4月をむかえて信号のタイミングが変ったと感じながらてもちの車について逡巡する
はじめに
街なかのターミナル駅そばに住み替えたにもかかわらず車を手放せないまま。公共交通機関のよく整備されたところなのですこしうしろめたい。
しごとでつかうテキストの仕入れや資料の運搬、免許を返納した状態で山間地に住まう足の弱った老親の病院の送迎など車なしではとうていむずかしい。必要なときだけレンタルしようかと考えた。だがとっさのときなどうごけない。こればかりはわたしの一存ではどうにもならない。
職場にむかいながらつらつら思った。
きょうはそんな話。
ふとあたまをよぎる
用事があるときだけ車を借り、電車通勤しようかとふと思った。いまの賃貸をさがすうえで足かせになったのが駐車場。物件の選択の幅をかなりせばめてしまう。ようやくみつけたのはターミナル駅そばの駐車場完備の掘り出しものだった。
どちらの仕事場に向かうにもわたしがむかうだけならば公共交通機関で代替できる。ただし仕入れや毎回教えるのにつかうテキスト類は徒歩と電車でかついで店を何往復かしないとならなくなる。
車なしだと両親に付き添う病院通いはなおさら想像しにくい。最寄り駅まで徒歩、電車で街にむかい、到着駅と病院との往復にはタクシー。心臓と腎臓に問題のある父と、家のなかを歩くだけで息のあがる母にそれを強いることになる。
もしくは高額になるが家から病院までタクシー。そんな機会はさいわいにもないが車なしだとそうなる。いずれも現実的ではないのでなやましい。
ふだんの電車利用は
電車で職場に通い、必要に応じて車をレンタルや親のタクシー代で費用はどのくらいだろう。支援サービスを受けようか。しらべるといまよりもそうじて4~5倍かかりそう。いまの収入では払えない。しかも歩きなので人力で運べる荷物がかぎられてしまう。通勤の混雑にもまきこまれる。
雨の日などはとくにそう。おなじ路線をつかっていた以前はいちばん前にならんでいても乗れないほどの混雑で1本あきらめてやりすごすということがたびたび。さほどそのころと状況は変っていない。しかも今回はもっとも混雑のはげしいターミナル駅から中心街へむかう路線。以前のしごとでは通勤にけっこう消耗していた。
自家用車のいまとおなじように時間貸しのレンタルでも仕事場にはいずれも駐車場の確保が必須なのは変わらない。う~ん、やっぱり無理か。なるべく車を利用しないでいいように行動をくふうしようと考えるが、荷物(テキストが多い)を肩にしょい、両腕のふさがる状態のまま満員電車に立ちつづけての往復を想像すると自信がない。
結論としていまのままもうしばらくは車をもちつづけることになりそう。
新学期をむかえて
きょうから4月。新学期・新年度の準備がつづく。今朝、車を運転して気づいたが、どうやら何か所かの信号のかわるタイミングが変ったかもしれない。たしかにその多くでスムーズに進行できた。
どうじにこの時期はまだ運転に慣れていない車に遭遇する機会がふえる。いままで以上に運転に気をつけないと。
おわりに
車をつかうことはしかたない状況だしほかに代えがたい。だがすこしだけうしろめたさがある。信号待ちで近くを並行して電車の通り過ぎるようすが視野のすみに見えた。
列車内のつり革につかまる乗客の方々が垣間見える。過去に乗客だったころを思い返すとやはりこうしてゆったり車を利用している状況は申し訳ない。どうどうめぐりだがどうしたものか。
こちらの記事もどうぞ
広告
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?