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「人のためには戦える。」 ー エンディングノート ナビゲーター 赤川なおみさん【インタビュー】


特定非営利法人エンディングノート普及協会理事長。
エンディングノートナビゲーター・終活講師。
通称・あかさん。
「エンディングノートを書きたい、書けない」という多くの人の悩みを解決するべく、これまでに300回以上の講演実績、3,000人以上の方と出会う。
現在も続く認知症家族介護と、延命治療をしない看取り、延命治療をする看取りの4度の看取りを経験、そして周囲の方の看取り・看病・介護の経験を聞いていく中で、最期に”やっておけばよかった”と言わない、悔いのない人生を送ってほしいとの思いで、2013年協会を発足。
広島を拠点に、西に東にまたオンライン講座にと、精力的に活動を展開中。


4人の子育て、介護に、看取りに、ボランティアに。


―エンディングノート普及協会を設立する前からも、同様の活動をされていたのでしょうか。

いえ、全然違いました。音大を卒業した後は1年間オーケストラの仕事をしてましした。その後すぐ結婚して。24歳で長男を生んで、30歳までに4人の子供を産みました。だから30歳までは子育てに追われていましたね。みんながキャリアを積んでいる時代は完全に子育て中心の生活。その後、子供が大きくなるにつれ、子供がいてもできるような仕事を選んで働きました。イベント会社もあれば、地方紙のライターなども。夫は7つ上で絶対に仕事を休めない状態だったので、家事育児を完璧にこなしながら、在宅中心でできる仕事をと考えていました。もしかしたら、今どきのワークスタイルに近いかもしれないですね。

―その頃から家事に子育てに仕事にと、全てに常に全力だったですね。

そうです。やりすぎて倒れたこともありましたね。その頃は1ヶ月布団で寝ていないとかざらでした。長距離バスの移動の時しか寝ていないとか。
協会を立ち上げる前はボランティアの活動をしていました。ボランティアって、お金がなかったらできないんです。3.11の東日本大震災の時に痛感しました。あの時すごいやったんですけど、お金が手元にあったらもっとできるのにって思ったんです。ボランティアってお金がない人が苦しみながらやるものじゃないなってすごく思ったんです。

―協会というかたちで動くことで、お金に困ることなくボランティアができているという感覚なのでしょうか。

そうですね。昔だったら自腹切って赤字になりながら講演会に行ったとかもあったけど、そんなことは全然なくなったし、多少の収益で協会が回るくらいのトントンぐらいのところで行けるんだったら、何も不満はない感じです。

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stand.fmのイベントで、浄土真宗本願寺派 重光正向寺・櫻井光寿住職と。

お子さんたちはあかさんの活動をどう見ていらしたんでしょうね。

とにかくなんだか忙しそうという印象だったんでしょうね。「金にもならないことをよくもまあ」って思ってるんじゃないですかね。
Facebookで活動を発信していた頃は、娘たちもFacebookで私が今いるところを知るってよく言ってました。あと、周りの人に「お母さん何やってるの?」って聞かれて「さあ…?」ってしか答えられないって(笑)。
ただ「本当に困った時は、絶対助けてくれるって信じてる」って言われてましたね。学校で何かあったら率先して言いに行く「戦う親」だったし。「先生がそんなんだったら、もう学校行かなくていい!」って言ったり。
学校行かないも自主休講も我が家は全然OKでした。

―あかさんにはスーパー母性と、戦う強さの父性も実装されている…(笑)

私の前提は、「人のためには戦える。自分のことはあきらめる」なんです(笑)。
自分一人になると、自分の欲求は薄いのかもしれない。人がいないと力が出ないというか。

―お金のためだとモチベーションにはならない…

そうですね。なんか苦しくなっちゃうんですよね。儲けたほうがいいんだろうけど(笑)。
なんていうか、死にそうになって、どうしたらいいかわからないーってなって、相談に来る人が本当に多いんです。身内がいないとか、お一人様でどうしたらいいかわからなくて、前に進まない人があまりに多い。
それをビジネスでとらえてしまったら、「困ったら相談にどうぞ。来ないと何も与えられないよ」ってなると思うんです。でも相談もできないような大変な人が世の中に増えすぎてる。情報を取りに来なければ取れないっていうやり方をやっていると、どん底まで行って孤独死が増えてしまう。解決できない課題が山積みになってしまう。
だからNPOを選んだんです。私はエンディングノートや終活の普及は、ほぼほぼ啓蒙活動でいいと思ってるんですね。それをする人がいないと、気づく瞬間がなくなってしまうから。ずっと話し続けて、なんとなく聞いてもらうことで「ああ、そういえば、あの人あんなこと言ってた」「そういえばこれのことか…」って思って頂けるようになれればと思っています。

