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追悼 すぎやまこういち先生との思い出

2021年12月11日。
この日は朝からよく晴れていて、冬空は彼方まできれいに澄み渡っていた。

僕はずいぶん久しぶりに、ドラクエ時代のスタッフと顔を合わせた。
数年ぶりに会った面々を前に、なんだか妙に浮足立ったような気分になって、いつもよりもよくしゃべった気がする。
懐かしさというのはこんなに人を高揚させるのかと、日頃あまり持たない感覚を僕は実感していた。

すぎやま先生のお別れの会を終えたばかりの、築地本願寺前の広場でのことだ。

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すぎやま先生と初めてお会いしたのは僕がまだ20代で、夏のDQコンサートの後に楽屋に伺わせていただいた時だった。
先生はとても朗らかで、エネルギッシュで、スタッフになったばかりの自分にも優しく話しかけてくれた。
それでなんだか不思議なくらい気分が上がって、元気が溢れてきたことを今もよく覚えている。

以来、毎年夏のコンサートに行かせていただくのが年中行事になった。
僕はそこで新譜のCDを買うのが恒例で、CDラックは先生のCDでいっぱいになった。
それから、時を経るほど僕の仕事の責任も大きくなり、スケジュール調整も容易ではなくなっていったが、たとえどんなに忙しくてもコンサートだけは欠かさずに行くと決めていた。

「音楽は心の貯金です」
「音楽は心の栄養です」

パンフレットに書かれた言葉が本当に回復呪文のように、そこに行けば元気がもらえる、どんなに苦しい状況でも仕事のモチベーションをもらえる。
そうなることを、よく理解していたからだ。

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すぎやま先生とは、一緒にメキシコに行かせていただいたり(上の覆面写真はすぎやま先生に撮ってもらったもの。一番奥が自分)などの思い出もあるけど、仕事として打ち合わせに同席させていただくようになったのは、DQ8の頃からだ。

先生と仕事をさせていただくに当たって、僕は一つのスキル習得を自分に課した。
それは、先生がこれまでに発表された楽曲を網羅的に熟知すること。

ドラクエの楽曲は当然として、別ゲームや映画、アニメのサントラもとことん聴き込み、メロディーを聴けば曲名が、曲名を聞けばそのメロディーがさっと口から出るようにしておく。
その準備をすることは、先生と仕事をする上での最低限の礼儀のように思っていた。

僕は、先生の楽曲の音源CDを買い集め、仕事中はずっとそれを聴き続けていた。
こう書くとなんだか修行話のように聞こえてしまうが、実際のところはそんな感覚はなく、すぎやま先生のメロディーはいくら聴いても飽きることがなかったので、まったく苦にならなかったのだが。

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ドラクエ本編のディレクターになった僕は、もしかしたら、すぎやま先生からは疎まれていたかもしれない。
そんなふうに思ったことが、何度かある。

殊に、DQ10の曲数問題に関しては、何度も苦言をいただいた。
DQ10はオンラインゲームのため、ゲーム世界の面積やイベント数が従来のドラクエ本編よりも大きく、伴って使用曲数も多くなる見込みであるとお伝えしていた。
すぎやま先生は以前から、一作品の曲数が増えることについて懸念を唱えていらっしゃったので、そもそも考えが合っていなかった。

そんな状況の中、DQ10のフィールド曲の依頼を巡って、こんなことがあった。
DQ10は五種族の物語であり、僕は各種族のフィールド曲をそれぞれ別のものにしたいと考えていた。
すぎやま先生は、曲の印象を強くするために、フィールド曲は一曲であるべきと強く主張されていた。

僕は先生に実機プレイを披露しながら、こう訴えた。
「例えばエルフを選択したプレイヤーは、低レベルのうちはエルフのフィールド曲を聴きながら過ごします。
 キャラが成長すると別種族の大陸へと旅立ち、レベルが上がったり様々な体験をして更に成長し、いずれ自分の大陸に帰ってきたとき、懐かしいフィールド曲にふと郷愁を感じる。そんなゲームにしたいんです」と。

