幼馴染のようで家族のようで

高瀬 甚太

 人のあだ名を付ける時、顔や体格、外見から付ける場合と、しぐさや動作、あるいは口癖などから付ける場合がある。熊さんの場合は、体格とその動作などからクマさんと命名されたようだ。
 現役の警察官であるクマさんこと橋本幸一は、自分の職業を立ち飲み屋「えびす亭」では一切明かしていない。また、クマさんは極端に無口で、あまり自身のことを語ったりしない。ただ、酒はめっぽう強い。しかも一向に酔わない。どれだけ呑もうと常に平然としている。ただし、その動きは緩慢であだ名の通り、クマそのものだ。
 えびす亭に、最近、頻繁に顔を出すようになった一人に所沢元治という男がいる。年齢は三十八歳だからクマさんと同年齢だ。その男が何度かクマさんと隣り合わせになるうちに、親しく話すようになった。
 所沢さんは、関東の出身のようで標準語を話す。背が高く、スラリとしていて、見かけは悪くない。背が低くてガッシリした体格のクマさんとは対照的だった。また、クマさんが極端に無口なのに比べ、所沢さんはとてもおしゃべりだ。ペラペラとよく喋った。
 秋口になって雨が多くなった日のことだ。捜査中の事件に追われてしばらくえびす亭に顔を出していなかったクマさんは、事件が一段落したこともあって久々にえびす亭を訪れた。
 「いらっしゃい!」
 マスターの声に迎えられて店の中へ入ったクマさんは、店内をキョロキョロ見回した。所沢さんがいるかどうか確かめたのだ。しかし、その日はまだ、所沢さんは来ていなかった。
 クマさんは、麦焼酎と造りの盛り合わせを頼み、マスターに聞いた。
 「所沢さんは、今日はまだ来てへんようやね」
 「ここんとこしばらく姿を見せていませんねえ」
 いつから来ていないのか、確認したかったが、聞くのを控えた。
 店内はさらに混雑してきた。人の入れ替わりが激しくなる。クマさんは、所沢さんが現れるのを酒のお代わりをしながら待った。だが、その日はとうとう姿を現さなかった。
 クマさんは大阪府警本部生活安全課に所属し、主に少年犯罪を取り扱う部署を受け持っていた。クマさんの娘は中学生で、その下の息子は小学生だったから少年犯罪の取り締まりを行っていても他人事ではなかった。幸い、クマさんの娘は大の甘えん坊で、反抗期を忘れているんじゃないかと思えるほど子供っぽかったが、下の小学生の息子は、よく喧嘩をしてきて、クマさんを慌てさせた。
 街の不良少年の間でもクマさんは結構有名人で、クマさんを慕う少年少女が多かった。クマさんは無駄に説教せず、愛情を持った叱り方をすることで知られていて、犯罪を犯した少年たちも、クマさんの前に立つと不思議と皆、素直になった。刑事たちの中には、それは皆、クマさんのキャラクターからくるものだろうと噂したが、クマさんの上司の三上はそうは思わなかった。クマさんの子供たちを見る真剣な眼差し、子供たちへの思いを誰よりもよく知る一人であったからだ。
 クマさんは、時間さえ許せばえびす亭に顔を出したが、いつ訪れても、所沢さんの姿を店で見ることはなかった。
 心配になったクマさんは、持前の刑事根性を発揮して、所沢さんの行方を追うことにした。
 クマさんは、えびす亭での所沢さんとの会話を反芻した。確か、住まいは城東区関目の辺りと言っていたような気がする。息子と娘が一人ずついて、息子は中学生、娘は小学生……、よく考えたら自分のところと一緒じゃないか。
 しかし、どれだけ考えても所沢さんの居所、行方は掴めなかった。
 そのうち、市内で連続ひったくり事件が頻発するようになり、クマさんもその事件を追ってえびす亭に顔を見せなくなった。
 ひったくり事件の目撃者の話から、犯人は十代半ばの少年で、しかもかなりの人数がチームを組んで犯行を行っていることがわかった。
 クマさんは、ひったくりが出没するという周辺の街を相棒の佐藤宗次刑事と共に警邏した。
 「橋本さん、目撃者の話では今回のひったくり事件には、中学生らしい少年が混じっているということですが、橋本さんのお子さんも中学生でしょ、他人事じゃないですよね」
 クマさんより二十歳も若い佐藤は、この秋に結婚を控えている。子供は十人でも二十人でも欲しいと豪語する佐藤にとっても、犯罪年齢の低年齢化は他人事ではなかった。
 「犯罪を行う少年の大半が、家庭に問題があると言われている。子供を野放しにする親の責任も大きいだろう」
 クマさんの危惧するところは、少年犯罪の増加ではない。自分勝手な親が増えているという現在の状況なのだ。愛情不足がもたらす子供たちへの影響は深刻だ。
 ひったくりは、近年増加する一方の犯罪で、被害者の多くが中高年の女性である場合が多い。自転車の前の篭に置いていたバッグを、後方からやってきたバイクに乗った二人組に取られたり、歩いているところを後方から来たバイクに取られたりと、いった具合にワンパターンなのだが、なかなか防げないでいた。ただ、ひったくりが頻発する場所の特定だけは可能で、できるだけそういった道を歩かないようにと呼び掛けるのだが、呼びかけも空しく、事件が頻発して起きているというのが現状だった。
 「佐藤、おまえ、この道の先に曲がり角があるからそこで待機していてくれ。もし、わしがここで犯人を見つけたら、合図をする。その先の角を曲がるはずだから、そこで捕まえてくれ」
 クマさんの指示に従って、佐藤は道の前方にある曲がり角のところで待機した。それを確認すると、クマさんは、ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。
 人通りの多い場所ではないが、この道を通る必要のある人もいるのだろう。バラバラと人が流れて行く。中高年の婦人が多く、クマさんは婦人たちの背後に注目した。
 午後九時を少し過ぎた時間帯、まばらになったその時を狙って、勢いよくバイク音が響いた。クマさんは緊張した面持ちで後方から走って来るバイクに注目した。二人乗りであった。
 バイクは前方を歩く婦人に近づくと、後部座席に乗っていた一人が素早く婦人の手からバッグを奪い取った。鮮やかな手並みだ。
 クマさんは、すぐに佐藤に連絡を取った。佐藤はバイクを確認し、近づくバイクに飛び込むようにして倒すと、起き上がれないでいる少年二人を現行犯で取り押さえた。
 
