クマタカが都心で人を殺した!?

高瀬 甚太

 イソップ寓話の中に、『鷹と矢』という話がある。鷹が獲物の兎を狙おうとして、岩の上から目を凝らして兎を追いかけていた。そこへ物陰に潜んでいた射手が矢を鷹めがけて放った。矢は鷹の心臓に突き刺さり、鷹は倒れた。虫の息の鷹が矢の矢羽根を見ると、鷹の羽で作られた矢羽根だった、というもので、この寓話には、「己を滅ぼすものは己である」といった教訓がある。
 私が鷹に興味を抱いたのは、教訓に導かれてのものでは、もちろんない。だが、結果的に、私の関係したこの事件は、皮肉にも教訓に近い結末を迎えることになった。

 大阪の中心地に住んでいると、鷹を見ることなどあり得ない。せいぜいカラスか鳩程度のものである。それなのに、あろうことか、その日の夕刊紙に鷹の目撃談が掲載されていた。
 記事によると、大阪市中央区を流れる横堀川の河畔で早朝、ビルの清掃を終えた女性が鷹を目撃したと警察に届け出をした、とある。
 「寝ぼけていたのではないか」と警察は半信半疑で横堀川河畔のその場所に向かった。すると、鷹が、大きく幅広い翼を旋回させ天空を舞っていたと、書かれていた。
 「クマタカではないか」と、目撃した警察官は、記者の質問に答えている。
 鷹には、オオタカ、ハイタカ、クマタカなどの種類がある。タカ科に分類されている種で、比較的大きいものを鷲と呼び、小さ目のものは鷹と呼ぶ。クマタカはタカ科の中でも大型の種になるが、鷲とは分類されず鷹になる。クマタカの全長は約75センチから約80センチとされる。オスよりメスの方が大きいのが特徴だ。翼開長は約160センチから170センチ、胸部から腹部にかけて白い羽毛が生えているのが特徴で、主に森林に生息する。樹上で獲物が通りかかるのを待ち、翼を畳み、目標をめがけて加速を付けて飛び掛かるとされている。
 森の王者の異名をとるほどの鷹が、なぜ、都心の真ん中に現れた――。誰もが抱く疑問だったが、現に目撃した者が二名の警察官を含め数人いた。
 好奇心旺盛な私は、早速、その場所に向かった。横堀川は清流とは程遠い川である。流れも遅速で、眺めていて心楽しいものではない。河畔もそれほど充実しているわけではなく、小公園といった趣で、わずかに木々が数本立ち並び、ベンチが置かれているのみだ。
 鷹を目撃したという場所に立ち、天空を見上げた。しかし、灰色の空が視界を覆い、鷹どころか鳥類の姿さえ確認できなかった。
 「あなたも鷹を見にやって来られたのですか」
 背後から声がしたので、驚いて振り返ると、白髪の小柄な老人が立っていた。
 「失礼、噂を聞いて、私もやって来ましてね。あなたも同類かなと思って声をおかけしました」
 「同類です。私も鷹を見たくてやって来ました」
 笑顔で返すと、老人も私に負けないほどの笑顔で対した。
 老人は香山智津夫と自己紹介をし、守口市で隠居生活をしていると言った。この公園の近くで小さな会社を経営していたが、今は娘の婿が経営していると話し、この近辺のことは、会社があったのでよく知っていると話した。
 「どうやら、鷹は見られないようですね」
 30分ほど天空を眺めていたが、あきらめの口調で私が言うと、老人は、
 「そうですね。どうやら今日は無理のようですね。私は暇ですので、もうしばらくここで、空を眺めています」
 と言って、私に向かって手を振った。小公園には私と老人以外、誰もいなかった。老人を一人残して去るのは気が引けたが、仕事が残っていたこともあり、のんびり空を眺めている余裕がなかった。
 
