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宇宙であらたにみつかる予想だにしないできごとにつぎつぎに出会えるはずの時代なのに


はじめに

 根っからの理科少年。そのままおとなになってしまった。このところいちばんわくわくしているできごとは地球外にいるかもしれない生命。一般の方々の面前でこの話題へいきなりふることはなかなかむずかしい。その場の雰囲気にそぐわないことはなはだしい。

でも、つたえたい根源はこちらなんだけど。

きょうはそんな話。

日々おもうこと

 このところ世情がさわがしい。地上で侃々諤々。議論するだけならば民主的でのぞましいが、ことはそうは運ばない。

そんないざこざのなかでこのエリアだけはぎりぎりのところでおたがいのクニの利害をのりこえて共同で運営している。そう、宇宙。ほんとうにかろうじて。先週のニュース。某国は2028年まで国際宇宙ステーションに参画を延長する旨を発表した。

「近々撤退する」という報道からそれほど経っていない。独自に打ち上げて運用を予定していた宇宙ステーション計画に遅れが生じているのだろうか。なにかと事情がありそう。

地上でのおたがいの利害の対立をのりこえての共同プロジェクト。長年つづいてきた。それだけに平和の象徴としてのやくわりは大きいにちがいない。

想像をこえて

 さて、理科少年の話題にもどろう。中学生のころ以来気になっている。地球以外に生命はいるのだろうか。これは自分自身の起源を知りたいという生命科学者(そのはしくれでもある)ならばだれでもふと思うはず。地球人が宇宙で惟一の存在なのだろうか。

それと関連してこれから先、ず~っと未来。はたして人類はどうなっているのだろう。ふと疑問に思った。かぎりなく技術が進むとすれば、そうした未来人たちはさまざまな想像を絶する能力をもつだろう。トラえもん(ヒトではなくネコ型ロボットだが)のように。

いまのわたしたちとの接触がこれまで報告されていないのだろうか。やっぱりタイムマシンは夢物語なのか。まあ本人が未来からきたと言っても手がかりはとぼしい。

なにかその証拠になるすぐれた技術などをたずさえ見せられればすこしはちがうかもしれない。いろいろと想像してみる。ほんとうだったらたいへん。未来へ帰りたいと言ってもなかなか帰らせてもらえないだろう。現代人がはなさない。

つぎつぎと話題が

 上記の難題とはちがい、宇宙に関してはあらたなニュースに事欠かない。ごく最近、あらたな宇宙望遠鏡で太陽系外の惑星の直接観察に成功したという。わたしはこれはなかなかむずかしいだろうと思っていた。というのも地上での望遠鏡による星の観察の経験の延長でしかものごとを想像していなかったから。

ところが世のなかはその想像のはるか上をいっている。宇宙望遠鏡の存在。ただ存在するのみならず、何世代もの運用に改良がくわえられ、観測できる波長領域や、観測する拠点となる望遠鏡を地球からはなれた宇宙のどこにおいて観察するとよいかなどさまざまなくふうがくわえられている。

宇宙望遠鏡を設置することじたいはなれわざだが、技術は先へとすすんでいたわけ。そのかいあって今回の発見。太陽系外の惑星を直接することに成功。

おわりに

 これからは太陽系のみならず、系外惑星の大気組成の詳細な分析へとすすんでいくだろう。大気組成の季節変化や惑星表面の変化などから、気象の要素なども知ることができそう。

ひとつのことがきっかけとなりブレークスルーをうみ、さらにそのさきへ。宇宙の分野は国際的な協力ができていることがあいまって進展しているように感じる。地上でゴタゴタしている場合でない。そのことだけはたしか。

せっかくの人類の叡智を活かせないのはもったいない。そうならないことをいのりたい。以前の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だったはず。半世紀あまり経ったいま、あらためてそのことばの意味を考えたい。


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