経歴詐称の男

高瀬甚太

 小雨の降る十月の第一月曜日のことだ。夕刻近くに加瀬吾一から宅急便が届いた。
 加瀬はいつもこの季節になると地元で獲れる季節の果物や野菜を段ボール箱に詰めて送ってくれる。それを見て、私はいつも今が秋なのだな、と実感する。
 二十年来の慣習のようなもので、最初のうちは申し訳ないと思う気持ちが先に立ったが、今はこの時期がやって来るのを待ち遠しく思うようになっている。
 大きな段ボール箱の中には、桃やミカン、柿といった果物と一緒に大根、ニンジン、白菜といった野菜、それに米などが入っていて、封筒も一緒に添えられていた。
 「お元気ですか。秋が深まり、今年も収穫の時期がやってきました。今年は雨が多かったこともあって豊作とはいきませんでしたが、それでも例年通りの収穫ができ、喜んでいます。今年もまた貴兄にお裾分けをしたいと思います。どうかお受け取りください」
 そこまではいつもと同様の文面だった。だが、もう一枚、追伸という形で文書が挿入されていた。
 『こんなことをお願いしていいものかどうか迷いながら書いています。実は、私の従妹に加瀬由梨絵という二四歳になる女性がいます。私の叔父の娘ですが、この由梨絵のことを叔父がずいぶん心配しています。最近、由梨絵に結婚を前提にした交際相手ができたようなのですが、その男性の素性がわからなくて悩んでいるのです。素性がわからないといっても、由梨絵と同じ会社に勤務していますし、勤務状態もごく普通で、そういった悪い素性ではないようです。では、叔父がどのような理由で交際相手の男性を不信に思っているのか聞いてみたところ、男性の年齢は三二歳なのだが、会社へ入る前、つまり二八歳以前のことがまったく不明なことです。
 入社する際、履歴書を提出しますからそれにすべて明記されているわけですから問題がないようにも思うのですが、ある時、娘が男性に過去の仕事について尋ねると、今まで聞いたことのない名前の会社や仕事がいくつにも亘って出てきたと言います。学生時代のアルバイトなのだろうとその時は考えたようなのですが、その時の男性の説明に疑問を持った娘は、ある時、履歴書に記載されている会社に電話をして聞いてみたそうです。すると、その会社は、そのような方が勤務していた形跡はありません、と答えたそうです。
由梨絵は、それ以前の会社にも電話をしたようですが、ことごとく同じ答えだったそうです。これはもう間違いなく経歴詐称です。最後に出身大学にも問い合わせしてみたところ、これも同様の解答でした。彼は履歴書に記載した大学を卒業していなかったのです。
 しかし、勤務状態はごく真面目で、営業成績も悪くないといいます。上司からも一目置かれているようですし、同僚の受けも悪くありません。由梨絵は、一時期、強い不信感に陥っていたようですが、今はそんなことなど忘れて相手の男性に夢中になっているようですが、親としては心配で仕方がない、とこう言うのです。私のところにも相談に来られたのですが、私も返答のしようがなく、何も答えてあげることができません。それで、同じ大阪に住む貴兄を思い出し、もし、相談に乗っていただくことができるならと思い、手紙をお送りした次第です。貴兄の関知するところではないと思いますが、ご相談に乗っていただけるのであれば幸いです』
手紙を読んだ私は、すぐに加瀬に手紙を書き、詳しい内容を教えてくれるよう依頼した。
 三日後に加瀬から電話が入り、加瀬の叔父の連絡先を聞いた井森は、すぐさまそこへ連絡を取った。
 加瀬の叔父は、加瀬の手紙に書いていたと同じ内容のことを井森に話し、娘の婚約者の履歴について真実を知りたいと語った。なぜ偽りの履歴を記載したのだろうか、また、他にも嘘はないのか、それを知りたいと語った。
 本来なら探偵社の仕事であるし、出版社の編集長がするような仕事ではなかったのだが、一度頭をもたげた好奇心はなかなか収まらない。そこで私は、その娘には内緒で調査を試みることを加瀬の叔父に約束をした。
 出版社の仕事が暇だというわけではなかった。むしろ忙しいくらいだったが、編集の仕事は刺激が薄い。それでついつい好奇心の赴くまま事件に顔を突っ込んでしまう。おかげで今は、出版社の編集長というよりは、なんでも相談に乗ってくれる便利な編集長と言った位置づけで認識されている。困ったものだ。
 
