10年断筆していた私が、もう一度書くと決めた話

書き初め、なので。決意をこめて。


 昨年、二月。まったく暖まらない自室で、スマホ片手に、私は、あ、小説書こう、と思った。

 当時、引っ越して数ヶ月ほど。もとから備え付けてあった古びたエアコンが、がこがこと苦しみながら、可動する。部屋はリフォームされていて、比較的、綺麗なのに、このエアコンだけが、築年数をものがたる。私はエアコンの死にかけた吐息にあたりながら、スマホの画面をのぞいていた。

 画面の先は、某WEB小説投稿サイト。なんでこんなの開いたんだろう。アプリストアで、使い勝手のよいメモできるアプリがないか、探していたような気がする。そこからどうやって、そのサイトに流れついたのか、よく覚えていない。

 そのサイトのタイトルの羅列は、私が普段好む本の分野からは若干外れていた。異世界転生って、仏教が文化として根付いている日本ならではの発想だよなあ。解脱者は七回までしか、できないんだっけ、転生って。画面に頻発する単語を、指でぐりぐり押しながら、スクロールする。

 しばらく、スクロールして、押して、を繰り返して、そして、書こうと思った。すんなり思えたことに、自分で驚いた。

 文章を書かなくなって、十年くらいは経っていた。今、三十代なので、二十代、ほぼ書いていない、ということになる。
 断筆した経緯は、複合的なものだったけど、端的に言ってしまえば、消耗していた、だろうか。
 書かなくても、息吸えば酸素は摂取できる、という当たり前のこと。それに気づいてしまったからだ。
 十代の頃は、書かないと窒息死すると、本気で思っていた。

 昔から、幻想小説や純文学気取りのものを、書くのが好きだった。他人に見せられない部分を、切り取り、ぼかし、色素を変える。登場人物は没個性的で、すこし変わった世界に翻弄されるような話を、よく書いていた。それは二十代前半まで、変わらなかった。

 書くのをやめようと決めたとき、はればれとした気持ちだったのを覚えている。おいしいごはん食べて、仕事して、寝る。その繰り返しで人生を終えることは、とてつもなく健全のように思えた。

 自分の、見せられない部分を見つめるのは、苦しい。見たくない。ただでさえ書くことは、孤独な作業なのに。純文学みたいなのは、もうしんどい。幻想小説だって、世界観を構築する時間の余裕はない。

 いろいろなものを消耗していた私は、仕事を辞めるでもなく、引っ越しするでもなく、書くことを辞めることで心の均等を図った。そして、それはそれなりに成功した。

  そうやって、完全に手放したように装って、いつか、また、小説を書きたいと、ずっとずっと思っていた。
 でも、それには、勇気がいった。
 大好きなものを手放したのは、環境のせいじゃない。私自身が、選択したことだと、理解していたから。
 大好きなものを手放したくないなら、環境を変えればよかったのだ。
 もしくは、距離を置いても、すぐ戻れるようにしておくべきだった。
 小説書かないの、と聞かれ、私が過去に放った言葉は、書こうと思う私の手を、何度も止めた。

「だって不健全やん? 書かずに過ごせるなら、それに越したことないやろ」

 


 掌編は包丁を研ぐのに似ている。
たった数千字の言葉を何度も読み返し、研いでいく作業は、好きだ。

 では、暖まらない部屋で私が見た、WEB小説投稿サイトの小説は、なんだろう。散弾銃か。掌編一話分に相当する、3000字を毎日投稿して、流行と読者を意識して書く。オリジナリティをテンプレートの薄皮に隠し、平易な言葉を選ぶ。たくさんの人が、自分の小説に被弾するように。
 同じ言葉なのに、武器としてまったくの別物だ。なんか、こいつらすげーな、と思った。

 それから、十月半ばくらいまで、いわゆるなろう系と呼ばれるWEB小説を読み、本屋へ行き、ライトノベルのタイトルとあらすじをひと通り確認する、ということをやっていた。
 同時に、プロットを考え、キャラクターを作り、異世界転移ものを、八万字くらい書いた。(転生は、自分が書くのは、どうしても駄目だった。読んだことないくせに、阿含経のことが頭をよぎって、駄目だった)

 ものすごく、楽しかった。

 十年書いてないのに、思ったよりは、書けることには驚いた。もっとひどいかと思っていたので、意外だった。
 ただ、これを読んでくれている方はわかるだろうが、私の書く文体は、ラノベらしくない。
 ラノベらしくなるように、書いては、消すを繰り返した。
 そうやっているうちに、自分の文体で、昔のように掌編や短編を書きたくなった。ラノベの傍ら、深夜の菓子店の小話を書き出した。

 昨年は、そうやって、終わった一年だった。
 三十代で、今まで書いたことないラノベを書くって、かなりイタいよな、と落ち込んだ日もあった。ネガティブなので、書くのを阻害する言葉は、よく思いつく。うまく書けなくて、苦しくもなった。

 でも、それよりも、楽しい! が上回った。

 書くことが、楽しいってこと、人生折り返し地点である、三十代で気付けてよかった。
 このまま気付けなかったら、私、死ぬ間際に後悔してた。取り返しのつかないことに、なるところだった。

 心の底から好きなことから、逃げる方が、不健全だ!

 これを信条に、今年は純文学にも向き合いたいし、幻想小説だってプロット練りたい。

 もしまた、消耗してしまっても、見誤ることがないように。
 

 エアコンは今年も相変わらず、がこがこ音を立てている。時間は少しかかるが、温風は出ている。じきに、部屋も暖まる。私も、ぎこちなくても、書いていこうと思う。

#note書き初め #エッセイ #小説 #日記

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