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NEW ME_2024年の幕開け

この度の令和6年能登半島地震で発生した大地震によりお亡くなりになられた方々に対しまして、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
なによりも一日も早い被災地の復興を心よりお祈り申し上げます。

元旦の夕方、新年への祝辞が飛び交う中、能登半島地震発生。
その地震もおさまらない中、翌日2日には、ありえないJAL機と海上保安庁機の衝突事故発生。

2024年が刻々と過ぎていきます。


心が痛い日々

お悔やみやお見舞いをいくらお伝えしても、虚しく感じるほどの災害や事故。石川県では、まだまだ余震が続き、厳しい寒さの中、不安な時を過ごされていらっしゃることと思います。

2日に起きたJAL機の事故は支援物資を運ぶ海保の飛行機との衝突。
なんということでしょう。

考えれば考えるほど心が痛く、日々、ニュースを見ても過酷な状況の中、被災者の救済と被災地の復興支援のために尽力されている方々は、どれだけの思いを持って現場にいらっしゃるのだろうと敬うことしか出来ない自分がいます。

時が過ぎます。
被災地には雪が降り出しています。

教訓

大きな災害がある度に学ぶべき教訓があります。
自然災害は身近にあるのだということ。
奪われた生命(いのち)があったことを忘れない。
悲しみはつらいけど決して風化させてはならない。

地震は防ぐことが出来ません。
予想や予測は出来ても日時を正確に言いあてることは出来ないのです。

日本はどこにいても地震のリスクがあります。
古くは関東大震災、その後も、
1995(平成7年) 阪神・淡路大震災、
2007(平成19年) 新潟県中越沖地震、
2011(平成23年) 東日本大震災、
2016(平成28年) 熊本地震、
2018(平成30年) 北海道胆振東部地震、
と書き連ねれば記憶がよみがえります。

振り返れば、数々の地震災害があり、そこへ豪雨などの災害が加わると私たちはいつも自然災害の影響を受けて生きていることになります。

その重ねてきた歴史は、どんな教訓を示しているのでしょう。

地震大国日本に暮らす私たち

政府の地震調査研究推進本部の発表では、首都直下地震や南海トラフ地震が30年以内に発生する確率は「70%程度」としています。

私は東京で生まれ育っています。

幼い頃から東京は地震が多く、子どもの頃に住んでいた家は古い木造平家で、幼いながら、地震が来たら姉と共に玄関のドアを開けるのが役目となっていました。でも、今思えば、それがちゃんとした知識からの行動だったかどうかわかりません。
ですが、木造の家の倒壊の様子を見ていると、屋内にいるよりは外に出た方がリスク回避と考えるか…
ただし、外に出たとしても、当時は、叔父の家や製本工場の建物が差し迫る様に建っていた環境でしたので、巨大なエネルギーを持つ大きな地震が来ていたら、どうだったでしょう。
家と家が隙間なく建てられている昔ながらの商店街に住んでいた環境でもありましたから、地震と共にひとたび火災が起きたらどこにも逃げ場はなかったことでしょう。

私が若い頃には関東大震災が常に掲げられ、9月1日は防災の日という意識を植え付けられました。

その後、1995年に阪神淡路大震災が起き、はじめてリアルな地震の被害をニュースで見ました。胸騒ぎがして朝方テレビをつけたら街が燃えている映像と地震が起きたという報道が目に飛び込んできました。
時間を追うごとに被害状況が流れ、
高速道路が無惨にも倒れた様子や、
町まるごと燃えている火災現場、
大きなビルが倒れ、斜めになったり道を遮断。
どこを見ても信じられない光景でした。

特に関西は関東に比べ、過去、あまり地震がなかったということもあり驚いたことを覚えています。あの震災の影響はその後、全国に大きなショックを与えました。

そして、今は南海トラフのリスクがあり30年以内の発生確率が70~80%(2020年1月24日時点)と言われるなど、日本のどこにいても地震大国日本に住む私たちは、いつ災害に巻き込まれるかわからない現実が目の前にあります。

私たちが出来ること

災害を前に私たちが出来ること。
一体なにが出来るのでしょう。

もちろん、被災された皆さんを支援する。
募金を送る。ボランティアをする。
大切なことです。

私もそうですが、被災地に実際のアクションを起こす前に、毎年起きる災害からの教訓や、今後を示唆する日本の未来を知っておかなければならない事があると思えます。

日本の未来は少子化が進み、経済もかつての日本とは体力が違うのです。

今回の能登半島の街を例に挙げても、珠洲市は本州で最も人口の少ない地域です。昨年、すでに能登には5月に大きな地震が来ていた後で、10月に放映された日曜美術館での芸術祭特集を見ていたことと、その後、実際、珠洲市に行ったことのある方から話を聞く機会があったので、知りましたが、珠洲市は過疎の町なのです。