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―あかさんは常に対峙する人のサイドに立ってお話しされますね。あかさん自身の強い願望・欲求は? 

うーん… 自分のやり方を伝えたとしても、選ばれないことがあるのもよくわかってます。でも、「聞いてなかった」と言われるのがつらいんです。「知らなかった」「聞いてたらもっと○○だったのに…」というようなことを回避したいんです。私はとにかく発信するから、ぜひ聞ける状態にして下さいって思うんです。

―あかさん自身が過去にすごく困った体験があるのでしょうか?

いえ、ないです。私は全然自分で調べちゃう(笑)。
ただ、昔からおせっかいおばさんの塊だったんです。「自分が困っていることはみんなも困っているに違いない」みたいな。ただただそんな感じで、「伝えなくちゃ」と使命感みたいに感じちゃうんです。それしかないです。

―介護で看取った経験も関係してきますか?

そうですね。私が介護していた頃は、介護保険が始まったばかりの過渡期だったんですね。行政側に説明を聞いても、全く言っている意味がわからないとかそういうことばかりだったんですよね。

コロナ禍で活動が一変ー音声配信で得た仲間たち


コロナ禍で、講演などのそれまでの協会の活動が大きく制約されることになったかと思います。 

はい。講演活動がこの1年半でほぼなくなっていたんです。主催者が公共団体なので、コロナ禍ではすべて行事がキャンセルになっていたんですね。それもあって音声プラットフォームのstand.fm(スタンドエフエム)で、配信を始めました。


―これまでの講演活動の日々とは違う感じでしょうか。

そうですね。発見が多かったです。どこの業界も同じだとは思いますが、業界の中で連携はしていてもお客さんが見えていないということが起こりがちなんです。勉強会などの動きはあるのですが、基本的に同業者ばかりが集まって、ああだこうだ研究して。でもそこから出てきたものは「お客さん、そこ求めてないみたい」っていうものが多い。今回stand.fmを始めて一般の人の話が聞けたことで、それがわかったんです。現状は思っている以上に厳しいと思いました。
そして、話にはすごく共感して下さるのですが、行動にいたるのは本当に大変なんだと痛感しました。とはいえとにかく話をしていかないことには何にも進まないっていうこともよくわかりましたね。毎朝、定期配信をしているのですが、その時は何も反応がなくても、公式LINE等で「今日の朝のLIVEのことですけど」と、教えてくれることが増えました。一般の人が自分の気持ちを伝えてくれるようになるまでには、すごく時間がかかりましたね。

―時間がかかったのはなぜでしょうか?

私が「終活講師・エンディングノートナビゲーター」、要は「先生」という見え方になってしまっていて、先生だから友達じゃないから、だから意見を言いにくい。
ほんとはフラットにはいきたかったんです。だから広島弁で話すスタイルを選びました。でも同時に肩書きも必要だった。なぜかというと、「なぜそんなに終活のことを語っているの?」と言われた時には、自分には介護士や行政書士などの資格はないので、それ以外の肩書きを背負っていくしかなかったんです。
「何をベースにあなたしゃべってるの?」とよく言われるんですよ。「弁護士なんですか」とあちこちで聞かれて。やっと積み上げてきた今の位置なので、それしかないので、それを言っていかないと、あれこれしゃべったところで、「おばちゃんが体験談をしゃべってる」となるのは困るので。
今始めて1年ちょっとですが、たくさんの仲間ができましたね。直接私を知らなくてもその方の知り合いが悩んでいる時に、「あかさんに聞いたらいいよ」と言ってくれるようになったのが一番ありがたいです。

