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お前のエアーズロックを鳴らせ

 俺にもいつかこどもができる。

 うちは決して裕福ではなかったが、やりたいことはとりあえずやらせてもらえた。うちの親は2人とも放任主義の中の放任主義で、しちゃダメなことなんて言われた記憶はほとんどない。
(一度、親父に「脇腹とみぞおちは力が入らないから殴ってはダメだ」と怒られたことはある。いやいや顔も金玉もダメだし、そもそも人を殴ってはダメだろう。)その結果、こんな息子ができあがっている。

 俺もいつか結婚して子どもができたら、もちろんやりたいことはできるだけやらせてあげたいと思っている。そして、できるだけ一流の教育だって受けさせてやりたいと、そりゃそう思っている。その心構えはもうできている。構えすぎている。
「プロ野球選手になりたい」と言ったら小さい頃から野球をできる環境をつくるし、バットもグローブも買って、イチローさんの名言まとめサイトとかもブックマークする。「ピアニストになりたい」とも言うかもしれない。プロのピアニストになる人は、小さい頃からお家でずっと、白と黒とを、指で反復横跳びして来ただろう。ピアノも与えてあげたいし、絶対音感も絶対与えてあげたい。

 ただ、自分の息子が、
「お父さん、ぼく、将来は裁判長になりたいんだ!」
と言ってきたらどうしよう。
「お父さん!ぼく裁判長になりたいんだ!ただの裁判官じゃないよ!いつかはいちばんの裁判長になって人を裁くんだ!だってカッコいいじゃない!ねえ!ぼく裁判長になれるかなぁ!なれるよねぇ!どうやったら日本一の裁判長になれるかなぁ!」
と矢継ぎ早に、真剣な眼差しで言ってきたらとりあえずは「まぁまぁ、静粛に」とでも言おうか。
 動機はどうあれ、子どもがやりたいと言ったことだ。俺は子どもの夢を、良い夢か悪い夢かなんて裁く立場じゃない。ましてや「意義あり!」と唱える男にだけはなりたくない。むしろ、俺の息子だ。きっと日本一、いや世界一の中立の存在として、世界の中心で愛を叫び、物事を正しい方向へ導いていってくれるだろう。
 その為に、裁判長になるために、さぁどんな英才教育を受けさせるべきか。

 まずは、学校の教科だが。国語、算数、理科、余計なもんはいらない。社会?あんなもの教科書の中の歴史も時がたてば変わるし、国の主観で偏った知識を与えかねない。受けさせるのは「道徳」だけでいい。道徳一本だろう。道徳だけは常にオール10をとるべきだ。道徳の文章も積極的に手をあげて読むべきだ。読むことは大事だ。そしていつか気づくのだ。読んでいるだけではダメだ。机上で物事を考えているだけではダメだと。体験して失敗して、泣いて泣かせて、笑って泣いて、そこで学んだものが道徳だと。そこからがお前の道徳のスタートだ。いいぞ、息子。そうだな、ここではお前を判太郎と呼ばせてもらうことにしよう。
 もちろん体育も大事だ。スポーツにはルールがある。ルールとは法律である。ルールを学ぶこと、それ即ち裁判長への道そのもの。もちろんプレイヤーなんてやらせない。常に審判。ボールやバット、ラケットなんて握らせない。握るのはホイッスル。お前の笛の鳴る方へ人は進んでいくし、お前のあげた旗がきっと明るい未来への道標になる。いいぞ、判太郎。人生のファウルだけは見逃すな。
 そして道徳で、様々な事を経験することが大事だと学んだはずだ。しかし、この世に無駄のことなどないと言っても、プロになる人はその職業毎の素振りを毎日しているはずだ。ならばそのような有効な時間の使い方をさせてあげたいじゃないか。裁判長にとっての素振りはなんだ。と、いうことで俺は判太郎を町一番の大工の棟梁へ弟子入りさせる。
 一流の大工の如くハンマーを使えないと「ガンガン!」と音を鳴らし「静粛に!」だなんて胸を張って言うことはできない。それこそ、一癖も二癖もある被告人や弁護人に釘を刺すことはできないのである。
 大工として、一つの家を建てる。家を建てる中にも色んなルールがあることを学ぶ。そんなルールも大事だが、もっと大事なのはその家の柱。その大黒柱という存在を通じて、裁判長という柱の在り方を学ぶんだ。判太郎。いいぞ。お前は日本の大黒柱だ。
 ちなみに裁判長の使っているハンマー、名前を「ガベル」というらしい。このガベルだが、よくよく調べてみると実は日本では使われていないというじゃあないか。いやぁ、関係ないよ判太郎。お前は日本にとどまるような男じゃない。日本という島国で育てた価値観は世界にも通用する。なんなら日本でだけ中立でいても、それは国が変わればとても偏った存在だ。もっともっと世界の中立でいて、世界の中心に立ってそのエアーズロックをガベルで叩くといい。

