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日本の『自分で「始めた」女たち』 #1 森みどりさん(エステティシャン・香水プロデューサー)

「とにかく一生懸命にやる。そんな自分が、いちばん自分らしい。」



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森みどりさん プロフィール
20歳で銀行員からエステティシャンの世界へ。子育てしながら業界最大手の企業でトップセールスになり、全社のエステティシャンを指導するために全国を飛び回ったのち、37歳で独立。小さなマンションでベッド1台から始めたサロン「SENSE DOOR_」を、40坪の路面店、その後1軒家のサロンへと大きく成長させた。2020年にフレグランスの開発をはじめ、2021年にフレグランスブランドSENSO del MAREがデビュー。国内の高感度なセレクトショップや、現代美術のミュージアムショップをはじめ、世界から引き合いがあるほど人気に。最近、フレグランスブランドを息子である専務に継承することに決めた。
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森さんについて

 森さんは不屈の人です。商工会議所が主催する販路開拓支援事業で私がディレクターの仕事をしているとき、事業に参加されていた森さんに出会いました。2021年の秋、完成した香水を首都圏の人気ショップのバイヤーさん複数にご紹介したのですが、「いい香り!この事業者さんに会いたい」と言ってくださった方もいれば、「売るのは難しいと思う・・・」と辛口のダメ出しで終わったバイヤーさんも。その後参加されたオンライン商談会ではバイヤーさんのZOOM接続がうまくいかず、話したいことの半分も言えないうちに時間切れ。「春になったらまた…」と具体的な話にならなかったとお聞きしました。
 森さんは春になるのなんか待っていませんでした。すぐその商談先にメールし、もともと香水を気に入ってくださったバイヤーさんにも会いたいとアポをとって訪問。なのにアポ有りにも関わらず、その好感触だったバイヤーさんが不在だと聞かされます。何重苦なんだ・・・。でも森さんは「そのバイヤーさんを待たせてもらっていいですか?」とあきらめなかった。結果、帰ってきたそのバイヤーさんと直接お話をすることができ、銀座のどまんなかのショップで、春ではなくクリスマス商戦のラインナップとして、初めての香水のお取引が始まったのです。
 
 それだけではありません。バイヤーさんにダメ出しをされたつらい面談の中で、ふと森さんが言った「瀬戸内をイメージした香りだから、瀬戸内国際芸術祭の島に行く船で香るのもいいかなと思うんです」。面談後、バイヤーさんが「あの船のアイデアはいいと思う」と言っていたと知ると、森さんは翌日、すぐ船会社に話をしに行きました。そして2022年瀬戸芸夏会期、人でいっぱいの直島行きフェリーでは、素敵な木のオブジェに透明なSENSO del MAREのボトルがディスプレイされることに。乗客は自由に「瀬戸内の香り」をお試しすることができました。
 バイヤーさんのダメ出しも、オンラインの接続不良もそばで見ていた私。森さんの大きな目にうっすらと涙がたまっていたことも鮮明に覚えています。それにもめげず話を決めていく過程をメールやお電話でご報告いただくたび、この人の不屈はどこからくるんだろうと思い続けていました。クリスマスでお取引があったショップではいまも継続してお取扱いされており、森さんのご子息である専務さんの努力も相まって、現在、国内の高感度なセレクトショップや、現代美術のミュージアムショップなどでお取扱いが拡大しています。
 
このインタビューのために2022年11月に森さんに会うと、フレグランスブランドを今後は専務さんに任せるとおっしゃいます。そして「また新しくやることを見つけたい」とニコニコ。

中村 えーっ!じゃあ最初の質問はこれにします。「森さんにとっての成功ってなんですか」?
 
森さん 誰かに継承できたときが、成功と言えるんじゃないでしょうか…。精神、仕事、事業…自分の思いが誰かに伝わっていったら、そして継いでくれようとする人を奮い立たせることができたら、それが成功。事業を継承するということは、精神や考えを継ぐというだと思うんです。そこには守っていきたいもの、今後も生かしていきたいものや思いが必ずあるはずで、そんな「精神」抜きには、絶対に継げないと思うんですよね。
 
中村 専務さんもそうかもしれないですよね。
 
森さん 息子のことも、本当にイヤだったら親と一緒に仕事なんてしないだろうと私はひそかに思っているんです(笑)。なので、なにか感じてくれるものがあるのかなと。
自分の後に人がついてきてくれて、自分のやってきたことをバトンタッチするとき、自分は成すべきことをやり遂げられたんじゃないか。それが「成功」だと思います。一攫千金を得たり、知名度を上げたりすることが成功かというと、私には違うんじゃないかと。
 
キャリアや仕事のために払った最大の犠牲は
 
中村 専務さんはいま一緒に会社を盛り立ててくださっていますけど、専務さんたちお子さんがまだ小さい時はどうされていたんですか?
 
