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ミニマリストになろうと思った日

こんにちは、きなこもちです。
今回は、私がミニマリストになろうと思ったきっかけについてお話させて頂きます。

数年前は、ミニマリストという言葉さえ知らなかった私ですが、ある出来事をきっかけにミニマリストになりたいと思うようになりました。それまでの私はどちらかというとマキシマリスト。所謂ミニマリストとは正反対の生活をしていたのですが、今の私からすると考えられないほどの洋服や趣味の道具、ストック用品などで押し入れの中は溢れかえっていました。特にひどかった時期は、縫製の会社に勤めていた時。手編みやミシンといった趣味があったので、会社がたくさんの生地を無料提供してくれた日には、あれも可愛いこれも可愛いとなり、山程の生地を持って帰っていました。夫にも「この生地の山どうするん?」と、呆れられたくらいです。

ただ、作りたいものを、作りたいから作る。その時は、それが自分なりの息抜きであり仕事を頑張るモチベーションになっていました。しかし、フルタイムで働きながら趣味の時間を確保するのってなかなか大変。大体の生地が、持って帰ったはいいものの、そのまま放置されているという状態でした。もはや、作ることへの楽しみというよりも、集めることへの執着に変わっていたのだと思います。

そんな山程の生地や毛糸に溢れかえぅた部屋でしたか、その時は、散らかっていて居心地が悪いとか、物が多すぎるから物を減らそうなんて微塵も思いませんでした。その時はその時で、幸せだったから。そんな私がなぜミニマリストになろうと思ったのか、2つの出来事についてお話させて頂きます。

ミニマリストになろうと思った日

まず一つ目は、働きながら頑張っていた不妊治療でした。頑張っても頑張っても授かれない命。体に良いと言われるものは片っ端から試してみたり、神社に行ったり、思い返すと本当に色んな事をやってきました。だけど、うまく行かず心が折れそうになった時、いらない物を手放すことで、新しい出会いがやって来るといった話を聞いて、なるほどと思いました。不妊治療とミニマリストは関係のない話と言われればそうかもしれませんが、だけどその時は何をしてもダメだったので、神にもすがる思いで、この言葉がすんなりと自分の中に入ってきたのだと思います。この言葉を信じて、まずはできるところから片付けてみようと思いました。

そして、二つ目は、必要なときに必要なものを取り出せないという不便さ。これは、結構致命的なことだと思いますが、これに関しては、もっと昔から嫌気がさしていました。この時は、夫と二人で2DKの社宅に住んでいたのですが、そんなに広くない部屋の収納スペースは、いつも二人の荷物でパンパンでした。常にそんな環境だったので、あれ使いたいんだけど、どこだっけ?この辺にあるはずなんだけどな〜と、使いたい時にすぐ取り出せず、まずは使いたいものをガチャガチャと探すところからでした。今振り返ると、とんでもなく効率の悪いことをしていたと思うのですが、その時はそれが普通でした。この不便さと、前述した不妊治療の出来事が重なり、やっと断捨離をしてみようという思いに至りました。

自分なりに物と向き合うこと

突然ですが、もし今ここに仕舞われている物たちが一瞬で消えたら……と、想像してみたことはありますか?私は、いつも物と向き合う時は心の中でそう問いかけるのですが、そう考えでみると、思い出せるものって本当によく使っている一部のものだけなんですよね。その他は今消えてしまっても何の問題もないし、むしろ思い出すことすら出来ないものもあるかもしれません。そうなってくると、それらは自分にとって、本当に今必要なものなのか?大切なものなのか?という答えが、明確に見えるようになってきます。

私の場合、もしかすると、これらのきっかけがなければミニマリストという言葉さえも知らずにあのまま生きていたかもしれません。でも、それはそれで幸せだったなら良かったと思っています。はじまりには何でもきっかけがありますが、どんなきっかけであっても、そうなりたいと思えた日がまず大きな一歩だと思うので、私を変えてくれたこの2つのきっかけには今でも感謝しています。

私なりのミニマリストとは

ミニマリストというと、どこに何があるのかすべて把握していると言いますが、常に私の目標もそこにあります。しかし、すべてのものを頭の中に入れてしまうなんて到底無理。(個人的には)だけど、すべてのものを把握できないということは、まだまだあちこちに物が散乱している状態だとも言えます。

ミニマリストになりたいと思った出来事から4年ほど経ちますが、個人的にはもっと見直していきたい箇所もあります。キッチン用品や食器、そして趣味の道具などなど。ちなみに、私の持ち物の中では洋服が一番多いのですが、減らせずに多くなっているというわけではなく、ただお洒落をすることが好きだからという意味で、ほどほどの洋服たちに囲まれて生活しています。とはいえ、初めのうちは、持ち物を少なくすることがミニマリストだと思っていたので、洋服も200着程から20着未満に抑えたこともありました。その時はそれで満足していて正解だと思っていたのですが、実際にそれで過ごしてみると洗濯の回数が増えたことで、お気に入りだった服がヨレヨレになってしまったり、結局また他の洋服も着たくなってしまったり。あの日手放してしまった服を取っておけば良かったなと後悔して、結局買い直すというお金の無駄遣いもしてしまったので、それ以来、自分の好き
という気持ちは大切に、持ちたいものは持っていようと思うようになりました。

洋服に限らず、使えるものまで無理に手放してしまうのは、今となってはもったいないなと思います。不要なものを買わないということは、ものを増やさい、ゴミを増やさないというメリットにはなりますが、結局買い直してしまっては意味がありません。お金やものを大切に、こだわりを持ちすぎずに使えるものは使おうというのが、私なりのミニマリストです。

おわりに

ちなみに、私の夫はマキシマリストなので、夫の部屋にはいつも趣味やその他のものたちで溢れかえっています。そのため、家全体で見ると物はとても多いのですが、夫は夫で趣味のものたちに囲まれてとても楽しそうなので、それはそれで良いと思っています。

夫が頑張って働いたお金で買ったもの、子どもがもらったものなど、私にとっては不要でも、その人にとっては価値があり大事なものなので、わざわざ口を出すこともありません。家族とはいえ、それぞれ個性があり考え方が違うのは当たり前なので、お互いに尊重しながらこれからも楽しい家庭を築いていければ良いなと思っています。

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