日本犯罪史

日本の有名なところからマイナーな事件を追い、歴史を紐解いていく。

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最近の記事

八高線・正面衝突事故

終戦から9日後、八王子と高崎を結ぶ八高線で、列車同士が正面衝突。死者105人の惨事。 -経緯- 昭和20年8月24日午前7時40分頃、国鉄(現JR東日本)・八高線の列車上下線が多摩川鉄橋で正面衝突し死者105人(但し、戦後間もなくの混乱期であり正確ではない。それ以上とする資料もある)、負傷者150人前後の大惨事となった。 八高線は東京都下の八王子市と群馬県・高崎市を結ぶ単線の路線。終戦から9日後の混乱期であり、食料を買出しに埼玉県や群馬県の農家に出向く乗客で車内は相当混

    • 上大崎アベック連続殺人事件

      -経緯- 昭和21年5月3日、警視庁は東京都下目黒の元工員・川村健次郎(仮名・当時19歳)を殺人容疑で逮捕した。川村は同年3月15日夜、上大崎の庭園でデート中の工員・坂口一郎さんと高田波津さんに出刃を突き出して「金を出せ」と言うなり高田さんの喉を一突きして殺害した。 ついで同年4月9日夜、同じ場所でデート中の田中多美さんを首や後頭部などを刺して殺害。更に4月22日夜、同じくデート中の相田栄子さんの両手を縛り喉を一突きにして殺害した。この時、相手の男性に対して「お前も殺してや

      • ひかりごけ事件

        ※ショッキングな内容の為閲覧注意 -経緯- 昭和18年12月3日午後1時頃、日本陸軍・暁部隊所属の徴用船(陸軍に徴用された民間船で、部隊の食糧や燃料、弾薬などの軍需物資を運搬する業務。乗組員も任務期間中は軍属にあたる)の第五清進丸(約30トン)他計6隻の船団は軍の回航命令で根室港から小樽港へ向けて出航した。 回航コースは、根室港を出て知床半島を左手に見ながらオホーツク沖を北上、宗谷岬を迂回して一路小樽に向かうコース。船長をはじめ乗組員はサケマス漁を生業にしている漁師。小樽

        • 八つ墓村事件(津山30人殺し事件)

          -経緯- 昭和13年5月21日午前2時頃、岡山県苫田郡西加茂村大字行重字貝尾部落(現在津山市加茂町行重)で肺患を苦に極度な神経衰弱に陥った同部落の都井睦雄(当時22歳)が、猟銃や日本刀で祖母を皮切りに部落民を次々に襲撃。結果、30人を殺害、3人に重軽傷を負わせて近くの山に逃走した。 同日午前11時30分頃、警察や消防、地元の青年団約1500人余りが大規模な山狩りを行っていたところ、同村青山の荒坂峠付近で猟銃で自殺している都井を発見。自宅から2通、自殺現場から1通の合計3通の

        八高線・正面衝突事故

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        • 戦後昭和事件史
          3本
        • 戦前事件史
          13本
        • 平成事件史
          0本

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          脱獄王・白鳥由栄事件

          ※ゴールデンカムイのシライシのモデルとなった人物 -経緯- 昭和11年6月18日未明、殺人容疑で収監されていた(しらとりよしえ、当時28歳)は、青森刑務所(柳町支所)を脱獄し付近の山中に潜伏した。白鳥の独房を監視していた看守が、不審を抱いて布団をはがすと中には枕などで偽装し白鳥は脱獄した後だった。看守は、大慌てで上司に報告、直ちに青森市内に緊急非常線が張られた。一方、脱獄した白鳥は3日間、山中に潜んでいたが、食べ物を物色しに下山したところを警戒中の警察官に逮捕され再び青森刑

          脱獄王・白鳥由栄事件

          日本初の保険金殺人事件

          -経緯- 昭和10年11月3日午前2時30分頃、東京市本郷区(現、東京都文京区本郷)にある本富士署の派出所に徳田秀子(当時17歳)と充(当時11歳)が寝巻き姿で飛び込むと、「兄が強盗に殺された。早く来てください」と届け出た。 この急報で本富士署の警察官が同区の徳田ハマ(当時46歳)方に駆けつけると、長男で日大専門部歯科3年生の貢(当時24歳)が台所で全身に22ヶ所の刺し傷を受けて絶命していた。警察の取り調べでハマは、「午前2時頃、30歳位の男が台所から侵入して゛金を出せ゛と

          日本初の保険金殺人事件

          白木屋火災事故

          -経緯- 昭和7年12月16日午前9時15分頃、東京市日本橋(現東京都千代田区)の白木屋(しろきや)百貨店(地下2階、地上8階)4階の玩具売り場で火災が発生した。火は山積にされたセルロイド人形やおもちゃに燃え移り4階から8階までを全焼して午後12時過ぎに鎮火した。この火災で逃げ遅れた客や店員ら14人が死亡し500人余りが重軽傷を負った。 火災の原因は、修理作業中の失火であった。開店直後の午前9時、男性社員がクリスマスツリーに装飾している電球を修理したところ突然スパークして火

          白木屋火災事故

          坂田山心中事件

          -経緯- 昭和7年5月9日午前11時頃、神奈川県大磯町の通称・坂田山の山林でキノコ狩りしていた地元の人が若い男女の心中死体を発見した。男は学生服、女は錦紗の着物を着ており一見しただけで裕福な男女であることがわかった。 発見者の通報で駆けつけた大磯署の捜査官は早速現場検証を開始した。間もなく、男の学生服の内ポケットに入っていた遺書から2人は東京市芝区白金三光町(現東京都港区白金台)の調所(ずしょ)男爵家の子息で慶応義塾大学3年生の調所五郎(当時24歳)と静岡県駿東郡富岡の大資