森さん 子どもが2人いるんですが、上の子が小学校に上がる時、私は当時勤めていたエステの会社でどんどん出世していき、全国のエステティシャンを指導する立場になったんです。なのでその頃は東京とか全国で仕事をしていて、「出張」が基本だったんです。高松に帰ってくるのは週末だけ。
なのに、そんなに飛び回っているから疲労もすごくて、せっかく帰ったのに家では頭が痛くて寝込んでいるという状態だったんです。一緒に過ごせるはずのお休みに、お母さんはいつも臥せっている。週明けにはまた飛行機に乗って出張に行き、平日は帰ってこない。仕事のために、家族、特に子どもとの時間は犠牲にしたと思います。
 
中村 仕事はきっと面白い時期でしたよね?
 
森さん 仕事をすればするほど成果が出て、ポジションもどんどん上がっていって…。仕事は面白かったですね。でも母親としては、子どもと同じ時間を過ごしていないでしょう。だから常に葛藤がありました。
いまも、どうしてもっと上手に子どもの大切な時期に一緒にいてあげなかったのだろう、って思うことがあるんです。その何年かは我慢できたはずなのに…って。そういうこともあって、最終的に思い切って独立したんです。
 
中村 高松の美術館通りにあったサロンを覚えています。前を通るたび、おしゃれでいい感じのお店だなと思っていました。
 
自分で自分の値段を付ける
 
森さん 最初はマンションの1室から始めたので、それは次のお店ですね。
 
中村 私、起業して最初に悩むのが自分の値付けだと思っているんですが、森さんはどうやって自分の値段を決めたんですか?
 
森さん 独立するとき、自分の友だちに「エステっていくらだったら受ける?」と聞いてみたんですよね。すると、帰ってきた答えが「3000円」。なるほど…と思って、まずは1時間3000円でスタートしました。
 
中村 安っ。お客さんいっぱい来たのでは?
 
森さん いっぱい来てくださったのですが、やりながら、私の技術は本当に3000円だろうか、エステの指導までしていて技術も評価されていたのにって。これじゃだめだわと思いました。
なので半年たった頃、思い切ってお客さまに「値上げしようと思うんです」と言ったんです。そしたら、その方は、「当然です。上げなさい。安すぎるわ」と言ってくださった。その後、何回か値上げして、結果、1年で約300%アップになりましたが、お客さまは誰も文句を言わずついてきてくださった。20年経った今も来てくださっています。この時のお客さまの声はいまだに忘れられない。
 
中村 でも、途中からの値上げって実は難しいと思うんですよ…。その場合、何か理由とか作ったほうがいいんですかね?たとえば今だったら「原材料高騰」とかありますけど。
 
森さん 最初はみんな値付けって失敗するじゃないですか。私だって、友達のアドバイスを聞いたときは自分に自信がなかったのでそんな値段を付けたのだと思うけど、お客さまには「私が自信がなくてそんな値段を付けました」って言ったんです。そうやって、本来の自分の価値に値段を近づけていきました。だから値段が安すぎると思っている人は、そう思う自分をうそ偽りなくお客さまに話したほうがいいと思います。世界情勢とか、価格高騰とか、そんな「外のこと」を理由にするんじゃなくて、自分の中にある本当のことを言ったほうがいいと思います。
 
ビジネスのターニングポイントは?
 
中村 今までを振り返って、ここがビジネスの転換期というものはありましたか?
 
