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【追悼】僕は毛が生えるのが遅かった。

 僕は毛が生えるのが遅かった。
 脇毛は高校一年生16歳の時に生え始め、陰毛は高校二年生17歳の時にやっと生え始めた。皆さんの経験と比較すれば、僕の毛生えの遅さが分かるだろう。ネットで「ちん毛」と検索すると、それは第二次性徴期に発現するもので、男子の場合大抵は13歳頃、中1から中2のあたりで生え始めると書いてある。当時、まさに僕が中1か中2だった頃に読んだ保健体育の教科書にもそう書かれていたと思う。実際、その頃僕はトイレで、小便中に隣同士になった何人もの同級生の股間に黒く輝く物体を目にしてきた。その度に僕はその黒々とした深い森に戦慄し、思わずおしっこを漏らしそうになった。
 学校で教えられるものは(まだ10代の純粋な心にとっては)基本的に正しく「そうあるべき」ものとして存在している。今でこそ、そうは思わないが、当時の僕は「この年で毛が生えていない自分は正しくはないのだ」「人より何か決定的に劣っている部分があるのだ」と思わざるを得なかった。僕は僕自身の肉体、現にそこに真実として存在しているもの(存在していないちん毛という存在)という物的証拠によって「正しさ」や「普通さ」から「お前は否!」と烙印を押されてしまったのだ。その度に僕は「自分はなぜこうなのか」と悩み、それはその後の僕の人生のあらゆる場面で繰り返し問われ続ける、逃れ難い強迫観念めいたものを形作るようになっていった。
 学校生活で一番悩ましかったのが、宿泊研修や修学旅行などの「泊まり」イベントだ。人がどこかに泊まろうという場合に決して避けては通れないのが「風呂」である。集団での泊まりの場合、それは「浴場」を意味する。
 中学3年の修学旅行、僕は当日まで「どうにかして浴場に入らないで済む方法」を一生懸命考えていた。入浴時間間近に腹痛を起こし、寝込んだままやり過ごすか。風呂の悪口や風呂に対する怒りを言いまくり、周囲に「コイツを風呂に入れたら危ないことが起こる」と思わせるほどの、理由なき「反風呂主義者」を装うか。自分の髪の毛を切って、爪でギュッとやり、上手い具合にちぢらせた物を両面テープに貼り付けた「着脱式陰毛」を作っておき、入浴前にトイレで股間に貼り付けるか(当時は真剣にこれしかないと考えていた)。もっとも、僕は野球部を引退した後も頭を丸坊主に刈っていたので、実現不可能だった。母親の髪の毛をこっそり切るか、抜け毛を再利用すれば作れたかも知れないが、母親の髪の毛を股間に貼り付けるという行為は、何か大きなものに対する冒涜なのではないかと思い、さすがにできなかった。実際、そんなものを着けても、濡れて落ちるか、お湯にプカプカと浮かんでその辺を漂うことになり「特徴:無毛」の犯人探しが始まっていただろう。僕は証拠品である「着脱式陰毛」と自分の髪の毛の短さを武器にアリバイを立証しようとするだろうが「異議あり!」と立ち上がった時点で、ツルツルの股間を傍聴席に公開することになってしまう。いずれにせよ容疑者は一目瞭然だ。
 結果として、僕はその修学旅行では風呂に入ることになったのだが(タオルで隠せば済む話だったし、浴場の明かりが暗めで助かった)、初めての直視できる環境下で直視する同級生の陰毛は僕に目眩を起こさせた。「見よ、この陰毛の数々を!」と言わんばかりの陰毛の量と数だった。今思い出してもあのモジャモジャの中に吸い込まれそうになる。僕にとってそこは浴場ではなく、陰毛がたくさんあるところに何箇所かお湯が溜まっている窪みがあるだけの施設「陰毛場」だった。「なんて立派なんだ」僕は同級生たちの身体の成長、男性という生物学的な「性別」を持って生まれてきた人々の「性のダンス」に翻弄された。そして、それは単なる肉体の成長だけではなく「子供から大人へ」という精神的な、または後に経済的な人間の生きる道の真っ当なプロセスを思わせた。陰毛とは開拓の比喩である。おそらく、股間に黒いものを携えている彼らは今後、自分が歩むべき道を自分の手で切り開くだろう。友達を作り、恋をし、仕事仲間との関係性を構築し、お金を稼ぎ、結婚し、子供を授かり、幸せな家庭を築き上げる「人生の主人公」となる人間なのだろう。彼らは生まれ持った生のエネルギーを余すことなく爆発させる、生エネルギー爆発者たちなのだ。
 そして、さらに衝撃だったのは、同級生の中でも小柄で身体の成長が遅そうな人々でさえも、当たり前かのように「陰毛は生えていた」ということなのだ。当時から僕の背は少し高い方で、野球をやっていたこともありガタイもよかった。さらに言えば口が達者で頭も冴えていた。あらゆることにおけるセンスもよかった。
 だが、陰毛だけ生えていなかった。
 これほど情けないことがあるだろうか。僕はどうせならば背が低く、力もなく、喋りも下手で、頭も悪く、センスもないという「陰毛が生えていなくてもなんらおかしくない」特徴で溢れた人間になりたい。と思った。陰毛が生えていないことがなんのギャップも生まない。そんな自分でない自分を恨んだ。
 その出来事「同級生陰毛生え揃い」の一件があったおかげで、高校1年生の宿泊研修では「“普通に”浴場に行かなかった」(というかまさか高1になっても生えないと思っていなかったし)前述した稚拙な作戦、風呂の前の腹痛というレベルの低い誤魔化しや、反風呂主義者としての過剰な言動をすることもなく、“普通に”、ただただ浴場に行かず、部屋にあったシャワーで済ませた。風呂行こうぜと誘われたかも知れないが、僕は「いや、いいわ」と冷酷な人間を装い、適当にあしらったような気がする。
 その行動が直接の起因というわけではないが、僕は高校時代を「そんな感じ」で過ごした。つまり「みんなで風呂場に行こう!」という中、一人だけ理由もなく(理由はあるのだが)別行動をするというつまらない人間になった。だが、運悪くそれはそもそも性根に合っていたので、僕はみるみるうちにそんな感じを極めてしまった。何かに誘われても積極的には参加しない、例えば、まあこれはもちろん参加しないが、友達と銭湯へは一度も行ったことがない(陰毛が生え揃って以降も行ってないし、奇しくも、いつの間にか風呂が嫌いな反風呂主義者になってしまっていた)。カラオケやお泊まり会にも参加したことがないし、誘われることもなくなっていった。学園祭の打ち上げでクラスのみんなと焼肉屋には行ったが、その後の(ほぼこれが青春のメインと言える)「みんなで花火」には行かずに一人だけ帰ってしまった。その夜、クラスラインに送られてきた、夜の公園に火花が散り、若い男女(陰毛が生え揃っている)が楽しそうに笑っている写真は「とても美しかった──」
 卒業式の後のパーティーにも参加しなかったし、何度か行われたという同窓会にも一度も行ったことがない。高校で出会った人の中で連絡を取っている人物はもう一人もいない。僕は彼らのことが嫌いだったわけではない。むしろ好きだった。陰毛が生え揃っている楽しそうな若い男女が僕は好きだった。
 学園祭や体育祭、その他諸々の日常生活。同級生は皆、とても楽しそうに喋り、その場、その瞬間に一度しか訪れない青春の一幕を精一杯生きていた。陰毛がとっくの昔に生え揃い、陰毛が生え揃えたことによる「責任」の自覚。立派な大人であるという自負。そこから真っ直ぐな視点で展開できている未来。
「もう他に何も生え揃えるべきものはない男女」
そんな、身体的にも精神的にも大人の領域に足を踏み入れている彼らや、彼らに待ち受けているであろう未来は、キラキラと輝いているように見えた。
 高校3年生になり、僕もようやく陰毛が生え揃い「さあこれから陰毛パーティーを始めようぜ!」というときには、すでに周りのみんなは進学や就職など、自分の大事な将来について頭を悩ませ、これから始まる新しい人生に期待を膨らませていたのである。

