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歌芝居「飢餓海峡」原作・映画との比較

みなさんこんばんは、じごぽです✌︎
石川さゆりさんの曲でもお馴染みの、水上勉原作「飢餓海峡」に関して、小説版の原作と、1965年の映画の両方を履修したので記憶の新しいうちにメモをば。
ちなみに履修順は、歌芝居→原作小説→映画です。

両方を見た結果、歌芝居がそれぞれのいいとこ取りでできていることに気がつきました...☺︎
そこで、(多分に主観を織り交ぜながら、)歌芝居「飢餓海峡」の歌詞とセリフのどの部分が原作寄り、映画寄り、歌芝居オリジナルなのか、一つ一つ見ていきたいと思います💪

まずは表記ルールについて◎

①青色は原作にしか見られない、または原作に忠実・寄った描写
②黄色は映画にしか見られない、または映画に忠実・寄った描写
③ピンクは歌&歌芝居特有の描写
④無色は原作、映画に共通する描写

です🙆‍♀️ 
歌詞と台詞は耳で聴いて書き留めてるので、間違ってるところがあったらすみません...それでは✌︎

初っ端からだよ〜!!!!!

原作を先に読んだんですけど、原作はイタコの描写って本当に少ないんです。
八重と犬飼が出会ったトロッコ列車(後述)の中で、チラッと出てくるくらい...八重が「母の三周忌でイタコさんを呼んで、死んだ母の声を聞かせてもらったの。」と話し、犬飼は死人が話せることがあるのか、と何かに怯えギョッとする、というような描写、以上!

だから、イタコさんとか人形とかは、映画でたくさん出てくるんだろうな〜と思っておった。なんてったって、うぃきぺでぃあさんには

歌詞は映画版に準拠したものとなっている、これは原作にはない爪の件からインスピレーションを受けた作詞のため。

って書いてあるんだもん。
ところがどっこいなんです、、、映画版では八重の母の三周忌と思われるまつりごとでイタコが八重の母を「降ろす」様子を、犬飼が覗き見るシーンがあるのみ。イタコがよりリアリティを持って犬飼の脳内に焼き付く様が描かれているにすぎません...。

に、人形とは!?!?!?😅😅😅ってなりません?心のおじさん出ちゃう...ので、調べました...。

あーーーん!でも待って、そもそも、前提の話からしなきゃいけません!「飢餓海峡」では、北海道から函館を通って青森は下北半島、そして八重の上京に伴って東京、物語のラストは京都舞鶴、という風に舞台が移り変わっていきます。

物語の発端となるのは、青森と函館を繋ぐ連絡船の転覆事故とおんなじ日に起こった、北海道岩幌町(モデルとなったのは北海道の岩内)を焼き尽くした大火。この火事が、実は強盗殺人放火事件だった、というところから始まります。 ねぇ、知ってました?「飢餓海峡」ってミステリ小説なんですよ、さいこう...。

特に気にせず書きたいところを書くので、ネタバレ嫌いな方はご注意ください☺︎
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以下、「飢餓海峡」を聞き馴染んでる方は薄々ご承知かと思いますが...あらすじ。
物語ではまず、連絡船の転覆事故、数の合わない乗船者と死体。そして岩幌町の大火、強盗殺人放火事件の初期捜査から、網走刑務所を出た木島・沼田とその同行者"犬飼多吉"に容疑者が絞られ、捜査が北海道から青森へ及んでいく様が描かれます。

舞台は青森に移り。お歌の主人公である杉戸八重ちゃんは、下北半島、大湊で働いている娼妓ちゃん。
お母さんの三周忌に実家に戻って大湊へ帰るその道中、トロッコ列車で大きな男と出会います。それが、容疑者たる犬飼多吉でした。これをきっかけに犬飼と一夜を共にした八重は、去り際の犬飼から大金を受け取ります。この金は八重の人生を変えました。母の葬式のために負った多額の借金も返し、晴れて自由の身で上京。

八重は警察が犬飼について何度も聞きにくるあたり、これは悪い金かもと勘づきつつも、犬飼への感謝の心を募らせていきます。
10年後、八重は働いている亀戸の遊郭で、犬飼の写真が載った新聞記事を見つけます。彼は食品会社の社長となり、3000万円を刑余者の更生事業資金に寄付するような、立派な篤志家となっていました。樽見京一郎、と名を変えて。