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どの講演も全力投球。「伝えなくちゃ!」の一心で。


―現在、発信が多岐に渡っていますよね。

はい、stand.fmとポッドキャストは英語版と日本語でやっています。英語でやっているのは、海外の方を取り込みたいというよりは、海外の方の死生観を知りたかったからです。聞いてもらってフィードバックをもらうことで、死生観が聞こえてくるかなと。それもあってなにか伝えてみないとと思って。
stand.fmで展開している「1分トーク」は、今後も何か使えると思っているので、最初から文字起こしを頼んでいます。自分でやっていては手が回らないので、そういうのは外注しないとっていうのはさすがに思っています。そして文字起こしのきちんとした日本語があれば、英語に訳してもらえる流れができていて、あとは私が(英語で)読むだけなんですけどね…(笑) そこだけは自分でやってみようと思っているんです。何か他にも使えると思っているので。少しずついろいろな反応が返ってきてくれるといいなと思っています。
協会のほうでも週2回ポッドキャストの配信をしています。1配信は15分程度で、現在30回くらい進んでいます。これも続けたいですね。あとは公式のLINEアカウント。これも私が書いています。あとはTwitterですね。

―あの、あかさんはやりすぎ、がんばりすぎなんじゃないですか(笑) 

ああ、よく言われます(笑) 拾っちゃいます、いろいろ(笑) なんかね…(笑)。 そして用件は増えます、ループは永遠に続きます(笑)。 そして寝込む(笑)。

―ああ、人生のどん底だ!っていう体験はありますか?

ありますあります。アルコール中毒になるかと思った時期があります。10年ぐらい前かな。原因はお金。私みたいな人によくありがちな貸しちゃうってやつです。夫にも言えないし、家にいたくない、督促の電話がすごいとか、でもどうにもならないっていう時期に、やっぱりお酒に逃げてる時期がありましたね。
お金が返ってきて精神的に安定するまではだいぶかかりましたね。
私は鬱になったりはないんですね。だから何かあるとお酒に逃げそうになるっていうのはあったんですけど、それでも家族が多いからなんとか。一人だったら危なかった。それに、否が応でも関わる人が多いのが幸いだったんですよね。誰も声をかけてくれない、誰にも会わなくていい生活だったら、どっぷり浸かっていたでしょうけど、「今日ここに行かなくちゃ」「今日はあの人に会わなくちゃ」って感じだから、飲んでられない時間帯もあって。

―どうやって切り抜けたんですか?

それも、私と同じ人にお金を貸して超困っている人が私に相談してきて。私はあきらめかけていたんですけど、困ってる人が言ってきたからやっぱり取り返そうってことになって。その後にも3、4人出てきたんです。それで「私がここであきらめちゃだめだ」ってなって。

―やはり、周りの人を助けなくちゃという思いで…

そうですね。皆さんが困ってなかったら取り返してなかったと思います。

―もしかして、ご主人はそれをご存知ない?

あ、いえ、その当時倒れて入院したんですね。で、入院期間が長くて、支払いの時期が来ちゃって、その時に「なんでこんなにお金がないの?」っていうのが家族にわかっちゃったんですね。
でも夫は仏みたいな人なので、「気づいてあげられなくてごめんね」って言ってくれて。
かといって、その後それで夫婦関係が大きく変化したというのはないんです。もともと結構呑気な人なんで(笑)。でも「やることはやらなくちゃいけない」って自分の中に課しているものはあります。家のこと介護のことで絶対文句を言わないとか。

よく生きるための’生前葬’プロジェクトを

―今現在、最も注力しているのは、Stand.fmのお仲間と展開されている「ド派手に!生前葬プロジェクト」ですね。

「ド派手に!生前葬プロジェクト」は、クラウドファンディングで目標額を期日前に達成。現在は12月18日の当日にプロジェクトメンバーが討議を重ねている。


はい。ただこのプロジェクト自体は、これからやっていきたいことのある一つの見せ方・ツールでしかないと思っているんです。
一般的に、生前葬をやるのは葬儀屋さんや終活を生業にしている人たちだと思うんですね。そして、私は意外とこの業界の中では認められていないので、「僕たちも生前葬ならやったことあるよ」って思われがちなんです。だけど提供側が気持ちいい生前葬じゃなくて、みんながこれからも実現できるかもしれない形でやることに意味があるでしょっていうのを、業界の人たちに見せつけたいというのが、自分の根底にあるんです。
だから一般の人たちを巻き込んだ形で、手弁当でビジネス関係なく終活のことを考えてくれる人たちと実現させたかった。こういう人たちがどんどん増えていくように世の中を変えて行かなきゃいけないのに、一方では資格ビジネスが重視されている。資格取ったからって、「あの人たち何してくれるんだろう」っていうところがあるんです。だからそういう業界の人たちとの差別化を図りたいというのがすごく大きいです。