この主張は先生の胸には届かず、むしろ、ドラクエを良い作品にしたいと願う藤澤の信念まで疑う言葉を返された。
先生の言葉は鋭利で、これまで築き上げてきた自信の根拠まで抉り取られてしまうような気がして、僕は蒼ざめた。
意見が届かないことではなく、これは自分の信用のなさが原因なのだという想いに囚われてしまい、僕はそれからしばらく、そのダメージを引きずり続けることになった。

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その後、フィールド曲の結論は棚上げのまま時間が過ぎ、DQ10はゲーム性格的に過去作の曲を計画的に流用していくという方針が決まった。
DQ3の『広野を行く』やDQ8の『おおぞらをとぶ』のような演出的例外を除けば、DQ本編が計画的に過去曲を使うことはなかったので、長年現場にいた人間としては、これはかなり画期的な判断だった。

この状況になって、習得していたスキル───先生の楽曲を網羅的に記憶していたことが、大いに役立った。
僕が提案した過去曲の流用案は、すぎやま先生や堀井さんから概ね好評を得られ、話し合いはスムーズに進んだ。
すぎやま先生からの信用も、この頃に少しずつ回復したように思う。

そんな中で一番思い出深いのは、DQ10のとある神殿で掛かる楽曲の話だ。

『ドラゴンクエストモンスターズ2』の『氷の世界』という曲の旋律がとても美しくて、もっと多くの人に聴いてもらうべき曲だとずっと考えていた。
これは、たとえ流用方針がなかったとしてもそう申し出るつもりだったので、そのことを率直にお伝えしたところ、すぎやま先生は喜んでくれた。

この曲は、DQ10においてオンラインの世界に行く際に全員が通る、五種族の神を祀る神殿を彩る楽曲となり、曲名も『氷の世界』から『天空の世界』へと改められた。
すぎやま先生の曲をずっと聴き続けてきたことが一つ実になったようで、このことはとても嬉しかった。

その後、話し合いを重ねていく中で、ある日、すぎやま先生はフィールド曲を種族ごとに別の曲にすることを承諾してくださった。
それが、信用回復によるものだったかどうか、さすがにそう聞くことはできなかったけれど、とにかくDQ10のフィールド曲が大陸ごとに異なることになったのには、こんな経緯があった。

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DQ10のフィールドの5曲と、謎の神殿の『天空の世界』。

個人的には思い入れのある出来事だが、このことは自分とすぎやま先生だけの思い出として、永久に胸の内にしまっておこうと思っていた。

けれど、こうして追悼文というかたちで書き残そうと考えを改めたのには、二つ理由がある。

一つは、お別れの会で先生の生涯における多くの功績を見て、自分が近くで見ることのできたのはほんのわずかな部分にすぎないけれど、こうして書き残しておくことが、先生の功績を未来に語り継ぐうえで何か意味を持つのではないかと思うに至ったこと。

もう一つは、自分自身が、いつまでも記憶が続くわけではないと実感する年齢に至ったことだ。
楽曲がどういう経緯で決まっていったのかなんてことは、ほとんどの人にとってはどうでもいいことかもしれない。
けれど、そうした些細な決定の一つ一つに、我々作り手の願いや葛藤がこもっていたということを、自分自身がいつか忘れてしまう前に、皆さんにお話ししておきたいと思った、ということです。

さて、先生との思い出話は、この辺で終わりにしたいと思います。

すぎやまこういち先生、本当に色々とお世話になりました。
仕事でくたびれ果てていたとき、先生の音楽に何度も助けていただきました。
いただいた言葉の一つ一つが血肉となり、鍛えていただきました。
今の自分があるのはそのおかげだと、強く感じております。

ここに哀悼の意を表するとともに、衷心より、感謝の念をお伝えいたします。
どうか安らかにお眠りください。
ありがとうございました。

2022.1.10
藤澤 仁

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