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おじいちゃんの平手打ち

平手打ちをされたことはあるだろうか?

記憶が正しければ、私は人生で二度ある。人生初の平手打ちはおじいちゃんから。

おじいちゃんは私が中学生の時に死んだ。

死んでしまったのは、もう10年以上前のことだ。話し方や歩き方こそ覚えているが、おじいちゃんとどんな日々を過ごしたか、だんだん忘れてきてしまっている。

それでもあの平手打ちのことはよく覚えているのだ。

・・・

おじいちゃんは私の自宅から車で5分、歩いて20分くらい、同じ町の中に住んでいた。両親が共働きだったため、小学生の時は母の迎えが来るまで、3歳下の弟と一緒におじいちゃんの家で過ごすことが多かった。

おじいちゃんの家は昔ながらの大きな日本家屋。何を話しても喜んで聞いてくれる、おじいちゃんとおばあちゃんの優しさで溢れている場所だ。同時に、大きな家からなのか元々やり手の経営者だったおじいちゃんの醸し出す空気感なのか、少し緊張感のある空間でもあった。

立派な玄関があるが、家族・親戚は玄関ではなく縁側から家に入る。靴を脱いで縁側のガラス戸を開け、障子を開けると、大体おじいちゃんとおばあちゃんは二人向かい合ってこたつに入っていた。「よっ」と左手をあげるのがおじいちゃん流の挨拶。テレビはいつも大相撲が流れていた。武蔵丸とか若貴兄弟が活躍していた時代。相撲は小学生でもルールがわかりやすいから、なんとなく私も一緒に見て楽しんでいた。

私たちが来ると、おばあちゃんはすぐにおやつを用意をしてくれた。「よいしょしょのしょ」と言いながら、折れ曲がった腰で台所に向かう。おやつは「みすず飴」が多かった気がする。必ず一緒に出してくれる抹茶葛湯はいつも濃い目でおいしかった。

おやつを食べ終わると4人で花札やトランプをして遊んだり、その日学校で会ったことを話したり。おばあちゃんは趣味で短歌をつくっていたので、鉛筆で帳面に書く様子をのぞきこんだり、おばあちゃんに聞かれたカタカナ言葉を解説したりして、迎えまでの時間を過ごしていた。

・・・

それは、いつもと同じように弟とおじいちゃんの家で過ごしている時のことだった。

おじいちゃんと私と弟の3人でこたつを囲んでいた。私が何の気なしに向かい側に座っている弟にテレビのチャンネルを少し乱暴に渡すと、

「物を大切にしなさい!!」

おじいちゃんが怒鳴った。と同時に腕を引っ張ったかと思えば、その右手で私の頬を打った。

「痛…くない…」

真偽はわからないが、私にはおじいちゃんが右手の力を瞬間的に弱めたとは思えなかった。怒りで震えていた(ように思えた)からだ。

ぶたれたことよりも、頬を捉えたその手のあまりの弱々しさに私はショックを受けた。胸の奥から熱いものが込み上げ鼻がツーンとしたが、グッと歯を食いしばった。

あのひんやりとした骨ばった弱々しい手の感触はいつまで経っても忘れられない。

年末に掃除をしていたら、小学1年生の時におじいちゃんにもらった東京土産のミッフィーの手提げバッグを久々に見つけた。

ホコリにまみれた状態のバッグをダンボールから見つけ出し、ぬれたタオルで拭いている時に、先ほどの話を思い出した。

おじいちゃんはパソコンを欲しがる小学生の私に10万円を渡すような豪快な人。

そんな豪快なおじいちゃんの「弱さ」を感じ、小学生ながらセンチメンタルな気持ちになった。

ちなみに人生二度目の平手打ちは小学6年生の時。陸上教室をズル休みしたことがバレてお父さんにぶたれた。あれはまじで痛かった。


#エッセイ


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