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日本の「自分で『始めた』女たち」#3河田智子さん(イベントプランナー・イベントディレクター)/前編

「コロナで、イベントの内容も、形も、変わってきました。自分の仕事の方向性を再考する時期だと思っています。」

前編全2回連載)

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河田智子さんプロフィール

大学卒業後、大阪で演劇や自主映画の興行のプロデュースの仕事に携わる。その後、故郷の香川県に戻り、イベント制作会社、広告代理店勤務を経て、2006年10月に個人事業主として「オフィスともまる」を立ち上げる。2016年1月に法人化し、社名を「株式会社クロコズ」に変更。手がけたイベントは、国際的な音楽コンクールや、国や地方自治体のイベント、企業のイベント、マルシェ、講演会、オンラインセミナーなど規模の大小を問わず多岐にわたる。
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私の知っている河田智子さんのこと
河田さんは私の広告代理店時代の先輩です。営業さんに「現場がピカイチ!」と信頼され、多くのイベントを任されていました。
私も独立後の河田さんにディレクターをお願いして、行政主催の男女共同参画事業では、当時日本銀行高松支店長だった清水季子さん(現 日銀理事)とイー・ウーマン佐々木かをりさんの対談、そして勝間和代さんの講演を、一緒に実施してもらったことがあります。DV防止啓発広報事業では『だめんず・うぉ~か~』の倉田真由美さんをブッキングしていただき、広告キャンペーンとイベントも行いました。私の30代での挑戦は、河田さんなしには実現しませんでした。
イベント現場では、各分野のプロが「河田さんの仕事なら」と集まり、その力をいかんなく発揮してくれる。終わると「じゃあまた」とパッと解散する。この人望は私には望むべくもなく、分かりやすいカリスマというよりも、等身大で静かにそこにいる河田さんのすごさを、現場に入れば入るほど誰もが知ることになると思います。
2020年からの新型コロナウイルス感染症の拡大に伴って、ご存じのように、イベントが全くできない状況となりました。春に「オリンピックの聖火リレーが中止になったのを、主催側からの連絡ではなくニュースで知って愕然とした・・・」と言っていた河田さん。イベントを愛していた河田さんはどのようにコロナの時期をサバイブしてきたのか。まずは「自分で始めた」お話から聞きました。

中村 2005年末に広告代理店をやめた後に、河田さんはすぐ独立されたんでしたっけ?
 
河田さん いえ、やめた後はちょっとのんびりしてたんです。すると、取引先のイベント制作会社から「新規部門を作るから立ち上げを手伝ってしてほしい」と連絡があり、半年間だけ事務局業務部門の立ち上げのサポートしていました。
「オフィスともまる」という名前で個人事業主としてイベント業務をスタートしたのが2006年10月。社名の「まる」というのは小舟をイメージしていたんです。でも「ともまる」だけでは怪しいと思われそうだから、「オフィス」を付けました。
個人事業主でやっていけるんだろうか、仕事があるのだろうか、と思いながら、会社員時代の営業さんに「仕事やりまーす」と言ったら、細々と仕事が来るようになりました。
 
中村 すぐにイベント業を立ち上げたんだと思っていました。違うことをされていたんですね。
 
河田さん イベント制作というマニアックな仕事を、独立してやっていけるものならやりたい、とは思っていたんですが、商売として成り立つんだろうかと疑問にも思っていて・・・。
というのは、イベントってハード(設備)も関わってくるから。特に地方の場合、テント持っています、机持っています、なんて、ハードを持っているイベント会社が業務を請け負うことがほとんどです。東京や大阪ならフリーランスでも仕事はあるんだけど、田舎でハードも持たないフリーランスがやっていけるのかは分からなかった。なのでまずはイベント会社の下請けをしていたんです。

きょうの現場が、あすの新しい仕事につながった

中村 始めたばかりのとき、新しい仕事は、どうやって来ていたんですか?
 
河田さん いろんな人が「イベントしたいんだけど、相談に乗ってくれる?」と声をかけてくれたんですよ。例えば、前に勤めていた会社の音響さんが「役場が、イベントできる人を探している」と連絡をくれたことがきっかけで、週イチで役場に通い、イベント業務をするようになりました。
この仕事って、現場で人と知り合って、そこから仕事がつながることが多いんです。「今度こんな仕事があるからお願いします」と頼んだり頼まれたり・・・
 
中村 イベントの現場って、如実にその人が仕事できるかどうか分かりますもんね。現場でしっかりしている人に次の仕事を頼むというのはとても理解できます。
 
河田さん あとは思わぬ人からの紹介とか。
 
中村 いちばん「思わなかった」のは、どんな人でしたか?
 
河田さん 会社員時代に知っていた印刷会社の方でした。取引先の会社がイベントしたいって言っていると電話があって。一緒にその会社に行ったんですけど、なーんか違和感があったんですよね。仕事をしたんですが、不払いのまま逃げられたんです。

教訓、「違和感があるときには断る」

河田さん 独立して4年目、不払い金額は30万円ぐらいだったんだけど、自分はともかく、仕事をしてくれた外注さんには支払わないといけない。結果はゼロじゃなくてマイナスです。
その時に学んだことは「違和感がある時は断ろう」。「実業じゃないと感じる会社は危険」ということでした。
実業じゃないというのは、「自分たちはこんな仕事をしていて」と話してくれても、それで本当にお金を儲けられるのかなと疑問に思うところ。そこまで事業が大きくなさそうなのにPRで芸能人を呼んだりとか、ミョーに広告費をかけすぎじゃないかと思う部分があったりする。話を聞いて「これでビジネスが成り立っているの?」とすごく違和感があるときは、危険なんですよ。
 
中村 河田さんが踏み倒された話、覚えていますよ・・・。
では、創業時に「これは聞いてよかった」というアドバイスや、逆に「これは聞かなくてよかった」と思うアドバイスはありましたか?
 