―この「ド派手に!生前葬プロジェクト」は、その第一歩だと。

はい。今回はわかりやすいようにキャラクター(現代忍者羅希阿丸さん)にして、「ド派手に」と銘打っていますが、今後は「本当の意味での生前葬とは何か」を踏まえて、半年後または1年後に違う形でやりたいし、続けていってある形にしていきたいと思っています。


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「ド派手に!生前葬プロジェクト」メンバーの皆さまと。


―‘終活を考える’の中に、‘生前葬’が含まれるべきということですね?

はい。終活って「いつから?」とか「いつ、何をすべき?」というのが明確になりづらいんですね。
今、人生100年と言われていますが、100年生きたとして、いつでも誰でも会いたい時に会えるわけではない。たとえば90歳まで生きたとしても寝たきりかもしれない。
だから、ある程度区切りのいい時に、例えば会社員の定年のように、ある一定の歳になったら、生前葬の形で会いたい人を集めて感謝の気持ちを伝える会を催すというのもいいのではないか、そういう‘区切りとしての生前葬’が、誰でもできるようになったらいいねって思っているんです。
それと、私の住んでいる町内に棺屋さんの大きい会社があるんです。紹介してもらって会いに行ったら、人の死に向き合う感覚が私と一緒だったり、広め方とか会社全体の姿勢がすごく良くて、同じ町内だし同じ終活だし、一緒にやっていきたいですねっていう話になって。今回、12月18日の「ド派手に生前葬」当日にも、棺を展示して下さるんです。
でもそれを朝の定期配信でこのプランを話すと、「棺まではいらないでしょう」って言われて、シュンってなって(笑)。いろいろ厳しいですよね。

―私、棺桶、じっくり見たりしたことないです。興味津々です…

先日、町内の公民館で講座があった時に、棺桶をいっぱい持ってきてもらったんです。
公民館に受講に来る人ってそこそこ近い方ばかりで、そこに入るのが(笑)。
その中でも、前向きな方がすぐ入ってくれたんですね。で、そーっと蓋を閉めて。中の声は外に響かないんだけど、外の声はすごく聞こえるんです、棺桶の中って。みんながしゃべっている声が聞こえる中、自分一人棺桶に入っている状態で誰とも接しない空間に入ったその方は、バッと出てきた時に、「ああ、もうちょっとやることやんなきゃだめだわ。こうしちゃいられない」って思ったんですって。「こりゃもっと行きたいとこ行って、おいしいもの食べなきゃだめ」って言って出てこられて。
だから「怖い」と言って入らないままだと何も変わらないんだけど、入って、きちんと向き合った人は、本当に生きることを大事にするようになるんです。
だから生前葬も、区切りとして死に向き合うことで、あと30年何しよう、40年何しようって真剣に考えられるようになると思うんです。

―生前葬の事業を協会の活動のメニューに入れることで、「生きること」と「閉じること」がきちんと考えやすくなるということですよね?

はい。エンディングノートを書くだけでも覚悟ができるのですが、それって内省ですよね、自分でやって自分で片付くから。でも「生前葬」は誰かを巻き込むかたちなので、より覚悟が決まるんです。

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10月に渋谷で開催された「棺桶写真館」で、棺桶体感中…


理想の姿は、「あそこに行けばなんとなる!」

―今後の協会の理想イメージは?

