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うつりかわる季節:すもも、プラムときてブルーベリー、そこへはたまたなぜかビワが登場


はじめに

 梅雨まっさかり。朝夕のかぜにはすずしさがある。かさをいつもたずさえて空をみあげつつあるくこのごろ。くだものはみかんから文字どおりうめやもものきせつへ。

それを象徴するくだものがこのところ手にはいる。先週からこれらのなかまの果実たちがつづく。

きょうはそんな話。

朝夕のここちよさ

 しめりけだけ。気温はそんなに高くない。湿気がなければ春と夏とのおしあいへしあい、ちょうどそんなころあい。くだものは晩柑がおわり、初夏のくだものへとうつりかわる。これまでならばわが家ではももだった。

はたけにむかい白いふくろごしにのぞきこみ、ちょろりとあかい色がみえ、手でやさしくふれてほんのりやわらかな感触がつたわる。これが熟したよの合図。のぞいたひょうしにぷ~んとかぐわしいあまいかおり。木で完熟をむかえたももはほかにかえがたい。


倒れてかろうじて実をつけたもも

ここ数年の大風でつぎつぎに根もとからたおれてつぎつぎと枯れた。いたしかたない。もうあらたな苗木を植える意欲は湧かない。実がなるころにはもうここには住んでいないから。ももをたべられなくなったのはいたしかたない。

どうもここで作物はそだててくれるな、植えてくれるなと自然が言っているよう。大風だけでなくひんぱんにおとずれる山のどうぶつたちによるはたけの作物のあらしかたは尋常でない。むこうも生きるのに必死。やりなおそうの意欲は6年ほどでついえてしまった。

そうはいってもくだものはそれなりに庭でなるし、旬のおいしい安いタイミングならば少量だけ買ってこれる。季節をあじわい、はんぶんはくだものとむすびつくなつかしさにひたりながら口にする。

いまはプラム

 3日まえ、手にいれたのは赤いプラム(大石早生)。ながいことそだてたももを1か月にわたり口にしていたのでこれまでたべたことがなかった。皮をむくときいろくかわいらしい。熟れたうめのかおりをうっすらとまとっている。もものミニチュアのようでもある。

ひとくちめ。―あれっどこかでたべたような―が最初の印象。ふたくちめで確認。そうそう黄桃のかんづめ。そのまんまじゃないか。へえ~てっきり黄桃はながくかんづめの糖液に浸かってるのであんな風味がするのかと思っていた。はじめてのプラム。よび名やあらわしかたはいろいろ、すももだったり、李だったり。干すとプルーン(こちらはよく口にする)だったり。

そしてすもも

 プラムに1日おくれてすもも。知りあいからいただいた。この品種は西の地域によっては「いくり」とよばれることも。こちらは外の皮はうすいむらさき。一見すると熟れているのかいないのかみわけにくい。こちらもほとんど経験がない。皮をむくとあざやかなむらさきのジュースがしたたる。じつに濃い。

あまずっぱさはみため以上。ピンポン玉ほどでいくつでもたべられる。ちょうど暑い時間の作業であせをかいたのちの休憩には、このあじは合っている。暑くなりはじめの暑気ばらいにちょうどいい。

先週から

 庭ではブルーベリーの実が熟しはじめた。たった2本なのに先週から毎日ちゃわん1杯ずつ収穫。目にいいといわれるのは果実にふくまれる色素のおかげらしい。これって目をこらして熟れたむらさきいろの実をさがすのも加味してのことかもしれないとじょうだんまじりで思った。それほど葉かげにかくれて2,3度いきつもどりつしながら収穫。

ふと窓のそとのビワの木に目をむける。先月たべおわったはずなのに熟れた黄色い実がなぜか見える。おくれて熟したのだろう。ちいさいけれど一人前にそだっている。きょうのべんとうにいれた。

おわりに

 季節のかわりめ。これからあつい夏をむかえる。もうすぐそばまで来ているだろう。こうしてくだもので暑気をはらいつつ、気力・体力をやしなう。よくできている。夏にひつような栄養をすこしばかり補給しておこうとおもう。


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