遠慮ではなく配慮。最も簡単な平和活動。

雑音を立てない動作を意識することは、思わぬ効用をもたらしてくれることを実感。

先ほどカフェでPCを使った学習活動をしていたのだが、

自分の席でカバンから道具類を取り出そうとした時、ふと周囲に座っている人達が穏やかな雰囲気で学習しているのを感じた。

その時、思わず「出来るだけ物音を立てないように」と道具を並べたのだが、ゆっくりと精密な動作を心掛けながら、自分の心が整っていき、その後の活動が意外にも捗ったのに驚いた。

私はかなり雑な性格なので、乱雑にモノを取り扱い気味ではあるが、この時ばかりは「穏やかな空気感を損ねてはいけない」と思うことができたのである。

綺麗な場所でゴミを捨てたり汚すことが憚れるように、穏やかな雰囲気の中で雑音を出すのは野暮だと思えたのである。

面白いことに、慌てて乱雑な動作をする時よりも、丁寧な動作を意識した時の方が、準備時間も短縮できるようだ。

更には、その後に続く2時間程の学習時間の質も違ってくるので、

時短目的のつもりの乱雑な動作というものが、とんだロスタイム源となっていることに気付いた次第である。

私は茶道は未経験だが、茶道の一切の作法というのは周囲の空気感と一体になることや自分の中に穏やかさを育むことにあるのではないかとふと思えた。

これは気のせいかもしれないが、私がそっと静かに道具の準備をすることで、穏やかな空気感は更に穏やかになったように感じられた。

「空気感は伝染する」ということはかねてから感じていたことではあるが、少なくとも自分の所作や物腰が空気の汚染源にならないようにしたいと思った。

これは「空気を読んで自分の発言を差し控える」というのとは全く違うものだろう。

そういえば、自然な感じで自分の意見を発することができる人ほど、所作や物腰が穏やかで美しいことを思い出す。

逆に、周囲に嫌われまいと気だけを使い、自分の主張を飲み込み、場違いな場面でそれを発散する人ほど所作や物腰が乱雑で落ち着きのないものなのかもしれない。

このように考えると、「空気を読む」のが「遠慮」であり、物理的に雑音を立てないように動くことは「配慮」なのだと言えよう。

そして、遠慮の代わりに配慮を練習していくことで、自分が発する空気感も変わっていくのではないかと期待している。

普段から丁寧な動作を心掛けること。そのためには出来るだけ雑音を立てないように動くこと。それが最も簡単で効果的な平和活動なのかもしれないと思った。

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