関連のネット記事がありますので、リンクします。
「奥能登国際芸術祭」の仕掛けは、開かれた現代アート×過疎地

過疎化する町に未来と希望を、と始まった芸術祭の記事です。

下記は昨年、日曜美術館で知った2023年の芸術祭のサイトです。
「奥能登国際芸術祭」


人口が急速に減少する日本。

東京も人口変化で、そんなに遠くない未来には、山手線が10分おきのダイヤになると数年前に聞いて驚いたのですが、この数年間のコロナ感染対策により、実際に終電も早くなり急速に生活様式が変わりました。今はコロナが5類になり規制緩和され、またコロナ以前のラッシュが戻りつつありますが。この先どうなるのでしょう。

大きな都市でも人口減少の影響があるという中、日本全国、珠洲市のような町がたくさんあります。

そこに来てこんな大災害に見舞われたら町の存続でさえ困難になりかねます。

そこで思うのが、場所により出来る防災です。

大都市には大都市の防災。
地方の小さい町には小さい地区の防災。
それぞれに備え方はあるのだと思うのです。

東京のような街に災害が来たら、と考えると、これは個人レベルの認識では制御不能。無理です。至る所で一気に火災や倒壊、緊急的な救助が同時多発することが予想され、住んでいる町や区のマニュアルレベルでは立ち行かないでしょう。

地方の小さな町、過疎で高齢のお年寄りが多い町や介護施設がある町、その場所では、その場所ながらの観点で災害に備えることが出来るかもしれません。都会の様に隣に誰が住んでいるかわからないという状況ではなく、小さな町は昔ながらの関係性の結びつきも深く、きっと、助け合うことが出来る。災害が来る前に何が出来るかを少数精鋭の仲間で決めることも出来るかもしれません。

これはあくまで私見です。

そう願いたいと思う気持ちはあるけれど、そうは出来ないという実際の状況も多々あると思います。

でも、教訓を学ばないといけないことも事実です。
そして、今、見て感じている能登の地震や、少し前にあった東日本大震災、熊本地震を再考しないと教訓は生かされません。
どこの被災地も、その後は同じ状況です。
復興、そして再建。
壊れた街を立て直すのです。

それをやるのは誰でしょう。
国、各都道府県である自治体でしょうか。
集められた募金でしょうか。
ボランティア団体でしょうか。

同時に災害が起きたり、度重なる支援で日本自体が疲弊し、復興や再建が出来なくなる地域も出てくるでしょう。

そんな行き詰まった未来図を描いて嘆くより、災害が起きる前にできることはないか。それを考えることは無駄ではないと思います。

再開発

渋谷

東京も変わり続けています。
私が幼い頃に見ていた街とは違い、日々、姿を変えつつあります。

少しずつ良い方向に変わっていることもあると信じたいです。
街を整備し、テクノロジーの進化で免震化を備えた建物が建築されたり、防災備品なども昔とは比べ物にならないくらい長持ちする利便性のあるものが開発されてます。

実際、関東大震災の時に比べれば、東京は街の構造も全く違い、至る所に高層ビルが建ち並び、区画整理や再開発は行われている現状はあるけれど、昔ながらに消防車が入れないくらい道が狭く住宅が密集している地区もまだまだたくさんあります。
火災が起きたら消防車も入れないという街を再開発で整備するに至り、住民と協議を重ねた下北沢、麻布台ヒルズなどの事例もあります。
これは全てニュースや報道特集で知った情報ですので、まだまだ他にも再開発は進んでいると思います。

大規模で長期にわたる再開発もあります。
渋谷再開発。

渋谷は、いくつもの電鉄の乗り入れのため、建て増しで複雑化したハブステーションでした。その複雑さと老朽化を解消すべく、数十年かけて整備し直す工事は今も続いています。

その間に完成している災害への抑止となる施設もあります。

渋谷は、その名の通り「谷底」であり、水や排水の悪い状況である土地の在り方です。実際、昔からスクランブル交差点などで信号待ちをしていると悪臭が立ち込めていたり、どんどん水溜りがひどくなりという環境でしたから、どうしようも出来ない状況があったのだと思います。
実は、そんな「谷底」を改善するために、渋谷の地下にすごい施設が作られていたのです。

渋谷東口地下広場の下(ヒカリエとスクランブルスクエアの間あたりの地下)には貯水できる「雨水貯留施設」がすでに存在します。
この施設、略して「あめちょ」というらしいですが、2020年8月31日から供用が始まっています。巨大施設の規模は約4000トンという言葉ではなかなかわからないけれど、25mプール約13杯分の雨水を貯める施設があるのだそうです。

ものすごい力技です。
世界を見ても大都市を根底から整備し直すという街は他にはありません。
おかげで2013年に東急渋谷駅が地下化してから十年。
昔から渋谷を知っている人がすらっと歩こうとしても歩行経路が違うので混乱しまくるのは日常になり、渋谷は今も変わり続け、私もいつも迷い続けてしまうわけです。

