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まわりのわかいヒトややさいたちのようすからエネルギーをもらって生きている気がする


はじめに

 最近よく思う。どうして生きていられるのだろうと。おかげさまでなんとか日々をすごせている。そこはなんとかなっているのはわかる。それだけじゃない。前向きにいようと思いつづけるのにはそれなりにエネルギーがいる。それはどこからくるのかって。

きょうはそんな話。

思いかえすと

 以前ならば丘のうえのやさいばたけに海風をほおにあてながら上がりつつ思うことがよくあった。いまくらす家ならば窓のむこうの支援施設の準備のあかり。まわりがしんとしずまりかえる夜明けまえ。食事などの準備をはじめていらっしゃる。

まわりがうごきはじめている。いつも顔を合わせるヒトはそんなに変わるわけではないし、呼吸している空気がちがうわけではない。

ようやくあたりはあかるくなりかけ、クワをひきあげて地面にさして土をおこす。しばらくほうっておいて雨にいくたびかあたりつづけた土地はかたい。クワをはじかれることもある。ひと畝の半分すすむと息があがる。かくじつにからだが酸素をほしがる。生きてる実感。

はたけに出てこうして息をはずませたり、かかえるほど大きくなるさといものかたまりをようやく掘りおこすときにやさいたちの生命を感じる。一輪車に山のような量のさといもたちをながめつつ、坂をそろりとわが家にむかうときいきいきしたきもちになれる。

いまならば出勤で車のエンジンを始動させるとき、ふるいたつようにがんばろうと思う。

さて、サポートの現場では

 もうひとつ、学習サポートのしごと。夕方、ぞくぞくと生徒たちがおとずれる。玄関からはいるまえにひといき深呼吸してからはいってくる子のようすをたまたま目にする。

そうだよなあ、学校でせいいっぱいのところなのに、あともうひとふんばりしにくるわけだから。そんななまやさしいことではないのはたしか。よくがんばっているなあ。

生徒のそういうすがたにうごかされて、よしやろうという気がこちらに湧いてくる。きっと生徒たちはたいへんだけどこのもうひとがんばりで変われる、きのうよりひとつつよくなれるときっと思いながら来るんだろうなあ。

いつもこちらがわかいみんなから元気をもらう。

きっと、そう

 なんとかこの歳までやってこれたのもやさいたちと子どもたちのおかげ。それはまちがいない。

それだけに両方に恩がえしというわけでないけれど、せいいっぱいサポートしようと思う。いずれもかぎられてはいるし、わずかなひと押しにちがいないけれど。

おわりに

 毎回、あたまにおなじようにうかんでくる。そのたびにまわりのおかげと思う。生かされているんだ、きっと。まだわずかだけど必要とされているんだと思えてくる。


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