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「楽しむ」って難しい

楽しむのが苦手だ。

私は最近習慣にしているジムでクロストレーナーという機械でゆさゆさ揺れながら考えていた。

せっかく契約したジムだが、私は筋トレが苦手でクロストレーナーだけを使っている。

足と手が連動して負荷を調整できるランニングマシーンのようなものだ。

元々ランニングが好きで天気に左右されずに有酸素運動がしたいと思っていたことが理由で契約したジムだったのでそんなに勿体無いとは感じていない。

胸部に振動が響かないので希少な落としたくない胸部の肉を守りながら身体を締められるのではないかと密かに期待しているのも、このクロストレーナーにはまっている理由のひとつだ。

ランニングが好きとは言っても、もちろん出かける前は毎度めんどくさいなーとか嫌だなーとか思う。

けれどいざ始めると、適度な負荷とそれを振り切るように聞くお気に入りの音楽の爆音に身を委ねるうちに、爽快感に包まれる。

何より終わった後の、よくわからないけど良い人間になった感、がたまらないのである。

そう、もちろん快感を得るためにやっている趣味ではあるんだけど、金曜日のうちに宿題を終えた小学生のような気持ちになれる、この感覚がたまらないのが私が運動を続けている理由である。

よく耳にする言葉に努力は夢中に勝てない、というのがある。

目の前のことに苦しんでいる時点で、それを楽しんでいるひとには集中力も成長も追いつけないという理論。

その理論で言うと、多分ジムに通っているのは努力を快感に感じているのであって、それ自体を楽しんでいるのではないだろうな。

小学校のころも、宿題は早めに終わらせるタチだったし、受験合格のためには我慢して勉強した。

学生の頃の私は人生はがんばりの貯金だと思ってた。

その弊害として今、「ただ楽しむ」のが苦手なのだ。

なんとなくどんな趣味も自分の中でやんわり目標を立ててしまって、その時その時間をただ楽しむと言うことがあまりできない。

その結果なんで誰にも強制されてないのに頑張ってるの?となって数年後プツリとその趣味をやめてしまうのだ。

だから、なんのためでもなくやってしまうような趣味がある人はすごくカッコいいなと思う。

クロスウォークのタイムが30分になった。今日もいい人間になったぞ、とほくほくしながら帰宅する。

私なりにこれで満足だ。

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