本当にすごく困った時には「とりあえずあそこに声をかければいい」と思ってもらえるようになることですね。そうなれるように知られていることです。
私個人はもうそんな感じになっています。「そんなこと、私に聞く?」って感じで、ほんとに何でも聞いてきます(笑)。この間は音声がどうとかの収録の技術的なことを聞かれました。でもそういうのに答えていきたいんです。忙しい時も言われたからやらないとって思っちゃう(笑)。
だから、協会もそうなりたいんです。
孤独死の問題も、どんなに行政機関が目を光らせて見守りが発達したとしても拾えないと思うから。チラシをただたくさん配ったところで、「相談できてたら死なないって」って思うんですよ。だから、行政には相談できないけど「ここだったらもしかして」って思えるような存在になりたいんです。それが一番の目標。

―いろいろな助けを求める声が聞こえてくると、大変そう…

それを大変って思う時もあるはあるんですけど、私、スーパーポジティブらしいんですよね。

―今後も、「絶対やれる!」っていう、そういうポジティブな感じなんでしょうか?

なんていうか、「行ってみなくちゃわからない」っていう。ま、基本、何とかなるだろうとは思ってるかな。
今まではやってみて失敗して元に戻ってくるということが多かったですが、さすがに年齢と共にいったんは踏みとどまるようになりました。
とはいえ、他の人が考えている間にやっぱり前に行っちゃうから、結果出すのは早いのかもしれませんね。「ああ、もう考えてるぐらいならやってみるか」ってなります。

―息抜き、気分転換にはどんなことをされてますか?

スマホゲームと、ドラマ見ることと、お酒飲むこと。それぐらいで全然オッケー。もやもやするって思ったらスマホゲームして、「あ、ダメダメ」って思って仕事して、で、お酒飲んで、みたいな(笑)

―活動する中で、「あとはこれが足りない!」というのは?

ああ、スーパー事務処理能力のあるスタッフですね。やりたいことも、やれたらよさそうなこと、いっぱいあるんです。ガンガン処理してくれるスタッフがいてくれたら、もっともっと加速して、思っているところへ行きつきやすいでしょうね。

―やりたいこととは?

ドラッグストアとホームストアに‘終活資格者’を置いて、高齢者の買い物支援が当たり前になるようにしたいんです。ホームセンターではモノがありすぎて買えないっていう高齢者が増えてきているんですよ。お客さんの要望がすごすぎて手が回らない。で「あそこにありますよ」と言っても聞こえない。パッケージが変わったらわからない、とにかく手取り足取りやってあげる必要があるんだけど、そんなことをしていたらレジが混むと。会社としては人員削減をしたい。だから紙を持ってきたら一緒に回ってあげられるように配置したいんです。一緒に回ってあげたら、その人の課題が見えるはずなんですよね。生活のここに困っているとか。それがわかったら地域の包括支援センターにつないで課題が解決できるようになるという橋渡しができたらと思っています。
何年か前から言っているんですけど、企業としては、人を雇うなら品出しから何からできる人しか置きたくないと。かといってボランティアでやらせると、おせっかいすぎてダメっていう人が出てくるんです。そこらへんがどうしようかと悩んでいます。やはり自分たちの思いがわかる人を育てて配置するしか、ということなんですよね。

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どこへ行くのも着物。この日は茶目っ気のある猫の帯で。



―最後に、あかさんの死生観が聞きたいです。

悲しいとか寂しいとか辛いとか怖いとか、死をなんか遠ざけることが多いけど、人として生まれたら当たり前だから、って思います。誰が死んでも。そりゃ悲しいですけど、先だったか後だったかだけの話っていう感じ。ドライにとらえているかな。
「ああ、あの人が亡くなって、ああ…」みたいなことにはならない。
だからすごく冷たいと感じるんじゃないかと思うんですよね。

―意外です。もう少しハートウォーミングな話が聞けるのかと(笑)

でしょ(笑)。抱きかかえて一人では逝かせないみたいな、あんな世界は私は求めてないです。一人で行ってくださいよって感じがする。

―協会は、まだまだあかさんが中心になって動かしていく感じですか。

まだ今はそうですね。
資格云々ではなくて、人の話を聞いてあげて整理ができる人、何がこの人の課題なのかを見極める、その人自身が見つけていない課題を一緒に見つけられる、そういう人を育てない限りは、まだ退けないかな。

<終わり>

取材・構成・編集・文字起こし:Jidak

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