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身につけるってなに? ふだんづかいのはなしことばをおぼえるのにはなにもつかわないけれど


はじめに

 うまれてからしばらくすると話せるように。やがて会話がなりたちネィティブランゲージ(native language)として成立する。

たとえば英語をまなぶのに苦労する。もちろん日本語をつかえない状況、たとえば外国の日本人のいないところならば必要にせまられてすこしずつはなせるようになるといわれている。

日本語と英語を身につけるのになにがどうちがうのか。

きょうはそんな話。

こどもたちは

 わが子たち。ちょうど言語が発達する時期に大阪ですごした。関西弁。とくに上の子は3歳。いったん地元のなまりが出つつあった時期に関西へ。どうなることやらと気をもんだがすぐにおともだちがたくさんできた。上の年齢の子が多かった。外交的な性格なほうで、きょうはここ、あすはそちらと団地内をうろちょろして1日じゅうあそんでいた。

するとそのうちのひとりからこういわれたという。「〇〇ちゃんのことばヘン。」そうだろう。きっとまわりの子たちにとって、聞き慣れないことばを発する子としてすこしたじろいだにちがいない。

それほど独特のことばであり、おそらくヨーロッパに行けばちがうクニの言語として成立するほどのちがいではないか。欧州において多国のことばを話せる方々がいらっしゃるときく。もちろんご本人の努力のたまものとは思うが、わが国内でも北と南、東と西で方言には多大なギャップがかんじられる。標準語との差すらいちじるしい。

さて、わが子。それからどうなったかというと、ほどなくなじんだ。あそびつかれて帰ってきてわたしと話すとすでに関西のことばへと変わりつつあった。

ほんの数か月で起こったできごと。まさかとおっしゃられそうだが結果はそうだった。わたしとて周囲が関西人のなかでしごとをするうちに、半年後には「~しはる」がいつのまにやらじぶんの口からしぜんにでているのにおどろいた。いくつかのことばのアクセントも混乱しはじめた。

ことばをモノにする

 とくに上の子は日々の地元のこどもたちとのコミュニケーションが豊富だったせいか、会話もできるように。そしてもとのわが家へもどる。以前遊んでいたご近所の子たちと再会。ほどなくもとどおりに遊んでいた。

そして「〇〇ちゃんのことばヘン。」とここでも言われたという。地元では関西弁をしゃべるわが子は、地元のこどもたちにとっておそらくもとの○○ちゃんとちがう特異な存在だったにちがいない。

わが子にとくに早期教育をしたわけでもとくべつなしつけをしたわけでもない。じつに本人はしたいようにやり、やりたいようにすごしていただけ。安全さえ確保できていればなんでもやらせていた。とくに一輪車は得意で3歳でスムーズに乗れていたし、大阪に来て自転車にも団地の上の階の子から乗れるようにしてもらえた。

日々の成長はいちじるしくさまがわりして半年後に地元にかえってきた。ことばはそのあいだに三度かわりそのたびごとに修正したことになる。そのあいだは1年に満たない。

それだけのことがなにも物品をつかわずにできている。多くのヒトビトとのコミュニケーションを豊富にあたえてもらえた結果にちがいない。

おわりに

 わたしたちが英語を身につけるには、適切な時期にこの言語に接する機会があり、それがある期間、ある濃度で継続していないとなりたたないのかもしれない。ネィティブランゲージならばなおさら、第二言語ならばどうか。

そしてほかのまなびもそうだろうか。なにごともそれに先だつ言語がないとまなびにならないだろう。効率をあげるには本を読んだり、文字に接したり、段階もありそう。基礎と応用だってあるし、あたまへのしまいかた、ひきだしかたもちがうだろう。

ことばを習得するのとほかの分野のちがいもあろうし、つかう脳の場所もことなるかもしれない。子どもにとっては無意識でもまなべる環境をととのえるのはまわりのおとなたち。

子どもたちが身につけやすいように配慮するのはたいせつ。なにもそれはとくべつなことではなく、その家庭やまわりにとってすごしやすい生活のなかではぐくまれると思う。このクニでは第二言語のありかたについては模索がつづく。


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