遊郭の営業停止が命じられ、八重の仕事場も閉店が決まりました。八重は身の振り方を相談したい人がいる、と話し、一張羅のワンピースを着て樽見のいる舞鶴へ出かけていきます。
そして...ご存知の通り、八重ちゃんは、何年間も恩を感じ、わざわざ礼を言いに出向いた樽見に殺されてしまうのでした。しかも、知りもしない樽見の書生との心中に見せかけて。ちゃんちゃん。

お歌はここでおしまいですが、もともとはミステリ小説なので、ストーリーはここからが熱い展開です。どうやって樽見が八重を殺したことを証明するのか?そして、どうやって10年前の事件の真相を暴くのか...?樽見(犬飼)の身辺の調査から、彼の生い立ちや性格が垣間見えてとっても面白いのでぜひ読んでみてね♡ 犬飼さん、めちゃめちゃ貧乏な家に生まれた苦労人だし、母親への孝行を欠かさない成績も優秀な好青年ですよ。そういうところまじ好き...大刺さり...。わりと結論の方向性が原作と映画で違うので、(私はこの点に関してはめちゃくちゃ原作推しです) まぁ、それぞれ見てみてほしいです💪
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何の話????????
あ、思い出しました、イタコの人形って何???って話です。
そもそもイタコというのは、東北の北の方にいる巫女さんのことで、「口寄せ」と言って、死者や祖先の言葉を生きている人に伝えてくれる職業の方達の総称です。1番有名なのが、物語の舞台でもある下北半島の「恐山」のイタコさん。
そして、イタコさんが扱う「人形」というのはどうやら、「おしら様」という御神体のことのようです。おしらさまは、この地方で信仰されている家の神、蚕の神、馬の神と言われる存在で、桑の木で作った棒状の人形が御神体となるそう。御神体は各家に男女1体ずつ、対の状態で存在していて、イタコさんはこのお人形さんを遊ばせる、「おしら遊び」という儀式も執り行うのだとか。
>>文化遺産オンライン・おしらあそび

歌詞の中の「人形」がこのおしら様のことなのかは、定かではないのですが、男女の対の人形、というところに犬飼と八重を重ねて、勝手に刺さって頭を抱えています。ありがとうございました。
ワンフレーズでどんだけ喋るん???次!


波の音が、つい今しがた犬飼が越えてきた、寒く恐ろしい飢餓の海峡を思わせますね...🥲
函館から青森、仏ヶ浦まで、犬飼はその手で木の葉のような小舟を漕いで何とかたどり着いたのです。。。その間に、恐ろしい殺人が、2つ...😌

大荒れの海峡を渡り切った犬飼は、大湊へ向かうトロッコ列車で八重と出会います。
さて、こっからは原作のみの描写!
犬飼が懐から取り出したタバコ、しわくちゃのピースを、八重はジィッと物欲しげに見つめるんです...きゃわいいね、八重ちゃん...配給タバコの時代に滅多にお目にかかれない貴重なピース、いいなあって思ったんだよね...。

犬飼は正直に言えば女にも飢えていますから、若々しくて白く美しい八重には(下心的に)優しくなります。八重ちゃんかわいいしね。ピース、箱ごとあげちゃう✌︎ まぁ、たぶん強盗で手に入れたタバコですしね。そんなに未練ないかもね。

それに対して八重は、持っていた握り飯をあげました。当たり前にお腹が空いている犬飼は貪るようにその握り飯を食べ、八重はその様子を、近くで見ると案外人懐こい瞳をしている、なんて思いながら眺めるのでした。

映画版では、犬飼がタバコをあげるのは見知らぬお婆さん、しかも犬飼は「俺は飲まねえから」と言ってあげてしまうのです。この描写な〜〜〜私はタバコ吸う犬飼のが好きだし、八重に下心で優しくする犬飼のが好き...。
ただ、婆さんが床に落ちてる吸殻を拾ってキセルに詰めて一服し始めるのをみて、持っていたタバコを箱ごとあげる、という「犬飼の根の優しさ」みたいなものはすごく上手く表現されてると思いました。

まあそれで、このひと、優しいな〜🥰って思っちゃうわけ、八重ちゃんは。単純なの、おぼこいねえ。
そんな犬飼が(原作では数日後、映画では当日?)、八重が働いている娼館へふらっとやってきます。家形っていうのは娼婦が働いているおうちのことだよ〜う!


