第1回葦船太平洋航海 アメリカ視察の旅
 ロサンゼルス ー サンディエゴ編

ありったけの空が、眩しく青い。
2015年2月アメリカの西海岸から葦船建造候補地を探す旅を始める。

カリフォルニアで初めて葦に触れた瞬間


人生を賭けてでもやりたいことができた時にあなたはどうしますか?


誰にも言わずに綿密な計画を練ったり、少しずつ準備を重ねたり、資金を貯めたり、友人に相談したり。

ただ、誰もが賛同するわけではなく、

「中にはそんなことできっこない」「危険なことだからやめたほうがいい」

という声も耳に届く。

それでも、自分の心から湧き出る、

「何か」は、

いつも人生の行動の軸足にすることが癖になっている。


一人から始まった葦船太平洋航海に向けてアメリカへの旅。

葦船で太平洋を渡る航海でその自然とつながる太古の知恵をつなぎ、そして伝えていきたい。

そんな思いからアメリカへと旅立った。 まずは動いてみれば何かが変わる。


葦船の活動は10年以上続けていたが、アメリカには誰のツテもなく、応援してくれる人も、知り合いさえも、まだ見つかってはいなかった。

人は無計画というだろう。 確かにもっと違ったやり方はあったはずだ。

だけどぼくには希望がある。

まずは、

自分の足でアメリカ・カリフォルニアに立ち、

海の匂いを嗅ぎ、

風を感じ、

波の音や喧騒を聴き、

目で観て、どうしても実感したかった。

コンピューターの情報だけではなく自分の五感を使って次の進むべき方向性のヒントが掴めればそれでいいと信じていた。 セオリー通りじゃなくっても僕はいつもこうしてきた、それがいいとか悪いとかじゃなくって。


きっと建造地の場所がピンとくるに違いない。
そう信じて、車を運転し葦船建造の可能な候補地として北ロサンゼルスからサンディエゴまでの全ての砂浜や海岸、港、ヨットハーバーをアンテナを張り巡らせて訪ねて回った。

ビーチを見渡すことだけが、
”今”できることだった。

地図で確認したビーチがあると車を下り、写真とビデオを撮り、
広さ、30m四方の建造地の確保ができるか、街までのアクセス、人の多さ、住宅の有無、場所の持つ雰囲気などを見ながら調査をする。そのうちピンとくるはずだ。

だが、同時にこんなことしていていいのだろうか?という不安になることもある。 それでも、具体的な動きはいつでも人生の糧となることは知っている。

考えるよりも具体的なステップを踏むやり方が自分にはあっていることを知っていた。

海岸のベンチに腰掛けて海を見ている地元の人に葦船の企画書を見せて葦船の話をしてみる。
「葦船で海を渡るのは素晴らしいね。応援してるよ」
と、みんなが言ってくれるけど残念ながら具体的なアプローチとは繋がらない。


また、カリフォルニアの海岸沿いは環境保護の活動が活発なため、簡単には公共の砂浜には使用許可が出ないだろう、という言葉には大きな障害を感じた。まるで手強いボスキャラの存在を聞いたようだ。

それでも感覚を研ぎ澄まし動き回り、蓋を開ければ30以上の砂浜や海岸、港、ヨットハーバーを調査することができた。

ここならいい、と思える場所はいくつかあったものの、地元の風や海流を知るヨットマンとのミーティングや葦船文化の交流も考えるとカルフォルニアで葦船文化のあるネイティブアメリカンとの交流などの必要性を痛感した。

専門的な意見を聴き、その上で海流や季節の風を調べ出港地を決めなければ机上の空論から出ることができない。

これからやらなければならないことは山ほどある。

太平洋航海に向け具体的に動き始めことで見えてきたのは、プロジェクトのゴールまでははるかに遠い道のりがあるという実感だった。

それでいい。
0から1を踏み出し、具体的な行動への気づきが今回のリサーチの旅の目的。
まずは一歩を踏み出したことで確実に景色は変わったのだから。
次へのアプローチを考えよう。

こうして、上空を越えて太平洋を渡り1回目のアメリカへのリサーチの旅が終わっていった。


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