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輸血よもやま話

 書斎の壁には何枚ものパネルを飾っている。
 奇妙で目立つのはこれだろう。

  1990年9月29日、第38回日本産科婦人科学会北日本連合地方部会において、特別講演『産科婦人科領域における輸血の理論と実際』の冒頭で映したスライドの原画である。
 今なら「パワーポイントで簡単に作れる」と思われるかもしれない。
 が当時としては、研究室仲間の絵心のある高橋秀身博士を大いに煩わせてしまった、手書きの貴重な記念品である。
 このパネルの両側にも、お宝が飾られている。

Robert Royston Amos Coombs

 1945年にCoombsらは、Rh式血液型の抗体検出の目的で、抗グロブリン試験を開発した。
 ケンブリッジ大学で研究をしていた彼は、ドイツ空軍の空襲で地下鉄に閉じ込められた際に、この原理を考えついたと言われている。
 しかし抗グロブリン試験の発表後に、このような異種凝集素という考え方が1908年にMoreschiによって明らかにされていたことを知る。論文の最後には、次のような付記がある。
Addendum. Since this paper has been written, a paper by Moreschi (Zbl. Bact. 46, 49) has come on the notice of the authors.
Morschi in 1908 recorded some experiments to the agglutination of rabbit red blood cells sennsitized with a goat anti-rabit-cell immune serum (whichi in itself was too weak to cause agglutination), by exposing these washed cells to the serumu of a rabbit immunized against goat serum.
 1986年、ケンブリッジ大学の免疫部門主任の肩書を持つCoombs教授は日本を訪れて講演をしている。
『The antiglobulin reaction―its history, developement and application』
 講演では、クームス試験を開発した24歳当時のエピソードや、同席していた美人の奥様との研究室時代のロマンスなども紹介された。
 その後に行われた歓迎パーティーでは、この歴史上の人物と直に話すことまでできた。

(歓迎会におけるクームス教授と筆者)

 Philip Levine

 1939年にLevineとStetsonは、O型の産婦に同じO型の夫の血液を輸血したところ、重篤な副作用が見られたと報告した。このことがRh式血液型発見のきっかけとなったというのは、産科医として大いに興味の湧くところである。
 患者に輸血歴はなく、2度目の妊娠であった。
 軽い妊娠中毒症のほかに異常はなかったが、胎児の心音が聴取されなくなったという。
 妊娠33週で大量の性器出血とともに595グラムの浸軟児を分娩した。
 O型の夫から500gの輸血を受けたところ、10分後に悪寒と全身の痛みに襲われた。
 その後も出血が続くため、O型血液を二度(750g、800g)輸血され、最終的に子宮全摘術を受けた。
 患者は、夫の輸血を受けてから19時間後に、黒っぽい尿を排泄した。
 さらに6回の輸血受け、濃厚治療を続けたのちに軽快した。
 その後の検査で、患者血清は、夫の他にもO型104名のうち80名の赤血球を凝集することが判明した。
 その検査結果からLevineとStetsonは、父から児へ遺伝した抗原に対する抗体が母の血清中に産生され、それが原因で輸血副作用を引き起こしたのであろうと推測した。
 ちなみに、Philip Levineは、かの有名なABO式血液型の祖であるKarl Landsteinaerの素晴らしい弟子である。
 ここで、多分にミーハー的ではあるが、Philip Levineのサイン入り終了書(Applied Blood Banking)を披露する。
 色あせているが、これも家宝だ。

(最下段中央に、Philip Levineのサイン)

色あせしパネル写真を眺めつつ我が人生のピークかと想ふ

(医師脳)

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