この辺って、どの時点の視点なんですかね。感覚的には樽見に会いに行った時、とか、空白の10年間、とか、その辺りなのかしら。

家形の八重のお部屋から、雨降る下北半島、恐山を眺めている描写はあるし、音も映画っぽい音なんだけど、この辺りの八重の犬飼への共感?のようなものって、私には原作からも映画からも特に感じられなかった。かも。
生まれも育ちも知らないしね。知ってるのはこちら(読者)側だけだもん。

だから、歌詞を書いた人の感性が大きく出ているところなんだと思う。すごいよね、「飢えた童子が2人並んで、毎日暗い海を見ていたような気がする。」って。だってさ、どこにもそういう描写があるわけじゃないんだよ。
この歌詞作った人の脳裏には、八重の感情がこういう風に浮かんでたんだって思うと、より歌詞の一つ一つに味がしてきてめちゃくちゃ美味い....。

さて、八重は家形にやってきた犬飼を大喜びで2階の自分の部屋に通して、甲斐甲斐しく世話を焼きます。お風呂入るでしょ?とか、髭剃ってらっしゃいよ、とか。
原作では、傷の手当てをしてあげるし、映画では、問題のアレです。爪を切ってあげるんです...。お手手だけどね!足じゃねえの、びっくり。足って!足って歌だけなの!?みんなこの曲まずここでビビるじゃんね?歌い出し聞いてまず「えっ!?」って言ったよね???なんで、何で足にしたのか本当に知りたい...作詞の人...。

ちなみにわたしは「手の爪」の解釈が鬼刺さりなので、勝手に手のことだと思って聞くようにします。だって、映画でほっぺにチクチク刺してみてる八重ちゃんがめちゃくちゃ性的だったんだもん。思い出してるやん。爪で。そんなことある???あれですかね?あの、うん、おてての感触をね?爪でね?うんうん。はい。思い出したんだよね。は〜!わかります!!! ...え!、?、足の爪!?いや足は、、、足はちょっと.........。ってなるので。手の爪で。お願いしやす。

あとね〜この、「犬飼に恋してる」みたいな情はねえ、私、八重ちゃんにはあんまりないと思うんよ。実際に一度だけ会って、夢中にはなってるし、でも本気で恋とか愛とか思ってた時間って、ほんの短い期間だったように思う。
実際、原作では会いに行く直前の八重の心境は

歳月がたってしまうと、八重はいま、犬飼多吉に対して感じるなつかしさと有難さ以外の何ものももっていなかった。

って書いてあるんすよ。これは照れ隠しとかじゃなくて真実としてこうだったんだと思う。一晩だけのお客さんを、間に波乱の恋も挟んでるのにそんな一生愛していられるわけないんだから。ただし、大恩人であるって思ってたことに変わりはないだろうけど!

だから、愛して、とか、地獄の果てまで連れていって、とか、そういうのは八重ちゃんのむごたらしい死を美化する装飾語です。
正直、八重ちゃんはものすごく無念だったと思う、けど、なんとなく、なんとなくだけど、それでも犬飼のこと許してそうだし、秘密を守り抜いたのに犬飼に殺されたことを「悪くない」と思ってそうって気持ちは私にもあります...。

この舟は木の葉舟、のくだりは飢餓海峡を渡っていたあの時の犬飼と、殺されて海に捨てられてしまった八重の双方を重ねた表現なのでしょう...えぐぅ。

この蝉の声も、映画内の音と同じな気がしました。舞台、夏なんだよな〜、なんてったって、台風がきて海が荒れてるんだもの。八重ちゃんが死んだ日も夏だよ、半袖の可愛いワンピース着てるもん。新聞記事を見つけた日も夏、映画ではスイカ食べてたもんね🍉
この話、寒々しいけどわりとずっと夏なんですよ...。

ここで出てくる話はおおよそし尽くした感がありますね!
刑事が何度も八重の前に現れる(間接的にでも)のは、原作だけです、映画では2回しか出てこん。何度も何度もとは!