 翌朝、朝刊の三面記事を見て、私は思わず驚きの声を上げた。
 ――大阪市中央区で殺人事件。八二歳の老人、刺殺される。
 写真が載っていなければおそらく見過ごしたことだろう。昨日、出会った老人の顔が紙面に掲載され、死亡したことが報じられていた。
 気になった私は、旧知の大阪府警の原野警部に連絡をした。この事件の全貌を知りたかった。
 ――昨日の殺人事件? ああ、八二歳の老人が殺された事件か。
 原野警部は、慌ただしい口調で答えた。
 ――これから現場を再訪するところだ。鑑識の結果を聞いて、腑に落ちないことがあってね。もう一度、現場を捜査することになった。
 ――腑に落ちないこととは?
 ――ナイフで刺されたと思ったがそうではなかった。刺された箇所もおかしかった。
 ――おかしい?
 ――鷹にでも襲われた。そんな感じの傷だと鑑識からの報告があった。被害者は、鷹の目撃談のあった場所で殺されている。ばかげた話だと思うが現場をもう一度、再捜査することになった。
 原野警部はそれだけ言うと電話を切った。携帯電話から洩れ聞こえて来るパトカーのサイレンの音が耳に残った。
 新聞の紙面をもう一度確認した。鷹に襲われたなどとは一行も書いていない。老人の氏名は「香山智津夫」となっていた。目撃者は誰もおらず、死亡推定時刻は、午後6時となっていた。秋口の時間帯である。夕方6時は薄暮か、まだ明るい。河畔の公園とはいえ、一人の目撃者も存在しないことが奇異に思えた。
 クマタカは基本的に樹上で獲物(中・小動物)が通りかかるのをめがけて翼を畳んで加速を付け、飛び込む。森林内に生息するクマタが都心に現れることすら信じられないのに、人を襲うとは――。そんなことなど、ありえないことのように思えた。
 原野警部に改めて確認するほかなかったが、もし、これが殺人なら、どのような場合が想定できるだろうか。昨日、会った香山という老人は、いかにも好々爺といった穏やかな人物であった。とても人の恨みを買うような人ではないように思われた。通り魔によるものか、それとも怨恨か。怨恨ならどのような場合が考えられるだろうか。
 香山老人は、社長の座を娘婿に譲って隠居していると話していた。娘婿に社長の座を譲ることに問題はなかったのだろうか。場合によっては、その辺りも調べてみる必要があるように思えた。
 その夜遅く、原野警部が私の事務所にやって来た。原野警部が私の元を訪れるのは、不可解極まりない事件の場合がほとんどで、そんな時の原野警部は常に疲労困憊していた。
 「捜査本部で喧々諤々の論争を展開したのだが、どうにも納得のいかないことだらけで、編集長の知恵を借りたくてやって来た」
 と、原野警部は話し、事件の一部始終を私に話して聞かせた。
 
 ――香山老人は、ほとんど即死の状態で発見され、その死因が、クマタカに襲われた場合と酷似していた。つまり、頭上から何者かが鋭い刃先で襲いかかり、香山老人を絶命させている。香山老人がクマタカ出没のニュースを知って、クマタカ見物にやって来たことは、前日の夜、香山老人が家族に話しており、家族はみんな知っていた。
 しかし、俺はクマタカの存在など信じない。森林に棲むクマタカが都心に現れることなど、間違ってもないし、ましてや人を襲うなど考えにくい。俺が思うに、クマタカを模した何者かに、香山老人は襲われた。俺はそう考えている。
 香山老人には二人の息子と長女がいる。家庭内のことは、これから調査しないといけないが、二人の息子がいるのに、香山老人は、会社を長女の娘婿に譲っている。中規模の会社だ。従業員一五〇名、包装会社では大きい方で、安定した売り上げを上げており、赤字は一度も出していない。なぜ、そのような良質な会社を、香山老人は息子二人に譲らず、娘婿に譲ったのか、気になって調べてみた。
 長男の敦夫は、大阪府の税務署に勤務しており、彼が父親の跡を継ごうとしなかったことはわかる。税務署内でも評判の人物で、上司の評価も高かった。問題は次男の仁志だ。仁志は、少年時代、非行グループに属していた男で、鑑別所にも一年近く入っている。高校もろくに行っておらず、鑑別所を出た後は、お決まりのヤクザの道だ。近年、ヤクザの世界から足を洗ったと聞くが、それでも、そんな男に自分の跡を継がせる気にはならんだろう。そこで品行方正で真面目な娘婿の岡本隆一が跡目に選ばれたというわけだ。仁志はそれが面白くなかったのではないか。しかも、昨日の事件前後のアリバイが仁志にはない。重要参考人として出頭させたが、本人は否認して黙秘権を行使している。家督の方も、香山老人は、相当な財産を残しているが、俺は、次男の仁志の父親に対する恨みの犯行ではないかと睨んでいる。ただ、どうしてもわからないのが、殺害方法だ。仁志は口を割らないし、クマタカが襲ったような殺害方法は、どのように考えても普通の人間には不可能なことのように思える。
 
