1次感情に向き合う自己対話力はAIに代替されない必須スキルだと思う。

ある人が、
「自分の1次感情を素直に伝える」ということを意識したおかげで、感情処理の負荷が減らせ、物事がスムーズにいくようになったという話しをしてくれた。

この方曰く、人の感情は2段階で構成されるらしい。

まず最初に1次感情というものが起こり、
それを踏まえて2次感情が発露するのだ。

例えば、役所の窓口で大声で怒鳴っている住民は、
一見怒っているようで実は2次感情の表明であることが多い。

そもそも、その人が窓口相談に至るまでには不安や救いを求める心理が蓄積されているわけだが、

応対した窓口の職員の認識が、制度の当事者意識に欠けるものであったり、事務的で共感性に欠ける対応であった場合は、

その人の中で「蔑ろにされた寂しさや悔しさ」という1次感情が起こるのだ。

そして、「救いを求めたにも拘わらず自分の苦しみを理解されない」という欲求不満が爆発し、怒りという形で噴出するのである。

なので、その人の1次感情を無視して怒りという2次感情だけを鎮めようとするのは、より「分かってくれない」という欲求不満を増幅させ、火に油を注ぐことになる。

一方で、当の本人も感情の2段階構造を自覚せず、怒り自体が自分の感情の本質だと思い込んでいれば、自分自身を鎮火することが難しいだろう。
そうやってお互いに根本原因からずれた反応をしていくので、
トラブルが大きくなっていく。

この役所のケースでは、応対する側も相談する側も1次感情という部分を踏まえていれば、お互い蟠りを残さずにスムーズに事を運ぶことができたであろう。

だからこそ、自分の1次感情を自覚し、2次感情が暴走する前に素直にそれを表明する、ということが大事だということに納得である。

私自身、1次感情に向き合わず、2次感情だけを暴走させてしまった苦い失敗は数知れずある。

今から思えばとても愚かなことだが、「寂しい」とか「不安だ」とか「悔しい」という自分の感情を認める発言をするよりも、

「自分は悪くなく、お前に非がある。何故ならば・・・」
という2次感情に理論武装を乗っけた物言いで相手を屈服させる方が優秀だと思っていたのだ。

確かに、1次感情は自分が弱っている状態を示すものが多いので、
自己解決力を発揮するのが大人だという認識ならば、
こどもっぽい弱弱しい感情だという印象はあるだろう。

しかし、自分の1次感情を自覚せずに、激しい2次感情をぶつけて相手を支配し我を通そうとする方が、よっぽど未熟で格好悪いのではないか。

そう考えると案外、自分の弱さを自覚しそれを素直に相手に伝えられることは、ずっと強いし、格好いい。
しかも、相手を攻撃せずに自分の気持ちを伝えるので対話に繋げやすく賢明なやり方だとも言える。

ところで、「こどものような人」というと、「幼稚で未熟な人」と「素直に自分を表現できる人」という2つの意味に分かれるのではないか。

1次感情を素直に表現できる人は後者であるからこそ、
シンプルに自分の要望を分かりやすく伝えることができ、
その要望自体も相手から共感されやすいのだと思う。

そもそも、「さみしい」とか「不安だ」という感情を表現することはネガティブではなく、人間らしさであったり可愛気ではないか。

逆に、そこに蓋をして2次感情を用いて相手を揺さぶって操作しようというのは、「幼稚で未熟」な意味でこどもっぽいと思う。

しかし社会的に立派だと自負している人ほど2次感情を理論武装で正当化したがるような気がする。

ならば私は、立派であるよりも人間らしい方を選びたい。

「腹を割って話す」とは、1次感情を素直に出し、それを尊重しあうことではないか。

もちろん、なんでもかんでもそのまま1次感情を出すのではなく、
まずは自分の中で発生したその感情を見つめて認知する自己対話プロセスが必要だろう。

1次感情ときちんと向き合い、それを素直に表現するためにも
自己対話力を高めていきたい。そうすることで、他者の1次感情も認知しやすくなるのではなかろうか。

1次感情を理解することは、当分の間AIにはできない芸当ではなかろうか。
いいね!
コメントする
シェア


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?