新宿

この渋谷の再開発には賛否両論ありますが、全く変わらない新宿の西口などを比較すると、再開発は必要と思います。

ようやく新宿も西口のデパートが建て替えをすることになり、その後もいくつもの再開発の計画があるようなのでこれから変わっていくのでしょうけれど、昔からの不便さがあり、つながっているようでつながっていない地下通路があったり、新宿西口広場には老朽化したロータリーがあり、この光景は私が幼い頃から変わらない風景なので、これまたすごいことです。

調べてみたら、

「新宿西口広場は新宿の戦災復興計画の一環として建造され、1966年から存在する公共施設で、1960年代においては反戦フォークゲリラ活動の中心地であったり、1998年までは多数の路上生活者が段ボールハウスを作って暮らしていたなど、アンダーグラウンドな歴史を持つ公共施設」

と出てきました。

そう、私が幼い頃、この西口のバスターミナルを利用していたので記憶が鮮明ですが、ゲリラというかうな垂れた若者が屯していて怖かったという場所でありました。

再開発しなければ、そのうち災害で倒壊してしまう恐れもある老朽化したビルが立ち並ぶ新宿。

西口の先には、超高層ビル群が立ち並ぶ、新宿副都心があります。この間、所用があり久々に歩いたんですが、高層ビルの老朽化も心配。

元淀橋浄水場でなんにもなかったこの場所、最初に建ったビルは京王プラザホテル。1971年開業!だそうです。今年で53年経ちます。
渡邉くんとも歩きながら話していたんですが、高層ビルの立て直し、どうやるんだ?とか。解体出来るのか?とか。

昨年、浜松町の駅の前にある貿易センタービルがどんどん解体されていくのを真向かいの知り合いのビルからみていたので、ああなるのかと思いますが、いやはや、大変なパワーです。

新宿は計画では、2040年を目指して再開発が進むようです。

再開発の先に問題点がまるでないわけではないと思います。

ホテルやショップが入るビルもありますが、大概はオフィスが入る企業ビル、それだけの空間を埋める事が出来る体力のある企業が現在、そして未来の日本にどれだけ存在するのか…コロナの影響もあり、オフィスに空きが出ている状況も少し前にはありましたから、未来はそこも不確かではあります。

今、すべきこと

老朽化。災害。見えない明日に向かって進むのが、怖い怖いと思うだけではなく、災害はいつ来てもおかしくないのだと真剣に想定することの大切さも感じます。

でも、通常の生活はしないとならないし、全てを予測することは無理だし、いつも先のことばかりを考えて悩むというのも精神的にはよくないですね。

大きな災害が起きた時、それは地震もしかり、豪雨もしかり、感染症もしかり、コロナで全世界同時に起きた危機というレベルの災いも私たちは経験していますが、考えもよらない非常事態が起きた時、対岸の火事と思うなかれ、明日は自分にも起きうる事態なのだと考えて、何ができるのだろうと考えておくことが、私たちが一番しなくてはいけないことと思えるのです。

もちろん、被災地に向けて出来ることもあると思います。
家族、親族、友人、お知り合いが被災地にいらっしゃる場合は一刻を争います。やるべきことも違うでしょう。
ただ、未だ刻一刻と状況が変わり、余震も続く被災地を考えての支援に関しては、動く前に一考してからという姿勢を心がけないといけないと思っています。

国や行政、企業が出来ること

災害が起きた時、感じるのが国とそれぞれの自治体の連携です。
ちゃんと考えられているのでしょうか。
政治の世界もあれこれあって、いつも大きな役目を担う大臣はいつも変動していて、システム自体を把握しているTOPがどれだけいるのか。

そこも私たちは冷静に見て考えなくてはいけないところですね。

災害が起きた町、街、都道府県、そこで出来ることと、国レベルで出来ることの在り方。

先にも言いましたが、人口減少の日本。

身近な話をすると、私の町の交番に今はお巡りさんがいません。
少し前まで、とは言っても、十年くらい前で、子どもが学校に通っていた時代には、巡査が常に2、3人いた交番だったのですが、今は人の姿はありません。連絡用の電話があるだけ。問い合わせてみると、今電気系統の故障でいないだけで、来週から在駐致しますと返答されましたが、未だ、お巡りさんは配属されていません。

自衛隊も近くにはありますが、有事が起きた時、どんな動きをするのか皆目見当がつきません。消防団も元々皆さん仕事をお持ちの上でのボランティアですから年々人材不足という事態なのだとも耳にします。

町長、村長、区長、知事、大臣、それぞれが今、出来ることを真剣に考えて頂くしかない。それが責務なのですから。
大きな企業もしかり。有事の際に、なにが機能出来るのか。

