差は大きい。

おそらくイチローの心理のエネルギーの負荷はとんでもないものだったと思う。

もし彼にその負荷がなかったらと思うと恐ろしい、もっとすごい成績を残していた可能性がある。

でも、人生で見たときはどうだろうか、どちらが幸せだろうか。

これも選択なのでなんとも言えない。

イチローも松井もとんでもない成績を残し賞賛されている。
そしてどちらも素敵な方であるのは間違いない。

どちらを選択するか。

私は丸く生きていきたい。
尖って辛い思いはしたくない、できれば
そういった方向性の努力を重ねていきたい

しかし、難しいのはプライドを全て捨ててはやっていけない、兼ね合いが難しい。

最近覚えた中道精神 老荘思想だ、これが私にはあっているのだと最近思う、皆さんはいかがでしょうか。

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