芸者の恋、あるいはひとり言

 二泊もすると、退屈すぎて我慢できなくなり、残りの宿泊をキャンセルして大阪に戻りました。
 「あんた、四日間休みにするんじゃなかったの?」
 予定より早く戻って来た私を見て、お母さんは唖然とした声を上げましたが、
 「でも、どうせ早く戻るだろうなって思っていたんだよ」
 と、笑って私を迎えてくれました。
 置屋に戻るまで、携帯をオフにしたままにしていました。そのことに気付かないほど、私はのんびりした時間をすごしていたのだと思います。オンにしてしばらくすると、すぐに着信がありました。電話に出ると加賀谷でした。
 ――秋乃、どこへ行っていたんだ? 何度も電話をしたんだよ。不通になっていて全然かからず、女将さんに尋ねても、曖昧な返事をするばかりで答えてくれない。どこかへ行くなら行くで、行き先ぐらい伝えてくれなくちゃ。心配するじゃないか。
 ――パパ、勝手なことをして申し訳ありません。
 丁寧に謝ると、加賀谷はすぐに機嫌を直して、
 ――無事ならいいんだよ。これから気を付けてくれたらいいんだ。
 と、納得して電話を切りました。
 加賀谷との年齢差に、最初は話などとても合わないだろうと思っていたものの、付き合いが始まると、年齢差なんてあまり感じなくなりました。男女の関係は、話題が合う、合わないというよりも、単純に好きか嫌いかで決まるものだな、と思ったものです。
 加賀谷は、関西でも名高い企業の経営者です。従業員が数千人、本社ビルは本町にある自社の高層ビル。その彼が奥さんと別れて私と一緒になりたいと言うのです。普通ならすごくいい話で、二つ返事で承諾するのが当たり前だったでしょうけれど、私はそうしなかった。本音を言えば、小躍りするぐらい嬉しかったのに――。
 加賀谷の話をなぜ、受けなかったのか。それはどうしてかって? T温泉で出会った同業の女性のことを思い出したからです。
 「芸妓は人を愛しちゃダメなんだ、人に愛されなくちゃダメなんだって、今はつくづく思ってる。おかげで私はまだ、この仕事を続けてるよ。いい話は一時で、永遠じゃない。いい話が出る時に、思いきることも大切じゃないかね。それが芸妓の生き方じゃないかって、そう思うんだよ」
 彼女は、私にそう提言してくれました。芸妓といっても生き方は人それぞれだと思います。芸妓だからこうしなければいけないなんてことはないはずです。
 彼女の話を聞いていて、羨ましく思ったことがいくつかありました。駄目な男を好きになったという部分です。多分、彼女は、駄目なその男を真剣に愛したのでしょう。地位も名誉も金もない、しかもギャンブル中毒でだらしない、そんな男を心底、愛した彼女を私は尊敬して止みません。一生に一度でいい、命を賭けた恋をしたい。女なら誰でも思うことです。一人の女として男を愛した、その事実が私には羨ましかった。
 彼女は、半ば自虐的に男との愛を私に語りましたが、その底に、一人の男を愛し、絶望し、命を吹き返した女の性があると私は感じました。
加賀谷と結婚し、妻の座に収まれば、私は多分、この先、安穏と人生を送ることが出来るでしょう。でも、そうしなかったのは、たった一度でいい、本気の恋がしたい。芸子でも何でもない、女としてのそんな私の欲望が横たわっていたからに他なりません。
 加賀谷には、
 「芸子としてこの道を究めたい。もうしばらく時間がほしい」
 と、伝えてあります。T温泉で出会った女性のような恋愛は、私には望むべくもありません。出逢いすらないかも知れません。でも、たった一度でいい。命を燃やす恋がしたい。その思いがある限り、私は誰のものにもなりません。
 ――いい話は一時的なもので永遠ではない。
 私もそう思っています。いつか加賀谷も私のもとを離れる日が来るかも知れません。それでもいいと思っています。自業自得というものですから。

 ――あれから十余年、月日の経つのは早いものです。結局、私は、二七歳の年に、加賀谷と夫婦になりました。加賀谷の奥さんが亡くなった三年後、妻として迎えられたのです。加賀谷と私には、四十年余の年の差があります。娘どころか、孫といっても差支えないほどです。加賀谷には子供が三人いますが、当然のことながら三人揃って猛反対し、結婚して籍を入れた後も、その反対は続いています。子供たちは、加賀谷の財産目当てではないかと案じているのです。そんな息子や娘たちに、私は言ってやりました。
 「元芸子をなめるんじゃないよ。はばかりながら、芸者秋乃は、加賀谷の財産なんか、これっぽちも欲しいなんて思っていない。私は、加賀谷に死ぬほど恋しているんだ。加賀谷が死ねば、この私も命を絶つ。そんな思いでいるんだよ。金や財産で買えるような愛じゃないんだ。なめるんじゃない!」
 息子や娘は縮み上がっていました。
 加賀谷との関係が続くうちに、いつしか私は、加賀谷の一途な思いに気付き、自分もまた、加賀谷を真剣に愛しているのだと気付いたのです。
 今も加賀谷は元気に経営者として活動しています。私は、そんな加賀谷のために週に一度、加賀谷の前で日本舞踊を踊り、加賀谷を楽しませています。芸子、秋乃は、今では加賀谷の専属芸者となって、幸せに舞い踊っています。

〈了〉


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