森さん マンションから美術館通りの路面店に移ったら、一気に売り上げがアップしたんです。それからずっと右肩上がり。年中無休で休みが1年で8日ぐらいしかなかったのが、リーマンショックで初めてお客さまの数が激減し、売り上げも落ち込みました。そのとき、上がったら必ずどこかで下がる、ビジネスには浮き沈みがあるんだということを知りました。
 
中村 コロナはどうでしたか?大変だったのでは…
 
森さん コロナでもお客さまのご来店は半分ぐらいになりましたね。あの時みんな、自分ではどうしようもない不安に覆われていましたよね。コロナが広まって最初の1年はみんな怖がっていたじゃないですか。
その気持ちを払拭したい、自分にできることはないかとずっと考えていました。だったらいまこそ、ずっとやりたいと思ってきた香りを作る時なのでは? そのために自分はエステを30年以上も続けてきたんじゃないかって。
香りそのものは強くないけど、元気になったり癒されたり、瀬戸内海を感じる香りを作りたいと思って、製作に着手しました。

SENSO del MARE

 
中村 そうして2021年にできたのがSENSO del MAREですね。
私はバイヤーさんにダメ出しされた面談の後、森さんからいただいたメールの、「それでも何かいいところがこの商品にはあると信じています」との言葉を覚えています。
 
森さん 私、不思議と、どこかでこの香りは愛されるだろうという自信はあったんです。エステでは香りを使いますし、お客さまの声をずっと聞いてきたから、どんな香りがいいのかいつも考えていたし…。
私はモノを売るのではなく、モノを通して「あなたはあなたらしくいていいのよ」ということが伝わる香りを作りたいと思っていました。エステのときにいつもお客さまに言っていることなので、香りの商品もそう感じるものにしたいと思いました。
なのでこれがベストというものができるまで妥協しませんでしたし、この香りが好きという人がきっといらっしゃると思っていました。
バイヤーさんにダメだと言われたその瞬間は「この香り、そんなにダメかしら」ととても悔しかったのですが、絶対にこの香りにはいいところがあるはずだ、きっとこの香りを好きと言ってくれる人がいっぱいいらっしゃるはずと思っていた。
なのでちょっとでも可能性を見つけたらどんなことでもやってみよう、船の中のフレグランスの件は、ダメ出しをしたバイヤーさんの唯一のポジティブな反応だったので、すぐに話をしようと思って初めての船会社に電話をしたんです。
会ったこともない船会社の方に会いに行ったり、バイヤーさんに会いたいから待たせてほしいとお願いしたりする中で、エステサロン創業時、一生懸命自分のチラシを自分でポスティングしていた頃の気持ちを思い出しました。
私、どんなにつらいことも、絶対に何か学べることがあると思うんです。なのでいまはそのバイヤーさんに気づかせてもらったことを、とても感謝しています。
 
中村 森さんが自分でビジネスを始められてもう30年以上になると思うんですが、その中で得た最大の教訓って、ご自身ではなんだと思われますか?
 
森さん 「一生懸命したら、何も言うことはない」だと思います。
誰が評価するとかしないとかよりも、いちばん大事なのは、自分が充実した時間が持てるか、集中して何かをできるかだと思うんです。邪念を取っ払って、その時を一生懸命にする。それが自分の人生を豊かにするということじゃないでしょうか。
私、販路開拓事業のセミナーもそうなんですが、どんなにこの話は自分には関係ないと思っても、一生懸命に聞くんです。
 
中村 そうでした。森さん講義もだけど、アンケートも丁寧に答えていらした。「この人はちゃんと何かをつかんで持って帰ったのだな」と感じる、具体的なお応えでした。
 
森さん 絶対に何か、自分に関係あるものをつかむことができると思うんです。だから仕事じゃなくても、いやなことでも、意味がなさそうに見えることでも、一生懸命にするんです。そこには必ず学べることがあります。一生懸命に目の前のことに向き合っていれば、他人と比べてどうとかなんて、どうでもよくなる。この「一生懸命にやる」というのが、私がずっと続けていることなんです。
 
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おわりに
 そうか、「人が気になる」っていうのは、自分の目の前の仕事に集中してないからなのか。目の前のお客さまに集中していると不安もなくなるということは、森さんのお話から私が得た教訓です。
インタビュー時はいろんな不安を抱えていた私(いまも)。でもいま手にしているものに集中して一生懸命にやればいいんだな。これなら今すぐできそうだと思いました。
 
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次のインタビューはバレエ教師の方です。掲載は12月15日予定です。


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