 所轄の警察署に連絡し、そこへ二人の少年を連行し、クマさんと佐藤が聴取に当たった。
 少年の一人は十八歳、高校を中退して、この地域で悪名高い、渋谷英二という男だった。もう一人は、中学一年生、名前を所沢正二と言った。
 所沢という名前に聞き覚えがあったクマさんは、父親の名前を尋ねた。しかし、少年は、父親に知られたくないと言ってなかなか答えなかった。
 「お父さんの名前、元治と言うんじゃないのか?」
 熊さんの言葉に少年は鋭く反応した。
 「やっぱりそうか……。所沢さんはわしの友人なんだ」
 そういえば、少年の顔立ちがどことなく所沢さんに似ていなくもないと、クマさんは思った。
 「お父さんはどうしている? 元気にやっているか」
 クマさんが少年に尋ねると、少年は顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。

 少年に家の連絡先を聞いたクマさんは、所沢さんに電話をした。午後十時を過ぎていたが所沢さんは不在で、奥さんが出た。熊さんが、ご主人は? と尋ねると奥さんは、
 「まだ、仕事から帰ってきていません」
 と申し訳なさそうに答えた。
 クマさんは、息子の正二くんがひったくりで捕まったことを告げ、できれば、ご主人と一緒に警察署の方まで来ていただけないかと伝えた。
 狼狽した様子の奥さんは、すぐに主人に連絡を取って、お伺いします、と答えて、急いで電話を切った。
 所沢夫婦が警察に姿を現したのは一時間後のことだった。
 所沢さんは仕事の途中で出てきたのだろう。作業着姿のまま、奥さんと共にクマさんの前に現れた。かなり狼狽しているのか、所沢さんはクマさんを見ても気付かず、平身低頭、息子の非を詫びるばかりでクマさんと目を合わせなかった。
 「所沢さん、お久しぶり……」
 クマさんの言葉で、ようやく所沢さんは、自分の目の前にいるのがクマさんだと知った。
 「クマさん……!」
 クマさんが警察の人間だと知らなかった所沢さんは驚いた。
 「えびす亭に顔を出さないから心配していたんだ」
 所沢さんは、ありがとうの代わりに、何度もクマさんに礼をし、
 「神奈川で小さな会社の営業をやっていたんだが、女房の親父が病気になって、急きょ、私が社長の代わりを務めるようになった。小さな金属会社だから工員の欠員が出ると大変なんだ。働いていた工員が二人、事故に遭ってね、代わりに私が働いて納期に間に合わさなきゃならない。それもあって、えびす亭に顔を出せなかった。心配してもらってありがとう」
 と、言い、「近々、二人が復帰するので、落ち着いたらえびす亭に顔を出すつもりでいる」と、所沢さんはクマさんに言った。
 「息子さんのことなんだが……」
 クマさんの言葉に所沢さんは眉を潜めた。
 「息子は、神奈川を離れるのが嫌だったようで、大阪へ来てから口を利かなくなってね。それに向こうにいた時は、私と一緒に遊ぶ時間がたくさんあったが、こちらへ来てからはほとんどそれもできなくて、休みの時ですら何かと社用で振り回される。それも息子は気に入らなかったのだろう。悪い連中に声をかけられて……」
 クマさんは、所沢さんの話を聞き、
「息子さんとしっかり対話をしなさい」
と言った。
 「わかりました」
 と所沢さんが答え、その日、一晩、留置場で泊まった所沢さんの息子は、翌日、迎えにやってきた所沢さん夫婦と共に家に帰った。
 所沢さんは息子を放ったらかしにしてきたわけではなかった。だから、対話をして話し合えば、今ならまだ間に合う。クマさんはそう思っていた。

