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#日本遺産 テレビ屋が体験した日本遺産【2】 かかあ天下 群馬

「かかあ天下って遺産なの?」と、疑問に感じると思います。2015年に最初に認定された日本遺産のひとつです。
正式名称は、

「かかあ天下 ―ぐんまの絹物語―」。(クリックするとHPにとびます)

「かかあ天下」という言葉は、関東では何気ない日常会話の中によく聞かれた言葉だったように記憶します。

「おめえ群馬の出だって?やっぱかかあ天下か?」
なんて。

 養蚕業が盛んだった群馬では、夫よりも妻の方が稼ぎのいい家庭が多かったことから、上州名物を指す言葉として定着したものだそうです。

「俺のかかあは天下一!」と、妻を讃える男性が多かったのかどうかわかりませんが、いまのジェンダーレスな社会においては使い方に気をつけないといけません。こんな記事見つけましたので参考に。

さて、「夫が讃えるほど妻が働きもの」とか、「夫は妻の尻にしかれている」などさまざまな解釈があります。そんな観念的な言葉をお題にもってきた日本遺産ですが、女性の活躍を描きたかったとは、その通りのニュアンスで書いてありますが、その実内容の柱は養蚕業と絹織物業の歴史です。

 群馬の絹といえば、4つの絹産業遺産が世界遺産に登録されていますね。その4つとは「富岡製糸場」「高山社跡」「田島弥平旧宅」「荒船風穴」ですが、世界史に名を残すような背景と実績をはらむ文化財、産業遺産をセレクトして登録しています。

近代日本に莫大な富をもたらしたお蚕さん
番組『日本遺産』より転載

 世界の注目をあびる群馬。しかし群馬の絹産業遺産はこれら4つで終わりではありません。富岡製糸場以前から群馬では生糸や絹織物の生産が農家個人の家々で行われてきたのであります。

 養蚕のために特徴的な構造をもった住宅や農家の家々で使われてきた養蚕と絹織りの道具類、あるいは江戸時代に発展した桐生織の伝統と工法、そして村々に息づく、絹の神様への信仰などなど。世界遺産にはならずとも、後世に遺したい遺産が群馬にはまだまだあって、それら文化財をストーリーの糸でくくって日本遺産に認定されたというものでした。

江戸後期の大型養蚕農家
「富沢家住宅」
番組『日本遺産』より転載
桐生市白瀧神社の絵馬
番組『日本遺産』より転載

 しかしなぜ「かかあ天下」?
「かかあ天下」ということは「天下一のかかあ」が主題?
困ったことに、そんな観念をビジュアル化するのも筆者等の仕事。どんなに美しいビジュアルを用意したとしても、扱い方を間違えれば女性蔑視に繋がるものになる危険をはらみます。そこでテーマに据えたのは、

「なぜ群馬の絹産業だけが「かかあ天下」???」。

 群馬の山裾は桑づくりに向く土地でが、畑作をする農家では養蚕と生糸づくりが盛んでした。糸を作るだけでなく、反物も自家生産して売り物にしていたそうです。でもそれは群馬に限ったことではありません。長野でも同じように養蚕農家は多くいました。しかし「かかあ天下」とは、群馬でしか聞きません。なぜなのか?
次のような「推論」にいきあたりました。箇条書きにします。

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・妻と夫の経済力の比較が取り沙汰されたのは恐らく、桐生織というヒット商品ができたことによる

・政治の中心が江戸に移ると、京の西陣織の技法が桐生に伝わり商売として大成功を納め、織物の原料の蚕作りから、糸作り、そして織りの仕事と、人手が必要になった。

・ところが群馬はやせた土地がほとんど。作物を育てるのに他の地域よりもいちいち手がかかった。畑仕事が忙しくて男手は期待が出来ない。

・そこで女性が蚕の世話から出荷、製糸、機織りといった、絹織物のあらゆる場面に進出して上州を日本きっての絹織物の産地に押し上げていった

・絹産業に従事した方が、畑仕事より相対的に収入が高く、結果、他地域に比べ男性より女性の方が収入がよいというケースが散見された
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 これは日本遺産の申請に関わった歴史研究の先生にうかがった話しです。推論とはいえ腑に落ちる話しではありました。
 日本の絹産業が全盛の頃、群馬では女性が夫よりも収入が多いのはざらだったらしいです。そのあらわれか、バイクを乗り回す女性がたくさんいて、粋な進歩的な女性のシンボルと雑誌に写真が載ったりもしたそうです。
 そういえば2015年放送の大河ドラマ「花燃ゆ」では、忙しい絹問屋をビシッととりしきる、逞しい群馬の女性が描かれていました。

「かかあ天下 ―ぐんまの絹物語―」とは、なにか?

もう妄想の類いです。
男女の別なく、イキイキと暮らしを謳歌できた、あの時代を取り戻そう!
そんなメッセージがこめられていたかも知れないと思うと俄然やるきがわいた、って訳です。

さて、そんな日本遺産です。構成文化財の中に、へえっと思わされたものがひとつありました。

 群馬県北部の栃木、福島、新潟各県と接する片品村にあった「永井流養蚕伝習所実習棟」です。

永井いとさんの実習棟
番組『日本遺産』より転載

ここを開設し養蚕技術の指導をしたのが女性の指導者、永井いと(天保7年〜明治37年)。火を焚いて蚕の病気を防ぐ「いぶし飼い」という養蚕の方法を夫とともに確立。構成文化財の伝習所は、夫に先立たれたあとに開設し、いとさんが指導にあたった実習施設でした。永井夫妻の功績により、地域の養蚕業は発展したのでしょう。2人をたたえる碑が数多く残るそうです。

そんな永井いとさん、かかあ天下を地で行く言葉を残しました。

「農家の財布の紐はかかあが握るべし」

永井いとの背肖像画
番組『日本遺産』より転載

こ の永井いとさんのご子孫の方のインタビューがネット上にあがっていましたのでご興味があればぜひ。


甘楽町にたつ石碑にはこんな文句が
「邑ニ養蚕セザルノ家ナク製絲 セザルノ婦ナシ」
凄いですね。
番組『日本遺産』より転載

では、また。

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