 ある日、棟梁の趣味の海釣りに出かけた帰りに判太郎は師匠にこう言われる。
「お前、魚も捌けねえのか。魚も捌けねえやつが人なんて裁けるわけねぇだろうが。てやんでい。」
べらんめえってな訳だ。棟梁の紹介で今度は判太郎を銀座の鮨屋へ弟子入りさせることにする。15歳で寿司職人の世界へ入った判太郎。寿司職人は、シャリ炊き3年、合わせ5年、握り一生というように、一人前になるのに10年かかるという。25歳まで活きの良い鮨を握ることはできない。辛い。辛いが、美味い鮨を握れないやつが、人一人の人生の決定権を握ることができるだろうか。否、人の人生を握ることなど誰にもできない。しかし、それに近いことが裁判所では行われているだろう。それならば「一人前の寿司職人になるまで帰ってくるな」と俺は判太郎を送り出す。
 するとどうだ。鮨屋の大将の家にお世話になって3年目の春。判太郎もそういう年頃だ。判太郎は大将の1人娘と恋をすることになる。その時、判太郎18歳。大将の娘は16歳。お互いを兄妹のように思っていたふたりだったが、身体の成長と共にその気持ちは出世魚の如く大きくなっていき、その想いはブリでもマグロでもなくそれは紛れもなく鯉…いや恋だったと気付くのだ。
 もちろんそんな恋を大将が許すわけがない。まだろくに包丁も握れねぇ半人前のお前がなにが恋だ、と破門されかける勢いである。しかも可愛い娘と同じ屋根の下に住ませるわけにもいかない。両方の気持ちが本気かどうか、試すつもりで「出て行け」と大将が言った日の夜、判太郎は娘さんと駆け落ちをする。もちろん父親の俺にも相談はしていない。自分で選んだ道だ。
 思えば、今まで努力の仕方をすべて、親や大人が決めてしまっていた。初めて判太郎が自分で選んだ事は、「愛した女と生きる」という道だった。判太郎、それでこそ俺の息子だ。それがお前の裁判長への道だ。そうやって自分で考え、判決をくだしていくのだ。いいぞ、判太郎。

 その後、鮨屋の大将は商売道具の包丁を握ったままうちに来たり、兎にも角にも色々とあった。そりゃ一人娘を急に奪われたのだ。たまったものじゃない。大将には本当に申し訳ないと謝りながらも、俺は息子が悪い事をしたとは1ミリも思っていなかった。
 しかし、うちも1人息子が急にいなくなったことに変わりはない。徐々に俺と妻との関係も悪くなっていった。
「アナタが、裁判長になりたいってあの子が言った時に止めていれば」
「アナタが、日本の裁判にはハンマーは使わないってすぐ調べていれば」
「アナタが、魚を捌くのと人を裁くのは関係ないって気付いていれば」
妻から様々な「いれば」で噛みつかれ、俺のこころには歯形がたくさんついていた。
 そんな日々が続き、何年か経った頃、とうとう離婚届がリビングの机に置いてあった。妻の名前はもう書いてある。「もう、いいか…」そう思い、サインをして判子を押そうと思ったその時である。

ガンガンガン!!

 玄関のドアが強い音でノックされた。
「誰だ…こんな時間にインターホンも押さずに」
恐る恐るドアを開けると、そこには俺の身長より大きくなった判太郎が立っていた。
「お父さん、ただいま。」
気持ちの良い顔立ちをした息子がそこに立っている。初めて息子を下から見上げた。
「お父さん、勝手なことしてごめん。俺、結婚したんだ。その報告に帰ってきた。大将のところにも昨日行ってきたんだ。あと…母さんから連絡きたんだ。父さんと離婚したいと思ってるって。」
「………そ、そうか。」
妻は判太郎と連絡がとれていたのか…?いや、そんなことより今までどこにいたんだ。あの娘さんとはまだ一緒にいるのか。急な息子との再会に色々な思いが巡る。

「だから………今から、父さんと母さんの離婚調停に入ります。」
「え?」
「ここは家庭裁判所…いや、家庭内裁判所です。」
「お前、なにを言ってるんだ。とにかく、もっと話したいことがたくさんあるんだ。中に入れ。それに父さんは今ちょうど届けにサインをして判を押そうと……!」

ガンガンガン!!

「静粛に。」


 読んでくれてありがとうございます。

 高尾山に登った時に、世界一カッコいい死に方のカエルを見つけました。川の中で見つけ、思わず写真を撮ってしまいました。
「井の中の蛙大海を知らず」ともいいますが、俺はこんな風にかっこよく死にたいと思わずにはいられませんでした。

 写真で気分を害した方がいたらすみません。え、なんですか?はいはいはい、わかりました。これ以上なにか言いたいことがある人は法廷で会いましょう。うちの息子と一緒に。

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