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それでもキレイゴトを言いたい-適応障害再発

適応障害が再発した。寝ようとすると自分がしゃくりあげながら泣き出す。

何も悲しい対象がないのに
悲しい気持ちが込み上げて、止まらなくなって
わんわんと泣き出す。それを頭の中のもう1人の自分がめんどくさそうに見守り、涙を拭う。

もう1人の自分は泣き喚く現実とは裏腹に、至って冷静に睡眠薬に手を伸ばし、手際良くしゃくりあげる合間を縫いながら自分の口に放り込む。

翌日、目が腫れている以外の支障はなく、まぁこんな日もあるだろうぐらいに思っていた。

ただそれから明らかに変化は拡大していき、毎日仕事が終わると睡眠薬が効くまでの間、涙が止まらないようになった。

気づけば頭の重みが、明らかに以前適応障害を発症した時のものになっていて、勤務中にも涙が流れるようになっていた。

原因は結果から逆算して残業時間だった、
でも復帰からは自分なりに抑えているつもりだった。

目標ノルマからも強かにギリギリ達成するぶんから逆算しただけ働くように意識していた。

計算ミスの原因はもう一度適応障害になったあの日までに比べて体力はずっと落ちていることを考慮していなかったことだった。

もうあの時と同じように元気なわたしでは無いのだった。

これでわたしは通算2年と1ヶ月の社会人生活で2度適応障害を発症したことになる。

いい加減向いてない。

人生で初めて自分に対してあきらめたときだった。

でも、今の仕事は第一希望の環境、職種だったので咄嗟に次の一手が思いつかない。

これからどうしようか、、。

いつもはコンサルタントという職種柄、人にアドバイスばかりしているのに自分のことになると一向に決心がつかない。

一旦休憩のキャリアにしたい、
楽そうな求人にひたすら応募ボタンを押す。

会社の上司も気を配ってくれた、異動も視野に入れていいんだよと声をかけてもらっていた。

流石に職は変えよう、これ以上ここにいたらそのうち生活もままならなくなる。

でも、今の仕事は好きなんだ。これが厄介で、じゃあどこに?が思いつかない。

異動するしない、転職するしない、
25歳になってまだまだ人生に岐路だらけなことに驚く。

土日だけ考えさせてください、
とだけ金曜に人事に伝えて考え尽くして
腹落ちした答えはやっぱりチャレンジする方向だった。

今は無理でも、また将来この領域に生きる経験をつけたい。

自分でも自分のことがアホらしく思う。
けどこれはきっと根っこのところで
わたしが人生死ぬまでキレイゴトを言いたいって思ってるんだってことに気づいたから。

怖いけど、一歩、
合ってるかはわからない、けど
キレイゴトが言いたいから。

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