さて、風鈴、金魚売り。またもや夏ですねえ🎐
こっから少女な八重ちゃんのワクワクタイムです💪
まあ書いてある通りだねえ。青のところは、映画ではちょっと違う表現になってた、まあほぼ同じだけど!
あと、、映画の八重ちゃんはあんまり賢くない感じなのかな。「けーよしゃ、こーせーじぎょ、う、しきん、に?」みたいな感じで辿々しく読みます。かわええ。
歌芝居で入ってるようなはしゃいだ笑い声って、映画の八重ちゃんのイメージ。原作の八重ちゃんは、新聞記事を見つけた時、「誰にもバレないように」って息を潜めるタイプです...。俺はそっちのが好き...。

不穏な音が入ってきますね。。。よくないことが起こりますよ〜って音...。
舞鶴市について、樽見さんのお家を何とか探し出して訪ねると、樽見さんの奥さんが出てきます。ねぇ、歌はさ、そこ省いてるの、都合いいよなあ!うまいよなあ!恋してる女に、相手の妻の描写なんかいらんもんね。

ここのさあ。ここの心臓の音、みんな気づいてた?🫀
八重が名乗って、犬飼は「八重って、八重ってあの時の、、まさか、、、俺が容疑者である、犬飼であったことを知る、唯一の、あの八重、、、?????」ってなってるはずなんですよこの時!!!ねええ。演出がうますぎて毎回ここで泣けてくる。しかも「犬飼さん」って呼んでくるのよ八重ちゃん。ひで〜よな。犯罪のために(?)名乗った偽名なんだもん、犬飼って名前は一生思い出したくなかったし呼ばれたくなかったはずなんだよね。

自分が気まぐれに大金を渡したことが、将来警察から逃げ延びた自分の首を絞めるなんて、ってぐるぐるいろんなこと考えて、心臓が早鐘を打ってる時間なんです...八重が前々から伝えよう伝えようって一生懸命考えてきたメッセージ、たぶんぜんぜん耳に入っちゃいないんです...

あ、ちなみに渡した金額は、原作は6万8千円、映画は3万4千円(なぜ半額???)です。借金3万円あったから6.8くらいないと困るよね。

さて、、、、否定しちゃったね。認めて、わざわざ礼を言いにきてくれたのかいって、今まで私について何も言わないでいてくれてありがとうって、それだけでよかったのにね。犬飼のくだらないプライドが2人共の人生を壊しましたね。

雷鳴、雨音。Twitterでは言ったんだけど、原作でもここで雨が降るの。でもそれは、足跡が云々、とか、目撃者が云々、とか、そういうアリバイ・トリック的な話のために降る雨(+雰囲気づくり)って感じな気がしたんだけど、映画版のここの雨は...めちゃよかったです...。

原作にはないシーンで、犬飼が花家の2階で八重と過ごしてる時、途中で雷雨になって2人で窓から恐山を眺めるところがあるのね。2人の奇妙な関係性が始まった晩に、窓を開けて雷雨を眺め、10年後、八重が樽見を訪ねていって話の途中で雷雨になった時には、樽見は席を立って窓を閉じる...2人の奇妙な関係はこじれにこじれてここで幕引き...ってことなんじゃないんですか!?どうなんですか!?お刺さり申し上げませんか!?ねえ!?なんなん!?!?

はああ、いいねえ、いいよねえ、飢餓海峡...。
否定されたことで混乱して興奮しちゃう八重ちゃん。。。私はお礼が言いたかっただけなの!あなたが犯罪者かどうかなんてどうでもいい、その証拠にそのことには触れないように話してるでしょ!って、悲痛な叫びが聞こえる感じが、しません、か...

はいはいはい、ここなああああああああああ!これ歌芝居だけの歌詞なんだよね、歌芝居じゃない方にはないの、ここの歌詞...。
幸せ知らずの、泥、の、中、、、ええん。
正直ね、ここもね、犬飼さんを愛しちゃってる八重ちゃんではあるから、じごぽの脳内で作り上げられた八重ちゃん像とはズレるんだけど、これ、これはこれで、刺さるよね...一途に犬飼がいい人だって信じこんで、「悪い金じゃない」って言葉がが嘘でもいい、あの人がいい人なのは私が知ってるんだからって、お金が手元にあったって、必死に貯金し続けて、日々体を売って必死に生きてきたんだよね...好きな人に殺されて、死体となって海に浮いてる八重ちゃん、空には星なんて見えないよね...うっうっ。。。って気持ちになります。たぶん歌のここではまだ死んでないんだろうけどね😂

