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『ヴィシソワーズ』 <ショートストーリー>

作・Jidak

そういう目的ではない。
出会いのチャンスがあるかもって人もいるのは知っている。
私は違う。
彼にふられて時間ができただけだ。

家でふさぎ込んでるより、料理教室に通ったほうが、スキルは身につくし、おいしいものが食べられるし、元彼のことは一瞬忘れられるし、こんな有効な時間の使い方はないのだ。

今日はタコとトマトの冷製パスタと鯵のハーブグリル。
意識高い系おしゃれメニューに取り組んでいる自分が尊い。
せめてこの時間だけは、自己肯定感、高どまりしててくれ。

あの人も、この人も、振られた系なのかな。
一緒のグループになったメガネの彼、先月も見かけた気がする。
仕草や声がとてもやわらかい。
でも、手際は今ひとつ。
彼も振られた系なのか?

振られる側ばかりがお料理の腕上がっちゃうね。
不条理な世の中だね。
そんなことないのか?
パートナーに作ってあげたいクラスターのほうがメインストリームだったり?
ああ、主流に入れない私とメガネくん。
あ、一緒にしちゃってるな。
そうです、情緒、安定してません。

「来月のメニューはパテ・ド・カンパーニュとヴィシソワーズです」
先生が言う。
「ヴィシソワーズ」
つい、声を揃えて復唱してしまった私とメガネくん。
2人、顔を見合わせて笑う。

元彼と最後に会った時のレストランで出てきたのがヴィシソワーズ。
ヴィシソワーズを知らなかった私。
元彼は、そんな私を憐れみながら説明してくれた。
そして、その口調のまま別れを切り出された。
きっと、元彼を乗り越えるために、私はヴィシソワーズを履修する運命なんだ。

ところで、メガネくんは何で復唱したのだろう?
って顔で見ると、
「何ですかね?」と小声で私に聞いてきた。
「じゃがいものスープ的な」
「なるほど」

メガネくんの顔が輝いた。
じゃがいも、好きなんだね。
私はメガネくんを憐れんでない。
元彼もこんな感じで教えてくれればよかったんじゃないか。

次のお教室。
私は体調が今ひとつで参加できなかった。
ヴィシソワーズ単位、取り損ねた。
つまり、振られた状態から次の形態へとうまく移行できていない。

そんなある日、会社に新しい上司がやってくると言う。
他業種からの転職組で、超クールなやり手との噂だった。
厳しい人苦手だな、ワークライフバランス崩れるのいやだなって思っていたら、
やってきたその人は、なんとメガネくんだった。
でも、声は低めで口数は少なく、動きに無駄がない。
料理教室の時とはまるで別人。
ほんとにメガネくんかな。
まあ、私のことなんて覚えてないだろうな。

メガネくんのことは一旦記憶の奥底にしまい、パソコンに向かった。
「これを」
新上司が私のデスクにやってきて、紙を差し出した。
「はい?」
2つ折りになったそれを広げると、なんとヴィシソワーズのレシピだった。
「お休みされてたから。次回お渡ししようと思って持ってたんです。
 ここで会えるとは思ってなかったけど」
「え、ああ」
びっくりしすぎて、うまい言葉が何も出てこない。

「すっごいおいしかったです。このレシピ、間違いなし!」
その声と仕草のやわらかさは、紛れもなくメガネくん。

作る。
作ります。
ヴィシソワーズ単位、取らせていただきます。

(終わり)

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