 一通り話し終えた原野警部は、私を見て言った。
 「俺の話を聞いて、編集長はどう思った? それを聞かせてもらえないか」
 一見、難解な事件のように思える。だが、その裏にあるものは案外、単純なものではないか。原野警部の話を聞いて、私は思った。
 「実は、私、昨日、香山老人と偶然、あの公園でお会いしています。ニュースでクマタカの飛翔を知って、好奇心に駆られてやって来たと、香山老人は言っていました。しかし、クマタカが現れたと言うのは、どうやら、誰かが捏造したガセネタではないか、と私は昨日、あの場所へ行って思いました。確かに目撃者がいたし、警官も目撃したと記事にはある。原野警部、最初に目撃したという掃除婦を見つけて、改めて問い質してください。多分、目撃が偽証であったことがわかると思います。二人の警官が見たとなっていますが、クマタカが出た、と暗示を受ければ、少し、仕掛けをしてやれば簡単に騙すことができます。二人の警官は多分、暗示にかけられ、天空を飛翔する、鷹を模した何物かをクマタカと見誤ってしまったのではないかと、私は想像しています。なぜ、クマタカの発見がガセネタか、いくら早朝の時間帯であっても、あの公園でしかクマタカが発見されていないのはいかにも不自然です。森林に棲むクマタカが、誰の目にも触れずにあの場所へやって来ることは不可能です。もっと多くの目撃者の存在があってしかるべきですが、まったくありませんでした。と、なると、ある企みを持って、クマタカ発見の情報を流した可能性が十分、考えられます。
 もっともこれはすべて私の仮説ですから、そのつもりでお聞きください。
犯人は多分、香山老人の好奇心旺盛なところを利用したのではないかと推察します。クマタカが現れたと聞けば、香山老人はあの場所に向かわないわけはない。その確信が犯人にはあったと思います。そして、いかにもクマタカに襲われたようにすれば、疑われるはずがない。犯人は多分そう思ったのでしょう。
 あの小公園の近くに香山老人の会社がありました。そのことを老人は、私に話しています。あの公園は、横堀川の河畔にあって、すぐにはわからない小さな公園です。新聞の記事を読んでも、あの場所は土地勘のある人でないと難しいと思います。このことから考えて、私は、あの土地を熟知し、好奇心旺盛な香山老人に足を運ばせた者が犯人であると推察しました」
私の話を聞いて、原野警部が笑った。
 「確かに筋は通っているが、それに合致するとなると一人しかいない。まさか、その者が殺害を犯すとは考えにくい。人を殺すには、それなりの理由が必要だ。なぜ、その者が香山老人を殺害する必要があるのか、私には見当が付かない」
 「確かにおっしゃる通りです。原野警部の推測する人物が私と同じ人物であるとするなら、私もその理由がわかりません。でも、私は、原野警部の話を聞いて、その者しか考えられなくなりました」
 「しかし、それではなぜ、次男の仁志が黙秘している」
 「これも私の想像ですが、その日、仁志は会ってはいけない人物と会っていたのではないでしょうか。その人物と会っていた事実を隠すために、黙秘を続けている。そうは考えられませんか」
「会ってはいけない人物? ますます頭がこんがらがって来た。とにかく、一度、全員のアリバイの確認を調べ直してみる」
 原野警部は、首を捻りながら事務所を出て行った。
 