 僕の陰毛が生え揃ったとき、もはや陰毛の話をしている者は誰一人いなかった。

 今になって考えてみれば、僕が参加してこなかった全てに、やはり僕は参加するべきだったのだ。なにも、花火やカラオケの最中に陰毛を披露する場面があったわけじゃないだろう(その後にそういう場面があったのかも知れないが)。僕は陰毛が生えていないことを盾にして、楽しむことや、悲しむこと、人生に訪れるさまざまな困難、パッショナートな物事から背を向け続けてきたのだった。
 陰毛が生えていないことが僕の首を絞めていたのではない。自分の「いつまでも変わらない楽しいもの」や「良いと思い続けているもの」を披露したときに、受け入れてもらえない可能性を恐れる心が、僕の首を絞めていたのだ。
 一人だけ陰毛が生えていない。一人だけ大人になれない。いつまでも同じ場所で足踏みをし続けている自分。昔、そこにいた人々はもうどこか先へ行ってしまっている。そんな自分への悲惨な哀れみを悟られないように、陰毛以外の「自分では高尚だと思い込んでいるゴミのような何か」にプライドを持ち、その道を行くことで、自分は劣っているのではなく、生まれ持った他とは違う才能を奮う異端者なのだ。という人格を獲得するためだけに青春を費やし、意味のない足掻きをし続けてきたのだ。ただ陰毛が生えていないだけの平凡な少年であることを恐れたが故に。
 同級生の陰毛のペースに合わせようと、陰毛以外の部分で上手く取り繕ったり「どうせ生えないのならば」と無理に何処か陰毛のない世界へ旅立ってしまう必要はなかったのだ。
 あの時、陰毛が生えていないことを隠さず、あるがままの自分を周囲に知らしめることができたら、僕はみんなから「子供」扱いされたまま「子供」であることを知ってもらいながら、好きなように気持ちよく生きることができたのかも知れない。

 僕は10月で25歳になる。陰毛が生え揃った今でも、まだどこかに本来生えるはずの毛を探している気がする。


 【追悼】
 あらゆるは選べない。
 僕の陰毛生えが遅かったのは遺伝的なものか、あるいは睡眠や食事などの複合的な要因によるものなのかは分からない。いずれにせよ、陰毛が生えるのは遅かった。それだけじゃない。顔や性別、身長や才能、親や環境なども選ぶことはできない。ただ、最初からそこにあり、僕らはそれで生きていくしかない。もしそれがどうしても嫌ならば、避ける方法は死ぬ以外ない。
 
 先日、親友が一人死んだ。彼に起きたことは「不幸」という他ないが、彼はそれを避けることはできなかった。なぜ避けることはできなかったかといえば、彼は事実、死んだからだ。死んだ人は生きていない。逆にいえば、生きている人はまだ死んではいない。生きているうちは生きていく以外ない。

 明日には股間に陰毛がびっしり生えていると強く思い込んでいられるうちは、生きていてもいいのかも知れない。
 ただ、そういう希望も長くは続かない。

 
 亡き親友に敬意を表して。

 2022/10/14 渡辺浩平


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