生き方に免許や資格を求めなくていい

「愉快に生きたければ、愉快に生きればいい」

昨日、ある方との会話の中でこのことがとても腑に落ちた。

その方曰く、多くの人は望んでいる事があってもそのためにやっている事やあり方が大きく矛盾しているとのこと。

確かに、私の周囲を見回しても、本当にそう思える事例が多いし、私自身もそうだと気付かされて納得。

「愉快に生きたい」というのは、殆ど全ての人が願うことだと思うが、素直にそう生きている人は驚くほど少数派ではないか。

そう願いつつもそう生きてない人達の多くは、「そう生きるための資格」のようなものがあると錯覚しているのではないかと思う。

確かに、先行き不安に思える現在、資格ブームとも言えるが、

自分の能力を外部に証明してくれるお墨付きが欲しくなる気持ちは分からないでもない。

しかし、「資格」という自分以外の権威が認定するものに対して、盲信的になった結果、本来自分が自分自身に許可すればそれで事足りる事柄についても、無意識に「資格」を求めてしまうようになっているものかもしれない。

特に、自分の生き方という分野についてはある種、資格というより「免許」というぐらい強い自己規制をかけているのかもしれない。

「愉快に生きる」という根本的な自治権に関しても自分が最大の規制者となり「無免許でそれをやることは許されない」と思い込み、その免許を得るための課題を次々と課し、厳しい自己評定を行い、自ら諦めさせようとしているのは本当に滑稽な悲劇である。

物事は、案外シンプルなものだと思う。

愉快に生きたければ、自分の中から免許制度など撤廃し、

そのために今やれる最も簡単な行動からとり始めれば、

レベルの差こそあれ、何らかの愉快さはその瞬間から体験できるはず。

それに納得した今、早速それにチャレンジしているところである。

そんな風にゲーム感覚でチャレンジしていけば、深刻になる暇が勿体無くなり、ただただ真剣に愉しむ習慣が身についていくのだと思う。

「新常態」の模索と構築が盛んに行われている現在、嫌が応でも各自が自分のOSをアップデートせざるをえなくなると思うが、自身のOSのアップデートとは資格化しにくい重要なスキルではないかと思う。

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