見出し画像

30年前のウクライナ訪問・思い出・経験・印象8 オデッサからクリミアへ

「ありがとう、元気でね」
手を振り、後ろ髪を引かれながら遠ざかる。
さよなら、オデッサのみんな。そして駅へ。



オデッサからクリミアへ

ウクライナ、南部オデッサ(黄色)から南部のクリミア(赤)へ移動


今後の予定と予算

今後の予定は、1週間から10日で
クリミアのいくつかの都市を回り
モスクワまで夜行列車で帰る。

モスクワまでのお金は残さなければならない。
ルーブルとドルもあるが
どこでも両替できる訳ではないので
いつも節約するのは必須。


列車探し

オデッサ駅へ着くと、
クリミア半島のシンフェローポリ行きの列車を探す。

今回切符ない
いくつかの車両をあたり、
車掌に直接、掛け合ってみることにした。
(そうやっている人を複数回見たので)

列車代と駆け引き

プラツカルトヌィ(むき出しの寝台)車両の
車掌のおばさんと話が付いた。
が、ものすごく吹っ掛けてきた。
足元を見てる。
いつもやってるんだろうな。

これは鉄道会社の収入ではなく
車掌本人の臨時収入になる。
やけに欲張りなおばさんだ。

その時の自分の経済の状況を考えると、
その金額はちょっと厳しい。
(帰れなくなったら大変だ。)

”そっちがそうなら、こっちもこういく”
一方的に騙される(馬鹿にされる)のはごめんだ。

騙し合い

列車が走り出すと、オデッサともお別れ。
寂しい気持ちと次の場所への期待。


しばらくして
車掌のおばさんは自分の所に呼んで
「さあ、払って」いう。
節約の為、背に腹は代えられないと、
金額を聞き間違ったと誤魔化した。
はっきり覚えてないけど、
その10分の1でも現地ではかなりの金額だった。

おばさんは怒って次で降りろと言ったけど
「ここで降ろされても困る」と答えた。
話し合いの結果:
代わりに他の人を席に入れるから
3段目の固い荷物の置き場の場所なら
乗っていてよい、と。
相手はこういう客に慣れてるのかもしれない。

後からどんどん人も乗ってきたので
おばさん、ほくほくだったようだ。
結果的に、ケチな東洋人を降ろさず
よけいに儲かったでしょ?


列車内の一期一会

同じスペースに
若いママと5,6歳の女の子が乗っていた。

話した内容は覚えてないけど、
ママと色々おしゃべりした。
前歯が2本抜けていた可愛い女の子は
人懐こくて明るく絡んできた。

時々何を言ってるのか分からない。
前歯の隙間から空気が抜けて
発音が分からないんだと思った。
「え~?」って聞き返していると、
ママが笑い出した。
「この子ったらロシア語とウクライナ語が
混ぜこぜ
だわ~」って。

あ、そういうことね。^^

可愛い子でトイレにまでついてきて
ちょっと困った。


だんだん暗くなり、夜になる頃、
乗客も増えてきた。
新しく乗客が乗ってきたので
最初に与えられた自分の場所を明け渡さねば。

今までおしゃべりしていたママが
怪訝な顔を向けたので少々きまり悪かった。
(貧乏な日本人、本当に日本人?と
思われたかもしれず、恥ずかしくなった。
説明すればよかったんだけど。)

一番上(3段目)の段へよじ登り
リュックを枕にして横になった。
「おやすみなさい」



計画している都市や町

その段階での計画では
行きたい場所は
  フェオドシア
  プラーネルスコエ(現コクテベリ)
  スダック
  ヤルタ
  バフチサライ
少なくともこの5か所。

クリミア地図、予定では最低でも赤★印の5か所を回ると決めた

ケルチ(右端の半島)を入れなかったのは痛恨。
(フェオドシアまでの2倍の距離なので遠いけど)

実は詳しい情報が何もなかった。
街の地図もなかった。
見どころも分からない。

人に教えてもらったり、
お店の絵葉書の写真を見たりして、
行先や詳細を考える。


シンフェロポリに到着

比較的最近の写真だと思う、下の昔の写真と比べると違っていて面白い

朝到着、列車を下り、バス乗り場を探す。
(いつ親子とさよならしたか覚えていない)

バスターミナル

駅のすぐそばがバスターミナル広場になっていた。
屋根はない。全てがぼろい。
広場は舗装してあるが、補修はしてない様子。
あちこち穴だらけのデコボコ。
バス停の標識と時刻表のポールが
あちらこちらにあるだけ。
向こうの方は雑草だらけ。
バスは古くて汚れたまま。
全体にホコリっぽい。
そんなイメージが残っている。
ソ連崩壊後すぐで、メンテナンスも行き届かなかったんだろう。

多分、ソ連時代の写真。絵ハガキかな? 緑が多い。
まだこんなバスも多かった。

  ソ連時代の写真は小ぎれいだが…↑
  訪問当時はソ連解体後の資金不足の時だった。

  


→バス乗り場

バスを待つ長い列がいくつも出来ている。
かなりの人がバスを待っている。
列に並んで待っている人達もみんな
それほどきれいな恰好ではない。
(というと失礼だけど)田舎な感じ。
(田舎は好きだし、
自分もきれいな服装はしていない、
のでこれは批判ではない。
逆に懐かしい感じ。)

目的のバス停を探し回ってやっと見つけて並ぶ。
かなり長いこと待った。
シンフェローポリ駅の高い時計台を
ひたすら眺めながら待っていた。
とても暑かった。

時計台、バスを待ちながら眺めた


バス待ちの列も長くなった。
エネルギーが消費される。
待つだけに疲れるのは勿体ないが仕方ない。

別の列に東洋人が

誰とも話さずバスを待っていた。
離れた別の列に東洋人が1人
並んでいるのが見えた。
クリミア半島を数に入れると
ウクライナにいた1カ月間強で
東洋人を見たのは3回だけだ。

日本人ぽい人を見ると話しかけることもあるが、
列が離れていたので今回はパス。

次にシンフェローポリに戻るのは
約7~10日後モスクワへ戻る時。(の予定)



フェオドシア行きのバス

しばらく待ってやっとバスは来た。
乗り込む。
混んでいて、予想通り座れない。
フェオドシアまで2時間くらい。

道路もガタガタでほこりが立つ。
そして、かなり揺れた。

あ、海が見えてきた…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?