 翌朝、早々に娘婿の岡本隆一と長男敦夫のアリバイ確認が、警察の手によって行われた。警察は、厚遇されている娘婿の隆一が義父を殺害するはずがない、と思い込み、娘婿のアリバイ確認の検証を怠っていた。結果として、 娘婿のアリバイは証言する者のいない曖昧なものであることがわかった。
犯行の行われた時間帯、娘婿は営業に出ると秘書に伝えて、犯行の時間帯の1時間前に会社を出ている。帰社したのが午後8時。営業課で残業をしていた一人が社長の帰社を目撃している。アリバイ確認のために営業先を当たったが、営業先の専務は、「来ることは来られましたが、すぐに帰られました」と証言している。娘婿は、その後のアリバイを警察に詳しく話していない。逆に次男の仁志のアリバイが成立する。
 「仁志さんは、私と会っていました」
 と警察に届け出た者がいる。長男の敦夫の嫁、慶子である。慶子は、仁志と会い、生玉のラブホテルにいたと証言した。
 「夕方、仁志さんと会い、簡単な食事をした後、生玉のラブホテル街に入りました」
 と慶子は言い、仁志とは一年ほど前から関係が出来ていると証言をした。
 「夫の敦夫は、同じ税務署の中にいる女性とずいぶん前から関係があり、そのことを知り、私は悩んでいました。弟の仁志さんに話を聞いてもらい、相談に乗ってもらうようになったのは、その頃からです。夫に離婚請求をしたのですが、夫は、それを許してくれませんでした。仁志さんは、そんな私に同情して――」
 警察の調べで、生玉近くの路上を事件当日、犯行時間帯、二人で歩く姿が、防犯カメラに残っていたことがわかり、仁志の疑いは晴れた。
 原野警部が、クマタカを発見したと証言した掃除婦の女性を探し出し、追及したのが、その夜のことである。
 「見ました。確かに鷹でした」
 掃除婦の女性は、証言を崩そうとはしなかった。しかし、クマタカについての詳細な記述を求めると、知識のないことが明らかになり、曖昧な口述を繰り返すようになって、とうとう発見が嘘であったことを認めた。
 「以前、お世話になった方に頼まれ、入用だったお金を都合していただいたこともあって、断りきれず、クマタカを見たと嘘をつきました。私一人では危ういところから、その方と共謀して、派出所の警察官に私が連絡し、その方の演出もあって二人の警察官は見事に引っかかりました。予め、迫真の演技でクマタカを見たと言うことを暗示していましたから、二人の警察官はたやすく信じ、それがニュースで報じられました。その後のことは知りません。私の役割はそこまででしたから」
 原野警部は、ほぼ私の推理した通りになったことに驚きを隠せなかったようだ。だが、どのようにしてクマタカを模して殺害したかということと、その理由がまだ判明していない。掃除婦の言質を得た原野警部は、犯人と目される人物の元に急いだ。
 人を殺害するということは、よほどのことだ。どのような怨みがあったのか、男の元へ駆け付けた原野警部は、男に逮捕状を見せ、一切合財を告白するよう厳しく追及した。
 
