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読みたいことを、取材・執筆・推敲すればいい。

古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』を再読している。ライターとしての「プロフェッショナル仕事の流儀」がここにある。

 私は書くことを生業としている者ではない。仕事で文書を作成することは少なくないが、職業的な「書き手」ではない。その私でも、この本は面白かった。業務として報告書や議事概要を作成する人、研究を志す=これから論文を書くような立場の人、「書く」気持ちがありながら苦手意識がある人にもお勧めしたい。


冒頭から、救われた言葉がある。

そもそもライターとはからっぽの存在である。

この言葉に驚くと同時に、唸った。小説家でもない限り自分自身から言葉は容易に出てこないものだ。

だからこそライターは、取材する。
からっぽの自分を満たすべく、取材する。

取材を、「インプット」「調査」「実験」と置き換えると、途端に身近な仕事に感じてくる。


そして、こうも書かれている。

ぼくは本書を、「読むこと」の話から始めたい。それが取材の第一歩であり、「書くこと」の大前提だからだ。

「読むこと」が「書くこと」の前提なのだ。良く「読む」ことが出来なければ、「書く」内容の善し悪しなんて分からない。

そういえば、どこか似たような文字列の本を知っている。

田中泰延さんの『読みたいことを、書けばいい。』だ。


私は『取材・執筆・編集』を読みながら、いくつものページに「読みたいことを~」、「田中氏」とメモした。

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いたるところで共通する姿勢を感じたのだ。もしかすると『読みたいことを、書けばいい。』のメッセージが心に残っていなければ、ライターでもなんでもない私が『取材・執筆・推敲』にこれほど感銘を受けることはなかったかもしれない。


前半で強く感じ入った部分がこちら。

あなたの原稿がつまらないとしたら、それは「書き手としてのあなた」が悪いのではなく、「読者としてのあなた」が甘いのだ。(『取材・執筆・推敲』P55)

強烈なパンチをみぞおちにくらった気分である。しばし息ができない。
しかし、田中さんが「読みたいことを、書けばいい」という言葉に込めたメッセージにもおそらく同じ意味が含まれることに気づき、震撼した。


『取材・執筆・推敲』の個人的なクライマックスは、「8章推敲」と「9章原稿を「書き上げる」ために」である。

個人的に、「推敲」という言葉には強い苦手意識がある。今でも正直怖い。事務的な文書しか書いていないにもかかわらず、誰かにダメ出しされるイメージしか持てないのだ。

ところが古賀さんは「推敲」について、こう書いている。

ぼくは推敲の本質は、「自分への取材」だと思っている。

目からウロコである。詳しい内容は本書に譲るが、このような視点から、推敲の意義、心構え、技術についての説明が進められている。厳しいことも書かれているが、精神論ではなくあくまで論理的であり、非常に納得度が高く、背筋がのびた。


第9章は、あくまで個人的な感慨になってしまうが、2019年9月に行われた帯広でのトークショーが鮮やかによみがえった。あのときの答え合わせがここに書いてあるように思われたのだ。

古賀史健さんが、浅生鴨さん、田中泰延さん、幡野広志さん、永田泰大さんとともに帯広に来られた。この方々が揃った初日のトークショーに参加できたことは、今でも夢のようだ。

会の後半、会場からの「プロとは?」という質問に、それぞれが丁寧に答えていたのを覚えている。古賀さんが「プロとアマの違いは編集者がついているかどうか」と答えていたのをはっきりと覚えている。なんとなく理解したつもりではあったが、正直消化しきれない言葉であった。

第9章では、あのときの答えがより詳しく、さらにその先まで、あのときの浅生鴨さんらの言葉も交えながら語られている、そういうように私には読めた。本当のところは分からないし、あくまで個人的にそう思ったというレベルの話であるが。


実は私の所有する『取材・執筆・推敲』には、「読みたいことを~」や「田中氏」の他にも、「(浅生)かも氏」「ググらない」(浅生鴨氏の著書)、「永田(泰大)氏」「ハタノ(広志)さん」「隊長!」などの文字が多数書き込まれている。

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「隊長!」は、私が古賀さんの書著を読むとき、行間からなぜが沸き起こってくるイメージである。たぶん、田中さんが紹介した古賀さんのエピソードが原因だ。


正直なところ、私の欠点をズバズバ言い当てられる思いで、読み進めるのが辛かった部分もあった。しかし、厳しいトレーニングをともに乗り越えようとし、力強く励ましてくれるビリー隊長のような存在を、本書の中に確かに感じたのだ。

古賀さん自身も格闘好き、トレーニング好きを語っている。本書の表現にもそれが自ずとにじみ出ているのではないかと、にらんでいる。

「あとがきにかえて」には、その集大成ともいうべき言葉がある。

悔いのない生涯誇りにできる本になったと、自分でも思っている。(『取材・執筆・推敲』P475)

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ビリー隊長だと思ってついて行ったら、拳王だった。

もう、そうとしか思えない。 ※個人の感想です。