 クマさんが所沢さんに会ったのは、それから一週間後のことだ。いつもの時間にクマさんがやって来て、えびす亭で一人、ちびりちびりやっていると、所沢さんが現れた。
 「クマさん、先日はどうも……」
 所沢さんはそう言って、クマさんの隣に立つと、
 「先日は息子がお世話になって」
 と言った。
 「いや、いいんだ。気にしなくていいから」
 所沢さんは、クマさんのグラスが空になっているのを見ると、
 「マスター、私の奢りでクマさんにビール一本。私は焼酎の水割り一杯」
 と言う。クマさんは慌てて、
 「所沢さん、駄目だよ。気にしなくていいと言っただろ」
 と言って、マスターに断ろうとすると、
 「いいんだよ。クマさん、ビールぐらいご馳走させてくれ。嬉しいんだよ、私は」
 と、所沢さんが言う。
 「嬉しいって……、どういうことだよ」
 「クマさんに言われたように、あれから息子と話をしたんだよ。神奈川に居た頃はよく話をしたもんだが、大阪へ来てからいろいろあったものだから久しぶりでね。膝を突き合わせて話をして、息子の気持ちがよくわかったよ……」
 所沢さんはそこまで話して、グラスに入った焼酎を一気に呷り、冷たいビールをクマさんのグラスに注いだ。
 所沢さんの表情を見て、クマさんはすべてが飲み込めた。
 「何にしても、所沢さんとこうしてお酒が呑めて、嬉しいよ」
 クマさんはそう言って、所沢さんのグラスに自分のグラスをカチンと当てた。
 「私も嬉しい。今回はクマさんにいろいろ教えられたよ。対話というのは、ただ向き合って話すだけじゃない。相手を本当に理解してやろうという気持ちが無ければだめだと思い知った。いい経験になったよ」

 あの後、ひったくりグループの全貌が明らかになった。首謀者は十九歳の少年で、少年鑑別所を出て来て間もない少年だった。その少年の下に十二人の少年がいて、一番下が所沢さんの息子の十二歳だった。
 少年グループを逮捕するにあたって、クマさんが第一線に立って少年たちに対した。クマさんは、捕まえた少年、一人一人と真剣に対し、話を聞いた。少年たちが何を望んでいるか、クマさんはそれを知りたいと思った。
 クマさんと話すうちに、打ち解けたのか、少年たちは家のこと、自分の悩みを口にした。クマさんは、叱ったり、怒ったりする前に、まず話をよく聞く。それがクマさん流の接し方だった。中には、一切、心を開こうとしない者もいたが、クマさんは気にせず接した。そうするうちに突っ張っていた連中も、知らず知らずのうちに心を開くようになった。
 クマさんは、捕まえることだけが仕事ではない。更生させることも自分たちの仕事だ、常にそう思って来た。
 少年たちが熊さんの思うような更生をするかどうかは別にしても、クマさんに親しみを感じるようになったことは確かだった。少なくともクマさんの前で、悪さをしようなどと思う者は、これからもそうはいないだろう。
 クマさんと所沢さんのように、えびす亭では、時折、相性のいいもの同士が楽しく呑んでいる姿を見かけることがある。そんな時の二人は、まるで漫才コンビのようで、幼馴染のようで、家族のように互いのことを心配し合う。クマさんと所沢さんも、そんな中の一組だ。
<了>


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