河田さん 無視してよかったというアドバイスはあります。
事務所を借りたいと思った時に、何かの会で知り合ったビジネスコンサルタントに相談したんですが、固定費がかかるから事務所は借りないほうがいいと言われました。でもこの仕事はイベント用資材も多いし、事務所があったほうが便利なんです。その時、ビジネスコンサルでも私がやっている仕事のことは分からないんだな、プロのアドバイスでも役に立たないことがあるんだって思いました。
別のコンサルの方にも、「あなたがやっていることは毎回毎回オリジナルで効率が悪い。仕事をパッケージ化して、例えば“住宅展示場向けファミリーイベント”みたいなものを作って売ったほうが効率的だ」と言われたこともあります。でも、パッケージを作ったところで、お客さんが求めているものは毎回毎回違うから当てはまらない。全然納得いかなかった。
 
中村 みんなビジネスコンサルってどういう理由で使ってるんですかね?最近、コンサルは占い師みたいなものなのかなと思うことがあります。
 
河田さん 経営者って1人でやっているから、話し相手がほしいんだと思う。だけど、本人が「これ!」と思わなかったら役に立たないですよね。「やっぱ、地道にやるしかない」と思ったのよね。

コロナの2年間は暗中模索だった

中村 コロナのときはどうされていたんですか?
 
河田さん 新しいことをしないといけないと思って、オンラインビジネス講座を受けたりしていました。講座を知ったきっかけはあるオンラインイベントだったんですが、その主催者がさまざまなイベントをオンラインでやっている人で。手伝ってと言われたので一緒に仕事もしました。イベント業界以外の方と仕事をするとやり方が全く違うので、目からウロコの経験をいっぱいしました。
オンラインイベントに役立てようと思ってARのシステムを導入したこともありますが、なかなか売れずに2年でやめました。人間、わけ分からんものを、わけ分からんままやったらイカンな、と思いました。
コロナになって3年目、自分にできることをやっていこうと思っていたころ、仕事が戻ってきました。それが去年の9月ぐらいです。
 
中村 コロナの影響を最も受けたのがイベント業界だと思うのですが、何がいちばん大変でしたか。
 
河田さん 売り上げが立たないことです。助成金も出たけど赤字がどんどんふくらむ。先も見えない。かすかにあったリアルイベントの仕事も急にオンラインに変わって、すぐに対応を変えないといけない。2年間、暗中模索でした。
自分の仕事を考え直さないといけないタイミングなのかな、ならば勉強しようと思って、ビジネス交流会のオンライン会議に毎週参加していました。新しい道を探していたんだけど、まだ見つかっていないです。
コロナを経て仕事も変わってきていますよね、内容も、形も。自分も変わらないと。今年は自分の仕事の方向性を考えないといけないと思っています。

やらないほうが後悔すると思った興行

中村 「今後はこういうことがしたい」などはありますか?
 
河田さん 本当に私がしたいのは、香川や四国の人たちが知らないエンタメを持ってくること。「興行」なんですよ。まだ四国では知られていないけど、これ!と思う人を呼んできて、こっちの人に知ってもらいたいんですよね。
最初に就職したのは演劇や自主映画の興行のプロデュースをする大阪の会社だったんです。香川に帰ってもそんな仕事をやりたいと思っていたんですが、こっちのイベント会社はクライアントさんのイベント業務を請け負うことが仕事のメインで、ちょっと違った。
 
中村 興行は大変だという話はよく聞きますが・・・
 
河田さん 集客が出来なかった時にすごい赤字になりますからね。
でも私、やったんです。2014年に、ジャズに合わせてペイント(絵)を描くパフォーマーの方を呼んで、宇多津の「こめっせ」を借りて。

河田さんが主催者として手掛けたイベント「ビジブルサウンド」、2014年

河田さん チケットを何枚、誰に売って、と計算するとどう考えても赤字なんだけど、やらないと自分が後悔すると思いました。楽しかったです。それに収支はトントンだった。これで儲けるのは大変だなとは思ったのですが。
私、自分の企画を入れられるイベントのコンペには参加するようにしているんです。クライアントさんの目的に合うのは大前提ですが、自分がいいと思うエンタメ、パフォーマーやアーティストの企画を入れて提案する。いいエンタメを香川で公演できるのは楽しいです。「ものすごく儲ける」というのが自分にとっての成功ではないから。
 
中村 クライアントワークだけでじゃなくて、自分から仕掛ける仕事もされているんですね。
 
河田さん お金かかるよね(笑)。香川で自分のパフォーマンスをしている人もいますし、商売として成り立つ方法があるのかもしれないと思って、私もやっています。
 
中村 もし誰かに起業したいと言われたら、どんなアドバイスをしますか?
 
河田さん 漠然と「起業したい」という人にはすすめません。イベントの起業もすすめられないな。儲からないもん(笑)。そういえば「興行をしたい」って相談されたことがありますよ。
興行だけでは食べていけないから、その周辺のイベント制作のスキルを持って、並行して仕事したほうがいい。いくつかお金になる仕事を持っていたほうがいいと言いました。
でも、具体的にやりたいことが決まっていてマネタイズもできるという人がいたら、「早くやったら」と思います。すぐにはお金が入ってこないだろうから1年ぐらい生きていける貯金を持って。日本では事業を始めるのはそんなに大変じゃない。免許がいるわけでもないから、まずやってみたら?って。
 
中村 じゃあ次は、起業のあと、個人事業主から法人成りしたことについてお聞きしますね。
 
後編に続きます)2月17日(金)公開




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