母の残したサプライズ

今月はきつかった。6フライト、台湾を拠点としながらホーチミン、東京、シンガポールと毎週違う場所にいた。どこから書いたとしてもまとまる気がしない。ただ、今この瞬間に記録に残しておきたいという気持ちで綴る。

ホーチミンも東京も元々予定はなかった。どちらのフライトも前日に取ったくらいだ。昔から幾度となく滅多にない偶然にもみくちゃにされていたような気がする。

母がまた倒れたのは今年の2月、台湾の家族を連れて東京へ見舞いにいった。どうやら本人は2年前から肺腺癌だとわかっていたらしいが、昨年倒れたときに抗がん剤治療を開始、そのときに僕ら兄弟妹は知ることになった。

ホーチミン滞在中、弟からの連絡では「ドクターの説明から予想すると直感的には今月末くらいじゃないかな。わからんけど」と。

4月14日午前7時成田到着、そのまま荻窪の病院に直行し9時過ぎに到着。

既に妹が病室にいて、母の呼吸が早くなっていた。目を瞑ったまま呼びかけても反応はないが、看護師さんは「耳は聞こえているので話しかけてあげてください」とのこと。僕と妹で話しかけた。

昔は力強くいい二の腕してたのにひどくやせ細っていた。呼吸が止まったり、吹き返したりを繰り返した。最期が近いのは明らかだったので弟に早くくるよう連絡した。

目がうっすら開いたような気がした。妻が日本語の文字が絵柄になっている服を作り子供たちに着せた写真を見せ、「孫たちも日本語の勉強してるよ」と伝えると焦点が合っていないが目を見開いた。

10数回は呼吸が止まったり吹き返したりを繰り返したが弟の到着まで間に合いそうもなかったので電話をスピーカーにして弟の声を聞かせた。その直後に安心したように眠り帰ってこなくなった。同日午前10時過ぎだった。

どちらにしても長くないというのは聞いていたしある程度は覚悟していた。国を跨いで生活をしていると親の死に目に会えないことの方が多いと聞く。

ここから思いもよらないことがいくつも発覚する。

兄弟妹で話し、葬式はせずに火葬することにした。火葬場は”元”父親と同じ火葬場であったことを聞いた。2018年11月、元父親の火葬には母と妹と元父の妹さんのみ参加したらしい。そういえば当時一瞬そんなことを聞いた気もするが一切興味がなかったのか聞き流していたようだ。最後に直接会ったのは中学生の頃だった。

母と元父は僕が4才の頃離婚していた。原因は主に元父の酒と暴力とギャンブルだ。離婚後も何度か会っていたがなぜか兄弟妹のうち僕だけ理不尽に殴られ続けた記憶しかない。未就学児でもわかるくらいロジカルさが欠如した男だった。

7歳くらいの頃、目覚めたら胸倉をつかまれ宙に浮き、顔面を殴られものすごいいきおいで鼻血を流していた。まるっきり状況が理解できなかったが、どうやら家に母は不在中に鍵を持っていないヤツが来てドアを開けろとガンガン叩いていた。僕ら兄弟妹は寝ていたが、弟が起きてドアを開けた。「弟が起きて開けてくれてるのになんで兄が寝てるんだ。狸寝入りしやがって」だそうだ。

母が亡くなったことで戸籍の全部事項証明を取ることになり、ああ、そういうことかと理解した。母と元父は僕の誕生日の2週間後に入籍していた。つまり、籍を入れるかどうかで揉めていたと。僕が生まれた当時母は33歳、当時としては高齢出産で母は子供が欲しかった。逆にヤツにとっては望まぬ子だったってことか。

母の残したサプライズはまだまだたくさんあった。母には東京に1軒、千葉に3軒、計4件の不動産、いや負動産があった。母側の家系は元々地主だったわけだが、現代では入居の需要も使い道も資産性もないにもかかわらず毎年固定資産税だけ課税される正真正銘の負動産である。それらを処分しないといけない。

いつから痴呆が始まっていたのかわからないが、ケータイやらWiFiやらも複数回線契約があり未払い、用途不明の消費者金融の督促状が複数。そのうちひとつは笑えることに2006年に5万円キャッシング、累積支払額70万円、未払い残高30万円?! どういうことよ。。。そういう意味不明な負債を合計すると数百万。。。たぶん現代の規制よりもかなり高い利率なので弁護士に相談すればいくらか減額できるはずだけど。。。

母の実家のある千葉の南端・鴨川市に兄弟妹で向かう。
母との約束で亡くなったら鴨川の墓に入れてくれと言われていた。
そこでも更なるサプライズを仕掛けてくれていた。。。

悲しむ間もないくらいたくさんの宿題を残してくれる最高の母なわけだ。

妻が言う、「お義母さん、最期まで優しかったね。会えるまで待っててくれたんだよ。」

やめてよ、泣けてくんじゃん

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