過去のログにこんなニュースがありました。
この動きは今でも覚えています。
すごく人道的で印象的な良いニュースだったので。

皆さんも覚えている方いらっしゃると思います。
このニュースはこれから活かせる「希望」です。
「救い」にもなりうる事例です。
そして尊い「教訓」なのです。

セイコーマートのマニュアル

「北海道胆振地方を震源とする最大震度7の地震で道全域が停電し多くの商業施設が休業した6日、道内に1100店舗(8月末現在)あるコンビニエンスストア「セイコーマート」(札幌市)は95%以上の店舗が営業を続け、被災直後の道民の生活を支えた。」

毎日新聞2018年9月17日

いったいどうして災害時にセイコーマートが道民の生活を支えられたのか….
記事の続きです。

「営会社セコマによると、停電に備えた端末や対応マニュアルがあり、これまでの災害で見直しを重ねてきたことが生かされた。」

毎日新聞2018年9月17日

そして、更に記事は続きます。

「コンビニチェーン店は停電でレジが使えず、休業したところが多かった。一方でセコマによると、同社は停電の際は車を使って最低限の電源を確保することがマニュアル化されている。更に、近くに車が置けない場合やガソリンがない場合を想定し、電気や通信回線が使えなくても使える小型会計端末を全店舗に配布していた。
 停電などに備えたマニュアルは、道内の暴風雪被害や東日本大震災、2016年の台風被害などのたびに見直しを重ねてきた。
 また、特徴である店舗内で調理した弁当などの商品を提供する「ホットシェフ」で、おにぎりなどを提供している店舗もあった。多くの店舗にガス釜があり、停電中も炊飯が可能だったという。
 これらの動きに、ネット上では「神対応」「さすが道民のセコマ」と称賛する投稿が相次いだ。
 人口密度が低く少子高齢化も著しい道内は、商店街の衰退やスーパー撤退が進み身近にあるコンビニ店が重要なライフラインとなっている地域が少なくない。
 セコマは道や道内各地の自治体との間で、災害時に食糧や応急生活物資を供給する協定を結んでおり、今回も地震直後からパンや飲料水、菓子類などを提供した。」

毎日新聞2018年9月17日

想定して、何度も改善を重ね、備えていたという良い事例ですね。

これだけのマニュアルを国で考えられるかといえば、どうなのでしょう。
大きな災害、都市部での災害。人口の密度が大きい。

国レベルでの防災訓練と、実際、街レベルでの防災訓練となれば、それぞれが次元が違うでしょう。
これだけの地震大国です、
私は願いのように、思います。
地域により、1年の中のたった1日でもいいから、防災訓練を一斉にすべきと思うのです。

防災の日があっても、政治家が防災服を着て見せ報道されることよりも、実際は国民が対峙する災害時の行動です。その日だけは政府も役所も学校も全てが防災訓練をすべき体制を整えることも必須ではないかと思います。

住んでいる町、仕事先、そこで災害が起きた時、いったいどんな連携をとれるのか、救助活動、救急措置、防災訓練などをするマニュアルなど、まだまだ努力できることはたくさんあるのだと思えるのです。

災害が起きてから、動くのでは遅すぎるのです。

結び

長々と書き綴りましたが、私もなにが正解なのかわかりません。

どうしたら有事の際を想定して備える事が出来るのか、わからなくて怖いから書き綴ったのです。

災害はいつ起きるかわかりません。
いつ自分の身に降りかかって来てもおかしくないのです。

私が出来る事。
それは自らの命を守るならと考えること、そして家族の生命を守るにはどうすべきかを考えるということからでした。
それが最初の災害への小さな小さな防御です。

12月30日にライブがあり、そこで頂いたプレゼントの中に素敵なお父様の作品である花器を下さった方の手紙を読んでいて、その方が富山市滑川の方であることを知りました。
滑川市も5強の震度でした。
どうなさっているでしょう。
滑川市のHPを見たところ、人的被害、建物倒壊 なしとなっていましたのでご無事でいらっしゃると信じます。

他にもずっとPERSONZを聴いて応援して下さっている、金沢、能登半島の方々もいらっしゃると思います。

皆様のことが心配でなりません。
ご無事を祈りつつ、自分の身に同じような災害が起きたら、いったいどうなるのか、災害が起きる前にやれることはなんだろう、と考え、私の思ったことを書き綴らせて頂きました。

人には力があります。
今はつらくとも、未来はあるのだ、そして、それはきっと誰かにつながるものなのだと信じて乗り越えていきましょう。

被災地に今日明日、大雪が降る予報が出ました。
すでに雪が降り始めています。
祈ることしかできません。
祈りが通じますように。

私の気持ちは今書いている歌の歌詞に込めます。
これから時を重ねる2024年に、希望の光がたくさん灯るように祈りながら。


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