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50年前 サロベツ原野を歩いて利尻島を見に行った

オイルショックで長期間の休業状態となり、それではと、北海道の親戚に遊びに行くことにした。
期間は10日間。
本当は、北アルプスとか、大雪山系などの山を登る予定だったが、いつ工場が操業するかわからないので、必ず連絡がつく所にいることが条件だったので、北海道のおじさんの家の墓参りを理由に、普通列車による10日間の貧乏旅となった。
おじさんの家は、枝幸町にあるので、どこから行こうが、普通列車では行くだけで2日ほどかかる。その頃は、浜頓別側にも線路があった。
お宝の、国鉄の駅がすべて網羅されている本にも載っている。
青函連絡船で北海道上陸は、中学の修学旅行以来だ。
お盆直前なので、函館も札幌も旭川も人が沢山だった。
名寄を過ぎたあたりから乗客も減り、景色も寂寥感がひしひしと染み出る。
なんとなく豊富で降りて、西に向かって歩いてみた。
小さな町で、すぐに原野になり、とりあえず海の方向へと歩いていると、軽トラックが止まって、どこにいくのかと聞かれたので、海の方に行ってみるといったら、途中まで乗せてくれるという申し出。

いかにも北海道の原野
そして牧場が点在していた


やめときゃよかったが、利尻島が小さく見えて、おいでおいでされた。
軽トラはしばらく走って牧場で止まった。日が暮れるので、気を付けろと言われても、ここがどこかもわからないので、とりあえず利尻島に向けて歩く。

軽トラを降りて間もなく牛の行列に出会う
夕食の時間なんだろう


道路を牛が横切り、牛舎に向かう。当然、止まるのは人間の方だ。
太陽が西に傾き、利尻の右肩の方に沈もうとしている。
とうとう、迷子になってしまい、進むも戻るもできなくなった。
小さな小屋だとおもったら、バスの停留所だった。

電信柱だけが唯一の目印
星が主役の夜だった


中は畳一枚ぐらい、窓も戸もある立派な停留場を宿泊所にした。
懐中電灯もない。上着もない。食べ物も水もない。どこにも灯りは見当たらない。さっきの牧場はどっちだろう。
とうとう、海に浮かんでいた利尻島も真っ暗な闇に沈んだ。
とにかく寒くて、じっとしていられない。
古新聞があったので、体にグルグル巻いた。
まさに「長い夜」だった。
翌朝も快晴だ。
こんなところに泊まっていたのか。

親子だろうか
黙々と船を出す準備をしているようだ

海まで歩いた。
漁師さんが二人、船を出す準備をしていた。
真正面には、利尻岳が朝焼けして、海に浮かんでいた。
涙が出そうになる風景だった。

浜にはゴミが散乱していた
利尻岳は神々しくみえた

トップの写真以外は、ゴミ取りも何もしていない。
その方が、50年前の心象風景に近い気がした。

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