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転がり続けるTHE PRESENTSという存在。


ロックンロールという言葉には、「転がり続ける」という意味があるとどこかで聞いたことがある。転がり続ける、振動し続ける。そんな生き方や存在に対して、胸に痛みを覚えるほど強烈に惹かれる。


THE PRESENTSというバンドを坂爪圭吾さんの記事を通して知ったのは2020年に入ってからだ。そしてつい数日前、まだ結成して間もないそのバンドは武道館に降り立つことを決めた。
「辿り着くのではなく降り立つのだ。」と坂爪さんのブログには記されていた。その言葉を目にした瞬間、単純にもこれは面白そうだぞ!!と食指が動いてしまった。
あぁ、動いてしまったらしょうがない。行動を起こさないわけにはいかない。

しかし……。
面白そう!!という動機だけで近づいていいのか。勝手に面白がるなんて、ご本人達に失礼ではないのか。そもそも私が何の役に立つのか。そっと遠くから見守っていればいいのではないか、メンバーの皆さんの発信を見ておけばいいのではないか。音楽のことなんか何も知らないくせに…etc

こういう時の思考というのは実によく喋る。でも…私は知っている!!
これは私の声であって私の声じゃない。思考というのは「内なる批判者」であって、心の声じゃない。「面白そう!!」と体が前のめりにぞわっとした方が自分の本音なのだ!!!
と、先日習った潜在意識についての知識を総動員させて心の声を聞き入れることに成功した私は、一晩悶々としたあげくにTHE PRESENTSのインタビューをさせてほしいと震えながら申し出た。

このどうカテゴライズしたらいいのかよく分からない欲求に、今だに戸惑っている。でもやりたいのだ。やりたいと思ったらやりたいです!!と言わないといけない気がしている。その結果何もできなかったとしても、意思表明することに意味があるように思う。
それが、常に一緒にいる自分に対して堂々としていられる秘訣なのかも…と最近気付いてしまったのだ。簡単だけどめちゃくちゃ怖いことに気付いてしまって、恐れ慄いている。


私は見届けたい。THE PRESENTSが武道館に立つその日までを記録したい。目撃者として、生きる証言者として、その日々を残してみたい。
それは恐らく物語になるからだ。物語が好きだ。誰にでもどこにでも物語はある。完成したそれを読んだり、聞かせてもらったりするのは素晴らしい体験だと知っている。でもそれじゃ何か足りない。これから転がり続ける新しい物語を追いたい。転がり続ける中で生まれる、生の声や葛藤や輝きを感じて文字に残したい。出来るかどうか可能なのかどうかは置いといて、そうしたい。
THE PRESENTSという生き物の中に潜り込む内偵者になりたい。自分でも何を言っているのかよく分からないが、そう思わせてしまう魅力が彼らにはある。好奇心と希望と恐れが入り混じった気持ちで今これを書いている。



前置きがかなり長くなってしまったが、坂爪圭吾さんが私の申し出を快諾してくださり、本日1回目のインタビューをさせて頂く運びとなった。
そして今、お話を伺いながらメモを取っていたはずのノートを眺めているが、緊張のあまり震える文字で断片的なワードが羅列されているだけで何の役にも立たないと判明して若干絶望している。しているが私は諦めない…!!
坂爪さんが最後に「どんな記事でも大丈夫!!PRESENTS関係なくてもいいっすよ!!」と爽やかに仰って下さったので、思い切ってそこに甘えさせて頂こうと思う。
メモをぶん投げて、自分で感じ取ったことを残していく回とすることで坂爪さんへの感謝と敬意を表したいと思っている。


坂爪さんが武道館を目指そうと思ったのは「分かりやすいと思ったから」と話してくれた。今まで音楽が好きでやりたくて、誰に認められなくてもいいやと思っていたけれど、と。PRESENTSは武道館へ降り立つ。武道館という存在を上にも下にも置かずフラットな関係性で捉える。

この「フラットさ」がPRESENTSが放つ独特の空気感を構成するひとつのように思う。アーティストとファン、演じる側と観る側。そういう境界線や垣根は無いよというメッセージをPRESENTSという存在からひしひしと感じている。