 当初、私と原野警部は、娘婿で社長の岡本隆一を犯人ではないかと疑っていた。理由は、香山老人が殺害された場所、その近辺の情報を熟知していると思われたからだ。しかも、アリバイが曖昧で様子がおかしいと、原野警部から連絡をもらっていたことも彼を疑う一つの要因になっていた。
 だが、周辺の情報を熟知していたのは、隆一一人ではなかった。長男の敦夫も殺害場所に詳しいことがわかった。彼が勤務していた区の税務署が、公園の近くにあったのだ。彼はその税務署に五年間勤務していた。そして、掃除婦の証言が決め手になった。
 「区の税務署で働いていた時、香山敦夫さんにはお世話になりました。あの人は、本当に心のやさしい人で、私のような者にまで、気を遣ってくださって――。孫が病気になって、娘が入院費に困っていたので、何とかしてやりたいと思っていたところ、病院で偶然、敦夫さんとお会いしました。敦夫さんは胃の検査のために病院へ来られていたのですが、待合室でお会いして、お久しぶりですと、ご挨拶したところ、ちょうどよかった、と言って、敦夫さんに話を持ちかけられました。相談の内容は簡単なものでした。区の税務署の近隣にある公園で、クマタカを見たと、交番に届けてくれればいいと、ただ、それだけのことでした。お安い御用ですとお答えすると、敦夫さんは、二度目の打ち合わせの時、三十万円をくださいました。こんなにいただけませんと言ったのですが、お孫さんの入院費用に金がかかるでしょう、と言って――。病院で敦夫さんにお会いした時、どうしたのですか、と聞かれたので、孫が入院することになって、とお話ししたのを覚えておられたのです。
 なぜ、クマタカを見たと嘘をつかなければいけないのか、疑問でしたが、敦夫さんの頼みですし、お金もいただいていましたから、敦夫さんの期待に応えて懸命に演じました。
 警官は、私の話を簡単に信じました。すっかり信じきった警官は、公園で、敦夫さんが仕掛けた術に見事に引っかかり、クマタカを見たと上部に報告し、それが翌朝の新聞記事となって報道されました。殺害事件があったとニュースで知った時は、本当に驚きました。一瞬、敦夫さんの仕業ではと、考えましたが、すぐにそれを打ち消しました。敦夫さんは、そんなことをする人ではないと信じていたからです」
掃除婦の証言である。
 犯人は、香山敦夫だった。税務署に勤務し、人柄、仕事、すべてにおいて高評価を受けている敦夫が、なぜ、父親を殺害するという犯罪を行ったのか、原野警部も敦夫に話を聞くまでは理解できなかったという。
 逮捕された敦夫は、最初のうちこそ否定していたが、掃除婦が証言していると伝えると、あきらめたのか、言葉を選びながら自白した。
 「父と私は、相いれない仲でした。それも無理はありません。私は、母が浮気をしてできた子供だったからです。父がそれを知ったのは、私が大学に入学する前のことでした。父の友人が交通事故に遭い、輸血が必要になったため、B型の血液を持つ父親が、私と弟に輸血をするよう命じました。弟はB型で輸血が出来たのですが、私はA型で輸血が出来ないと言って断られました。母はB型でしたから、A型の子供が生まれる道理はありません。疑心暗鬼に陥った父は母を追及し、私が浮気相手との間に出来た子供だと白状しました。その時からです。私と父との間に溝が出来たのは――。大学を卒業したら、自分の跡を継ぐようにと、口酸っぱく言っていた父が、その頃から一切その言葉を口にしなくなり、仕方なく、私は進路を変えて、税務署へ就職を決めました。弟は途中でぐれてしまい、会社経営を誰に継がせるのか、心配していましたが、父は妹の旦那、岡本隆一に継がせると決め、自分の会社へ転職させ、社長への道を歩ませました。しかし、岡本はとんでもない男だと、知っていた私は、父に、あいつは駄目だと進言しました。しかし、父は聞く耳を持たず、結局、岡本は父の会社に入り、社長職を継いだのです。
岡本は、ギャンブル癖のある男で、私が担当していた区域の会社に、経理担当として勤務していた頃、使い込みがばれて失職しています。すべてギャンブルに注ぎ込んでいたのです。そのことを知っていた私は、妹が岡本と結婚すると聞いた時、猛反対しました。しかも、岡本は父に取り入り、父の跡を継ぐという。私は父に、岡本がどういう人間であるかを話し、やめさせるよう勧めました。だが、父は私の言葉を信じず、岡本のことを信じて、私を罵倒しました。単なる罵倒ならそれでよかったのですが、母親を愚弄し、浮気女、どこの馬の骨かわからん男の子供――と罵倒するに至っては、私も堪忍袋の緒が切れました。これまで私は父を実の父と信じ、尊敬し、慕ってきました。それなのに――、裏切られた思いの私は、父の殺害を決心しました。それはまた、母のためでもあったのです。好々爺のふりをしていますが、父の母に対するDVは、それはもうひどいものでした。若い頃ならまだしも、老いた今になっても、母に暴力を振るうのですから、許せない気持ちが常にありました。
 クマタカを出現させるというアイデアは、父が昔、狩猟を趣味にしていたことを知っていたからです。クマタカが出現したと聞けば、父は必ずその発見場所に行く。その確信が私にはありました。クマタカを模して殺害を行う際、私は樹林の陰にある仕掛けを用いました。公園の端に樹木が数本立ち並んでいます。その樹木の陰に鋭く尖ったナイフを用意し、父が公園の中央に立つのを見計らって、樹木の幹の下に隠れてロープを引っ張ると、樹木の陰に隠した鋭く尖ったナイフが反応し、樹木から飛び出て父をめがけて飛び出す。まるでクマタカに襲われたかのように、父は上空から飛んできたナイフに身体を切り裂かれ、その場に突っ伏し、血だるまになって倒れました。ロープを引っ張り、父の体からナイフを引っ張り出した私は、ロープとナイフをカバンに隠し、周囲に人がいないことを見計らって、その場を去りました。
 警官がクマタカを見たと錯覚したのは、父を殺害するトリックを模索している最中のことでした。ナイフの代わりに、鷹を模した凧を用意して、それをクマタカに見立ててやったところ、警官が見事に引っかかり、父を誘うきっかけを作ることが出来ました。逮捕されて、今は何となくホッとしています」
 香山老人のDVや、敦夫と不仲だったことが私には未だに信じることができなかった。あの老人の屈託のない笑顔を思うと、なおさらそう思えた。
 後になってわかったことだが、敦夫は浮気をしていなかった。税務署の女性と懇意になったのは、女性の夫が激しいDV男で、そのことについて敦夫に相談を持ちかけていたのだ。敦夫の妻は、それを知って愕然としたが、結局、離婚に至り、仁志とも別れてしまった。
 後継者になった岡本隆一だったが、仕事の途中、競艇や競輪をしていることがわかり、会社の金を使い込んでいたことが明らかになった。あの日のアリバイがなかった理由もギャンブルに熱中していたことがわかり、敦夫の妹から離縁され、会社を放逐された。
 会社は、仁志が継ぐことになった。仁志は、敦夫が帰って来たら、一緒に会社を経営する、警察にそう語ったそうだ。
 「己を滅ぼす者は己か」
 一連の騒動を振り返りながら、私がつぶやくように言うと、原野警部がエッという顔をして聞き返した。
 香山老人も敦夫も、そして岡本も――。見事に滅びてしまった。
〈了〉

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