八重ちゃんはね、いくつになっても色が白くて肌が綺麗な、いわゆる抱きたい感じのかわいいかわいい女なんですよ。花はそれでも白く咲くってさ、はぁ。むり。原作では白い一張羅のワンピース着て樽見さんに会いに行くの。はあ無理。映画では、黒に白の大きな襟がついたワンピースだよ、色白が引き立つね、はあむり。なんにせよ無理!かわい、そう、、、

前述の通り、恋しさに関しては映画系、と、作詞者の解釈かなって思ってます!
ていうかもう、一度は樽見さん、って納得しようとするもできない八重ちゃんんんんんん🥲 想いがでっっっかいのよ。

原作ではね、落ち着いて、お茶でも飲みなよって言われて飲んだ紅茶☕️に毒が入ってて死ぬの。
映画では、親指の傷🩹を見て本人だと確信して興奮しちゃって、犬飼さん!って飛び付いた勢いで揉み合いになって首絞められて殺される。
原作のが用意周到だし明確な意思感じるし酷いね笑

遣らずの雨、泣いてるみたいな恐山、この辺は先述の、大湊の花家の2階の八重の部屋で出てきた映画版のセリフです。帰ってほしくないなあって。言ってんのよね、かわいい。ほら見て、恐山が泣いてるみたいよって、窓から2人で眺めてさ、この時は確かに、通じ合ってたと思うのになあ。

殺して欲しいみたいなのは美的装飾と思ってるけどこの解釈はこの解釈でお刺さり申し上げって話は何度目ですか?省きます。まぁ、「首にあんたの手を巻いて」だから、映画版に近いのかな!

あとこの「戻る道ない」っていうのは、映画の初め方に八重の母の三周忌でイタコさんが「(三途からは)戻る道ないぞ〜」って何度も何度もめちゃめちゃ怖くいうシーンがある。し、それを八重が真似して見せて、犬飼がめちゃめちゃ怖がるっていうシーンがある。「あんた!怖いのか!?ふふふ、戻る道ないぞ〜!!!」って。八重の中では貴重な犬飼と(?)ふざけあったいちゃいちゃなワンシーンになるかと...。
あの時には戻れないし、もうあの一夜の時点からこうなることは決まってたのかも、ね。。。。

最初は死んでた人形が、今は生きてて、夢があるんだって。それって、生きてた人間の魂が、そっちへ移ったとか、そういうことなんでしょうか...。
八重ちゃん、死んじゃった八重ちゃん、叶えたかったのはどんな夢ですか...🥲


思い出してほしいんか、なあ、なあて、、、、。忘れてたわけじゃないよ覚えてたからこそ殺してんだもん、でも、あの時あんなに楽しかったじゃない、どうして殺したりするの?って、そういう気持ちなのかなあ...。


物語のラストについてちょっとだけ話しておくと、犬飼は追い詰められて逮捕されます。
彼の自供によれば、強盗殺人放火を犯したのは刑務所から出た木島と沼田で、自分は知らなかった。逃げる段になって初めて気がつき、まずいことに巻き込まれたと思った。海峡を小舟で渡っている時、2人が仲間割れして襲ってきたので、正当防衛で海へ沈めてしまった、金は、自白したって自分の罪にされると思い、自分のものにすることにした。と。
原作では、刑事たちもそれをすんなり信じますし、映画では高倉健が一生「嘘つけ!!!!」って言ってます。
ちなみに私はわりと信じてる派です。そのほうが終わり方が綺麗だから。

足早い秋風が吹き出した九月、津軽海峡、下北半島、函館と、現地調査が行われることになり、樽見たっての望みで北海道へは船で移動することになります。その移動中、樽見は船から身を投げて自殺します。飢餓海峡という名のこの海で、彼自身も生涯を終えるのです。

ほら、下北半島は雪ですよ、覚えていらっしゃいませんか、という最後の八重の語りかけは、夏のシーンばかりがつづくこの物語に不釣り合いなようで、八重の犬飼への「夢」を端的に表現した見事なセリフなのではないかな、と思ったり。

ふわっとさせちゃった。
飢餓海峡、気になった人はぜひ読んでみてね、このクソ長いブログをここまで読めてる人は、たぶん文章読むの苦にならないタイプだから普通に読めると思うよ。

それではみんな、またね!

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