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まだある。最近ようやく気づいた冗長な言いまわしの数々 はぶくと読みやすい文に

はじめに

 数日前。みずからの文章のつたなさ・むだについてとりあげた。

さらに出てきた。1年半ほどまえの文章の下書きについてさまざま手なおししつつ、もっとこうしたらという点をあきらかにしてみたい。

きょうはそんな話。

むだな表現、つたなさ

 実際の下書きから。やじるしのように書きあらためた。この章を読み飛ばしていただいてかまわない。

集中できているかどうかという点では  ➡集中できるかは

紙媒体での出版はなくなりそれはしかたない。
 ➡紙媒体での出版をやめたこと自体はしかたない。

やはりそれでも出版費用は必要でしかもその額におどろいた。
 ➡出版費の額におどろいた。

オープンアクセスといってだれでもネット上から論文を読めるように設定できるしくみがある。
 ➡オープンアクセスとはだれでもネット上で論文を読めるしくみ。

学生の研究費やかかる費用も人数しだいではじゅうぶんにはとうてい工面できない。
 ➡学生の人数が多いと研究費の工面がむずかしい。

テーマごとに思い至った考えや観察で得た事象が既知のものでないかどうかを調べている。
 ➡研究テーマに至る経緯と、実験に新事実があるかしらべている。

危惧する状況はさらに助長されつつあると思う。
 ➡危惧が現実になりつつある。

いまの状況をたとえると宙に浮いたままでボールを蹴る感じにちかい。
 ➡まるで宙に浮いたままボールをける感触。

本すじとはちがう思考を加味しながらも、無意識のうちに本すじの言葉の位置づけができている。
 ➡枝葉の部分をかんがえつつ根幹のことばの位置づけをはっきりできた。

木山仁のnote下書き原稿より

あまりの多さに

 これだけあると、がくぜんとする。もうほとんどといっていい。アタマのなかのガラクタをそのままひっくりかえしたよう。そのまま文字にしただけじゃん。

これではひとりよがり。まるで文になっていない。どうあらためるか。どうしようもない部分を切りすて全面書きなおし。それでもおかしいとその章はボツ。前後も気にいらないとぜんぶをすてる。いまは書きどきでない。書けるまでまつ。

そんなものがいくつか出ては消える。やがて機が熟せば書いてみる。

お気づきでは

 わたしの文をお読みいただいている方々はお気づきだろう。そう、この1か月はそんな書きあらためた文を半分ほどまぜて投稿しなおしている。これまえに読んだよという方、おゆるしを。どうもすみません。

はじめて読んでいただく方に、文のおわりまで読んでいただきつつ、趣旨がはっきりできるようにしたい。それまではこの白いきれいな面をよごすばかりでもうしわけないかぎり。

おわりに

 この作業、おそらく再現なくつづきそう。文章がつたないのはおそらくふだんの話しかたにつながりそう。

ネット上で会議を開いているときにそう感じる。わたしの話す番になるとしどろもどろになりがち。質問にこたえてなく、横道にずれていく。

画面の方々の視線がさまようようすを見つつ、どうにかしないとなとよく思う。

もっと聞いたり読んだりしていただく方々への配慮をいきとどかせないと。

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