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163 自己紹介(生い立ち)

私は、アラフィフど真ん中の誕生日を2回目シングルマザーとして迎えました。1回目の離婚時は親と同居して子どもは保育園に入れていました。今回は前回より経済力がついてきたことや、子どもが転校したくないと主張したため、二人で生きていく選択をしました。

英語系の短期大学を卒業した後、コンピュータシステムの開発をする会社を経て日本語学校の事務方の仕事に就きました。そこで見つけた台湾人彼氏の帰国と共に台北へ語学留学。台湾で2年間の中国語学習の後台湾政治大学へ外国人正規留学生として入学しました。10歳年下の現地大学生と共に勉強したり学校内事務のアルバイトしたり。追っかけて行った台湾人彼氏とは、大学1年生の時に国際結婚しました。もう20年くらい前の話ですが、大学で知り合った当時の同級生たちはそれぞれが結婚したり、子どもが生まれたりしていますが、今でもSNSで連絡を取り合っている、大事な宝物です。

大学卒業後は大学院へ進みました。同時に台湾人の主人が働く会社で日本支社を作る計画が持ち上がりました。2003年、主人が日本へ渡り、会社をたちあげ、私が代表取締役となりました。主人は日本で営業担当、私は台湾と日本で大学院生と会社代表二足のわらじ、そんな生活を2年続けました。修士論文が書きあがらない私に対して、日本で孤独に外国人生活をする主人が音を上げ、大学院を休学して帰国。大学院は復学期間内に戻れず、そのまま中退となりました。

この後子どもが生まれて、離婚します。

(この自己紹介は、以前ブログで発表したものを再構成しています。こちらからご覧ください。)

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