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博多ラーメンと感情の導線

博多の義父が急逝した。

博多人形師として総理大臣賞他数々の賞を受賞し、

作家協会で理事を歴任。地元では知る人ぞ知る著名な人形師であった。

いったん引退を決意したものの、

今年の山笠まではと再始動しかけた矢先のことだった。

癌を克服したものの肺気腫を患い、認知症の義母との二人暮らし。

子供達は心配し、

一刻も早く博多を引き払って二人で近くへ越してくるようにと

強く勧めていたが

「あんたらの世話にはならん」と最後まで我を通した上でのことだったので

ある意味壮絶な戦死だったと言えるかもしれない。

近親者が亡くなると親族はその対応に追われる。

通夜や葬式の怒涛のような段取り決め、役所や病院、

場合によっては警察への届出、

知人や友人、世話になった人々への連絡や調整。

悲しむ間を与えられることなく時間に突き動かされる。

久々に実家に集った妻たち姉弟3人は

手筈よく役割分担しながら作業こなしていく。

楽しそうに談笑しながら通夜を迎えようとするその姿は、

ともすると不幸を迎えた人々とは見えないのである。

いつの間にか食事をする時間すら忘れ、

ふと時計を見て空腹感に気がつく。

妻からよく義父と食べに行ったという博多ラーメンを食べに行こうと、

提案された。

私も久々に口にする細麺とんこつ風味。

「この店、しょっちゅう父さんと来てきてたんだよね。麺は硬め、油少なめで、、」

その刹那、妻の涙腺が崩壊していた。

「なんでだろ、ラーメン食べた瞬間にダメだわ、もう」

泣きじゃくる妻を怪訝そうに店員のおばさんが眺めているのを見て、

誤解を与えぬよう妻が自ら経緯を説明する。

それを聞いておばさんたちがもらい泣きを始める。

「おいおい、君たち」と言いながら私もいつのまにか涙声になっている。

人間の心はフシギだ。

気の張りが空腹感にフタをしている間は気づかないが、

味覚が記憶のスイッチを押した瞬間、感情が滝のように溢れ出す。

喪ったものに大きさを理解しつつ人はその痛みを知覚しないことがある。

どこかで感情の導線を掘りおこし、正しくつなぎなおす温かい何かが、

きっと我々には必要なのだろう。


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