          坂田山心中事件

          玉ノ井バラバラ殺人事件

          -経緯- 昭和7年3月7日午前9時30分頃、東京市南葛飾郡寺島町玉ノ井(現東京都墨田区墨田)の通称‘お歯黒ドブ‘と呼ばれる売春街の下水溝にハトロン紙に包まれた男の胸部が浮いているのを近所の人が発見した。 通報を受けた寺島警察署玉ノ井巡査派出所の警察官が現場に駆けつけると更に別のハトロン紙が浮いているのを発見。包を開けるとノコギリで切った跡がある男の生首が出てきた。 お歯黒ドブは東武伊勢崎線の玉ノ井駅(現東向島駅)から北に向かって200メートル程先にある売春街で、街全体が迷

          玉ノ井バラバラ殺人事件

          寿産院・もらい子殺し事件

          -経緯- 昭和23年1月12日夜、東京都新宿区弁天町で自転車に乗っていた葬儀屋A(当時51歳)を巡回中の早稲田署員が不審に思い職務質問をした。この時、自転車の荷台に積んであったみかん箱を調べると嬰児の死体がメリヤスのシャツとオムツに包まれていた。 早稲田署はAに厳しく問いただしたところ、嬰児の死体処理を依頼したのは「寿産院」の院長・石川みゆき(当時51歳)と夫の猛(当時55歳)であることを供述した。更に、今日だけで4体の嬰児の死体を運び、昨年の8月以来、20体以上の死体を処

          寿産院・もらい子殺し事件

          もらい子殺し事件

          -経緯- 昭和5年4月13日東京府板橋町(現東京都板橋区)の通称‘岩ノ坂‘の作業員・小倉幸次郎の内妻で小川きく(当時35歳)が「息子(生後1ヶ月)に乳を飲ませていたら誤って窒息死した」と近くの永井医院に駆け込んできた。早速、永井医師が診察した結果、赤ん坊の口元に手で抑えた痕があり死因が不自然だとして板橋警察署に届け出た。 警察は赤ん坊の遺体を東京帝大(現東京大学)で司法解剖した結果、手で口、鼻をふさいで窒息させた疑いが強まり、きくを逮捕して取り調べを始めた。その結果、「この

          もらい子殺し事件

          説教強盗事件

          -経緯- 昭和4年2月24日、近藤松吉こと妻木松吉(当時29歳)は東京府北豊島郡西巣鴨町(現、東京都豊島区西巣鴨)にある長屋の自宅で新聞を読んでいたところを、保険の外交になりすました捜査員に逮捕された。昭和に入ってから東京市民を恐怖に陥れた゛説教強盗魔゛の逮捕の瞬間だった。 妻木は昭和2年3月19日、豊島郡雑司が谷(現、豊島区雑司が谷)にある一軒家に押し入った。その犯行の手口は普通の強盗とはまったく異質のものだった。まず、深夜に家に侵入すると電話線を切断、電気のブレーカー

          説教強盗事件

          鬼熊事件

          -経緯- 大正15年8月20日の夜、千葉県香取郡久賀村出沼(いでぬま)の荷馬車引き・岩渕熊次郎(当時35歳)は、自分を騙した情婦・吉沢けい(当時27歳)に復讐するため家を出た。 自宅から3キロメートル離れたけいの住む同村高津原に向かう途中、最近けいと恋仲になった菅沢寅松(当時25歳)方に忍び込み寝ていた寅松をこん棒で殴り殺した。 つぎに、けいとの仲を邪魔した菅沼種雄宅を放火。この火事騒ぎに乗じて近くの多古(たこ)警察の駐在所から短剣を盗んで、けいが住み込みで働いている物品

          "ピス健"射殺魔事件

          -経緯- 大正14年12月12早朝、神戸市内の小料理屋に潜伏していた射殺魔゛ピス健゛こと大西性次郎(当時39歳)は兵庫県警の警察隊に踏み込まれて逮捕された。この時、゛ピス健゛は女装して蒲団に包まって寝ていたが、警官隊が踏み込むと、やおら起き出しピストルで反撃しようとしたが、間一髪のところで警察隊が取り押さえたのだった。日本国内を震撼させた凶悪射殺魔の逮捕の瞬間だった。 -凶悪犯行の幕開け- 大正14年11月9日午前4時頃、東京府荏原郡品川(現、東京都品川区)の小学校校長宅に

          "ピス健"射殺魔事件

          出歯亀事件

          -経緯- 明治41年3月22日午後10時頃、東京府豊多摩郡西大久保(現、新宿区大久保)に住む電話交換局長の幸田恭(当時31歳)は、「妻のA子(当時27歳)が近所の銭湯に出かけたまま帰宅しない」と最寄の駐在所に届け出た。 そこで、警察官や近所の人々が付近を捜したところ、銭湯の近くにある空き地で、濡れ手拭を口の中に押し込まれて絶命しているA子が発見された。死因は、乱暴された上に濡れ手拭による窒息死であった。警察は、強姦致死事件として捜査を開始した。 刑事達は、付近の居酒屋や労

          出歯亀事件

          天竜川・胆とり勝事件

          -経緯- 明治39年(1906年)9月10日、長野県平出村(現、辰野町)で酒屋問屋の住込み働きしていたお玉(当時16歳)が村境のコエド坂の田んぼの中で惨殺死体となって発見された。お玉は、9日前の9月1日、神社の秋祭りに出かけたのを最期に失踪していたのだった。 届出を受けた平出駐在所の巡査は、伊那署に通報するとともに現場に急行した。お玉の遺体は、残忍にも下腹部が切り裂かれ内蔵が露出していた。伊那署は殺人事件として捜査を開始した。 だが、警察の懸命な捜査をあざ笑うように11月

          天竜川・胆とり勝事件