勝手にそんなメッセージを受け取っていた私は、件の「武道館に降り立ちます」という言葉を見た時に、「わ~、すごーい!楽しみ!!」という言葉が出そうになって飲み込んだ。
1000日間も楽しみに待っている立場で居続けるのか?自分にとっての武道館はないのか?ただただ輝きを受け取る側でいいのか?いつまでも憧れるだけの人生を送るのか?
そんな疑問を投げかけられたように感じた。すごいとか楽しみとか言ってる場合じゃないぞと思った。
これは私だけじゃなかったらしく、自分が挑戦している分野でPRESENTSの武道館降臨に巻き込まれたい!!という動きがチラホラあるようだ。
この、存在と言葉ひとつで巻き込んでしまう力を単純にすごいと思う。語彙力の無さなんか無視して、すごいと言いたい。まるで台風の目だ。


坂爪さんはPRESENTSというバンド名について、「自分の人生に最高のプレゼントを」という意味も込めていると話してくれた。
自分の人生への最高のプレゼント。それはいつの間にか黙らせ、眠らせてしまった自らの内側からの大いなる輝きだと。怖くて、謙遜して、遠慮して、叩かれないように、目立たないように、隠して、忘れてしまった輝きが誰にでも必ずあるはずだと。

この話を聞き、やはり彼らが武道館に立つのをただ楽しみに炬燵に入った気分でワクワク待ってるだけじゃダメだ!!と思い、心の中の炬燵を処分した。
自分の中にある輝きを無視して、外側からの光を浴び続けるなんて不自然だ。

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(奇しくも今日の昼に引いてもらったカード)


実際に武道館に立つその日まで何が起こるか分からない。何が起こるか分からない、説明のつかないことを一緒にやりたいと坂爪さんは言う。
これはPRESENTSの中だけでやればいいという話じゃない。恐さや恥ずかしさの向こう側にしか見えない、感じられないものがある。どんな流れになるのか、どんな景色が見えるのか、どんな気持ちになるのか、何も分からない。分からないけど一緒にやろうと言う。何も分からないからこそ一緒にやろうと言っているのかもしれない。

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その言葉が、みんなで一緒に生きようというお誘いに聞こえた。
それこそ上でも下でもなく、ただ手を携えてそれぞれの人生に最高のプレゼントを贈ろうよと言っているように感じた。

私には彼らが何かとてつもなく壮大で美しいものを作っているように見える。それは1人1人が内なる輝きを外に出すことで、織りなされていくように思う。
そこに1人、2人・・と共鳴する人が増えていくことで、もっともっと大きく美しくどんどん深みが増して、地球を包んでしまうような気さえしている。


私は楽器が弾けない。でも自分の体が楽器になる事を知っている。
私はステップが踏めない。でも身体が自然と動くのを知っている。

歌や踊りは人間の根源であり、ごくごく自然な欲求だと思う。
それはまだ小さな我が子達を見ていたら問答無用で分かる。この子達の身体から湧き上がっているリズムやメロディーを理屈で汚したくないなと思ってしまう。いつまでも自然な欲求に身を任せていてほしいと願う。

私だけかもしれないが、PRESENTSが体現してるのはそういう事だと思っている。未来に純粋な音楽を残す希望のひとつだと感じる。



植物を見ていると真っすぐだなと思う。ただ存在しているようで、しっかり主張している。「私は私です」と表明している。
ヒマワリは自らの眩しい黄色をくすませたりしない。薔薇は鋭い棘を隠したりしない。ハイビスカスは大胆な可愛らしさを小さく見せたりしない。
持って生まれたものをただ出しているだけだ。それだけで美しい。

坂爪さんとお話した後、そんな事を思っていたので久しぶりに花を買って生けた。
丸っこいフォルムの菊と、若干色の薄いヒペリカムを買った。どちらも完璧だと思い、嬉しい気持ちになった。


ここまで書いてみて読み返し、インタビュー部分がめっちゃ少ないじゃん!と焦る気持ちが大いにある!!あるけれど…。感じた事を書きたかったので、そのまま投稿する。


これは、転がり続けるTHE PRESENTSの内と外を私という定点を通過して観測する、定点観測日記(所感山盛り)のようなものだという位置付けにして終わりにしたいと思う。


(次があるかは神のみぞ知る!!とにかく一手を出すことが大切だ!えい!!)


坂爪圭吾さん、ありがとうございました✨












読んでくれてありがとう♡ 燃え尽きて死ぬまでの燃費代にします🙏