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「やりたいことがない」には2パターンあって

「やりたいことがない」と悩んでいる人は、けっこう多い気がする。

実は、わたしもその一人だった。
成し遂げたいことや、やってみたいことなんて、まったく思いつかなかったのである。

だからこそ「やりたいこと」にまつわる思考を深めてきたのだけれど、いつしか「やりたいことがない」には2パターンあると思うようになった。

ひとつは、本当はあるのに気づいていないパターン。そしてもうひとつは、行動で考えるのが向いてないパターン

そしてわたしは後者の「行動で考えるのが向いてないパターン」なんだ、と気づいた出来事があった。

***

数年前のある夏、わたしはとあるインタビューライターさんのアシスタントとして、取材に同行していた。

そのライターさんは著名人のインタビューも多くしている人で、当時「もっとインタビューが上手になりたい」と思っていたわたしはアシスタントに立候補し、もちろん仕事を手伝いながらではあるけれど、その人の取材現場を近くで見させてもらえることになった。

その人とはなぜかTwitterでつながっていたものの、直接会うのは取材同行の日が初めて。取材前に打ち合わせも兼ねて入ったカフェで、席につくなりこう聞かれた。

「どうしてアシスタントに応募してくれたの?」

半年前ぐらいに掲載された有名人のインタビューの読みやすさに驚いたこと、それをきっかけに他のインタビュー記事も読んで、「こんなインタビューが書けたら楽しそうだ」と思ったことを、わたしは話した。

一通り話を聞いたその人が、こう言った。

「じゃあ、芸能人のインタビューをしてみたいんだね」

わたしは自分がまったく意図してなかった方向に話が転がっていたことに驚いて、すぐに「あっ、違うんです」と訂正した。

たしかにわたしの周囲のライターの中には「芸能人のインタビューをしてみたい」とか「有名なあの人の話を聞いてみたい」ということを目標にしている人も結構いた。きっとこの人も「松岡さんもそうなんだろうな」と思ったのかもしれない。

「芸能人にインタビューしてみたいっていう野望はなくて」ともう一度念押しで訂正したあと「読みやすいのにしっかりとその人の言葉と雰囲気を伝えるインタビューを書きたいと思って」とわたしは続けた。相手は相槌を打って、少し思案してから「じゃあさ」と切り出した。

「松岡さんは、誰にインタビューしてみたいの?もしくは、どんな媒体で書きたいとかあるの?インタビューライターとしてやりたいことって、どんなこと?」

目を輝かせながら質問してくれる相手を見ながら、わたしは「ああ、ひょっとすると、この人のまわりのライターさん達はこの問いに答えられるのかもしれない」と思った。あの人にインタビューしてみたい。あの媒体で書きたい。こういうテーマの記事をつくりたい。みんなそういう野望があって、それに向かって走っている若者を応援したいという気持ちが、この人の中にあるのかも。だからアシスタントを採用しているのかも。

しかし残念ながら、「ええっと」と時間をもらいつつ必死に頭の中を見渡しても、「わたしがインタビューライターとしてやりたいこと」は一切見当たらないのである。

どうにかこの空気を壊さない返事ができないか、と思案するも虚しく、わたしの口からは「あまり、そういうの、ないんですよねえ……」と小さな声が漏れ、正面でわたしを見つめていた目の輝きがふっと失われたのを感じた。

「じゃあ……松岡さんのライターとしてのモチベーションって、どんなこと?」

モチベーション。より楽しく働くこと、だろうか。せっかく書くならより良い記事にしたいこと、も。もっと良いコンテンツがつくれるようになりたいこと……。

いずれにせよ、この人に納得してもらえる「野望」を含んだ返事は、できないだろうなと思った。

***

このやりとりを経て初めて、自分は仕事に関して野望がない人間なのだということに気づいた。

野望。やりたいこと、成し遂げたいこと、と言い換えてもいい。

なぜ野望がないのか。

わたしにとって「仕事」は手段であり目的じゃないのだ。

ライターになったのも「ライターになりたかったから」じゃない。自分にとって心地よい生き方に近づけるから、である。書くジャンルをコラムからインタビューに移行したのは、ただ楽しそうだったから。楽しく働きたいということ自体が目的で、仕事の内容は手段だ。正直、他にも選択肢があるならば、ライターじゃなくても良かったと思う。

まとめると、わたしにとっては「やりたいこと」よりも「ありたい姿」が大事なのだということ。行動よりも、状態。

「やりたいこと」がぽんぽんと思い浮かび、楽しそうにそちらへ突進していく野心的な人たちを見ていると、それはそれは楽しそうだし、野望はまわりの人も惹きつけるので、その熱量は増幅しながら上へ向かっていく。

自分もそうなれたらと思うことが多々あるし、なんなら一時いっときマネしてみたこともある。しかしハリボテの「やりたいこと」では自分の熱量を保てなかったし、偽りの自分の空虚さに耐えきれず「やっぱり無理だ」と力尽きた。

「海賊王に、俺はなる!」みたいに熱量を持ってガンガン進んでいく人たちのことを、今もうらやましいなあと思ってる。だってキラキラ輝いているもの。

でも、たぶん、わたしには合ってない。

わたしは無理に「やりたいこと(行動)」を用意するよりも、自分のなかにイメージとして広がる「ありたい姿(状態)」に向かっていくのがいい。

「ありたい姿」を目指す道は、打ち上げ花火みたいな華やかな行動や、みんなで目指せるわかりやすい指標がないので、だいぶ地味である。

でもいいの。
そんな人生も、またひとつじゃない。

そう割り切ってからは、幾分か楽になった気がする。

ちなみに先程のインタビューライターさんのアシスタントは、あの取材の1日だけで、それ以降連絡はとっていない。支援しがいがない若者だと思われたのかもしれないけれど、わたしはいろんな点で勉強になったので、とても良い機会だったと今でも思ってる。


おわり
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