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家族の草のむしりかたからズボラぐあいをくらべてみると


はじめに

 ことしもまたこの季節がやってきた。そう、草とり。庭の大部分を土としたばっかりに、これが秋のなかごろまでつづく。家族のむしりかたをかんさつするとその特徴が表われてくる。

きょうはそんな話。

先々代から

 わたしの先祖は4代まえまですくなくともおなじ集落で農業に従事していた。そこまではわかる。先日、ひいじいさんの生家の末えいの方とおはなしする。分家のわたしのじいさんからすると本家にあたる。それ以前の先祖はどこからきたのかたずねてみた。

すると「わからない。」とのお返事。結局、たどれた範囲はわたしとおなじ。しかもわたしの親は都会にはたらきに出た。まあ、しかたないとこのあたりの山々やなにかの話に移ってしまった。

わたしの親は若い時期に故郷をはなれ、定年後のいまはUターンして実家に住む。そのため先祖のでどころや古いいきさつを知るチャンスにめぐまれない状態。

いまや周囲でわが両親がもっとも高齢。記憶があいまいになりつつあるふたりにたずねても限界がある。先日もひいじいさん以前について父にたずねたが「さあ、どうだろう。」の返事だけ。

先祖は…

 ご近所さんの面々にたずねると、わたしのじいさんの「まじめさ」に帰着しがち。彼の葬式でのヒトのあつまりは尋常でないほどの数だった。ご近所総出で加勢して送る。半世紀まえのこと。当時、このあたりは自宅で葬式をおこなっていた。その場所にはいまはUターンしてきた両親が暮らす。築100年をむかえようかという家(もちろん改修済み)。

葬儀にはこの家にほとんど立錐の余地のないぐらいヒトが集まった記憶。葬式とはこういうものかとこどもながら目に焼きついた。あつまるヒトビトの口々から聴こえてくるのは「働き者だった。」「暗いうちから畑をたがやしていた。」などなど。

家族のじぶんがいうのははばかられるが、じいさんはそうよばれるにふさわしい人物。絵に描いたような存在。連れそったばあさんはその教えを実践していた。70なかば過ぎても若いわたしよりもはるかに身がるで、それこそひょいひょいっと山道をのぼり、追いつけないほど。前からだいじょうぶかとこちらを心配してふりかえるほど。本当にしんじられなかった。

くらべると…

 noteでさかんにわたしは自身をズボラと評している。この性格は、この家系でゆいいつの存在かもしれない。のこりの家族はそうじてわたしとはちがうとかんじる。

それは草とりをみるとあきらか。まさに生前のばあさん(じいさんの作業のようすは記憶がさだかでない)の草とり(もちろん手作業)とだぶる。はしから表面の草をなくす。しかも作業がはやいうえに時間もかける。かけざんできれいになる。父もそれを受けつぐ周到さ。

いや、わたしのむすこの場合はそれ以上。異様なばかりというか念がいっている。信じられないかもしれないが、地面から30センチの深さまで、場合によっては40センチちかく掘りさげつつ、すべての見つかる根を駆逐していく。

しばらく放置したのち、かろうじて生えてくる芽をたどりその細根までも。そして掘り起こした土をよりわけつつ、のこったこまかなものを丹念に数か月かけてとりのぞいていく。時間はかかるがこの方法だとのちは3年たってもまったく土からはなにも出てこない。ここまでの草とりは見たことがない。

おわりに

 そしてわたし。以前は手作業で表面だけを抜いてなんとかなっていた。ところがそのうち間に合わなくなってくる。

ええい、めんどうと草刈り機の登場。これで「いそがしいから。」を口実にぐいんと15分ほどでひげそりのごとく表面をなぞるのみ。

それでまた2,3週後におなじこと。日々のひげそりのごとく夏の作業と作業の合間はみじかく、春秋は感覚がながくなる。これとて温暖化のせいか、草刈り機のせわになる期間がひろくなった感じ。

この一家になぜわたしがぽつんとうまれたのだろう。草とりの時期がはじまると性格のちがいをまざまざとみせつけられる。自己嫌悪の時期はもはやすぎた。これとてじぶん。いまさら変わらないし変えようとも思わない。


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