 娘の婚約者は湯川清二といった。住居は天王寺区、マンションに一人住まいをしていた。叔父からもらった情報を元に、調査を開始すると、早々に意外な事実が判明した。
 湯川は確かに天王寺区のマンションに住んでいたが、借主は湯川の名前にはなっていなかった。
 「本来の借主は上田みゆきさんなんですよ。十二年ほど前ですかね。ここへ引っ越してきたのは……。当時、彼女は四二歳だったと思います」
 マンションの管理人は白髪の目立つ髪の毛を撫でながら私に語った。
 「でも今の借主は湯川さんですよね」
 「ええ、そうです。五年前でしたかね。湯川さんが甥だといって湯川さんを連れてきて一緒に暮らし始めたんです。どうしたって甥には見えませんでしたけどね。年の離れた愛人、そんな感じでしたね」
 「現在、上田さんは一緒に住まわれていないのですか?」
 「四年ほど前のことです。上田さんが手紙を残してどこかへ行ってしまいましてね。湯川さんが慌てて私のところへやって来て相談に来られました。あの時のことはよく覚えています」
 管理人はその時、上田みゆきの残した手紙を湯川に見せてもらっている。手紙には、
 『しばらく留守にしますが、甥の清二に住まいを託しますのでよろしくお願いします』と書かれていましてね。不在の間の家賃を前払いしておきますといって、湯川さんが叔母から預かったといって、五年分の家賃を先払いしてくれたんです。私、驚きましてね、五年も留守にされるのですかって湯川さんに聞いたんですよ。そうしたら湯川さんは、叔母は『仕事でしばらく外国へ行って長ければ五年ほど戻らないかも知れない』と日頃から言っていたと言うんですね。家賃を払ってもらっているし、甥だから問題はないだろう、そう思って承諾しました。そういえば今年で五年目ですね。湯川さんは、近いうちに結婚する予定なので、前払いの家賃が切れる頃には、叔母に何とか連絡を取って引っ越しをするようにしますとは言ってくれていますが――。上田さん、一体どこへ行ったんでしようね。あれきり一度も姿を見せたことがないんですよ」
 よほどおしゃべりが好きなのだろう。管理人は私に対し、それ以外にもあれこれマンションの住人について説明をした。どうやらこのマンションの住人は水商売の女性が多いらしい。上田みゆきも多分、水商売の女だろうと思ったが、管理人はそのことには触れなかった。
 加瀬由梨絵の勤務先は中央区の本町、大阪一のオフィス街の中にあった。高層ビルの十一階に事務所のある商事会社で社員も十数人いた。こんな会社でなぜ、経歴詐称の社員を入社させたのか不思議に思った。学歴詐称、経歴詐称の人間が世の中には結構いると聞いてはいたが、実際に目の当たりにするのは私は初めての体験だ。
 「KR商事」の受付で加瀬由梨絵を訪ねた。昼休みの時間帯を選んだので問題なく彼女に会うことができた。由梨絵は私の訪問を訝しがった。
 「私にどんなご用でしょうか?」
 「突然、申し訳ありません。私、加瀬吾一くんの友人で井森と申します。実は加瀬くんから依頼されてあなたの婚約者の湯川清二さんの調査を行っています」
 「調査って、いったいどういうことでしょうか。何も聞いていませんが――」
 「ご心配なく。ほんの形式的なものです。加瀬くんが心配性で、あなたのことが心配なあまり私に依頼をしてきたもので、私もこれが本業ではありませんから」
 由梨絵は疑心暗鬼の表情で私を見つめ、
 「彼の経歴でしたら、もう大丈夫です。私、彼に確認して納得のいく答えをいただいていますから」
 と強い調子で言う。
 「納得のいく答えとは?」
 「彼は会社や私を騙そうと思って詐称したわけではありません。それにはちゃんとした理由がありました」
 「よかったらその理由を聞かせていただきませんか? 私、加瀬くんに報告しないといけませんので」
 由梨絵は、チラッと時計を見ると、「わかりました」と言い、説明を始めた。
 「実は彼、すごい努力家で、高校も大学も夜間に行き、貿易関係の仕事をするためにずっと勉強していたようなんです。両親に早い時期に死に別れている彼は、いろんなアルバイトに精を出して就職のチャンスを窺っていたと私に話しました。でも、いくつか受けたところはすべて不合格でした。試験は問題なかったようですが、年齢のわりにキャリアを積んでいないことが原因のようでした。そこで彼は、うちの会社を受けた時、キャリアを積んでいることを証明するために偽の経歴を作ったと言います。仕事さえできれば問題ない。入社するチャンスさえ与えてもらえば、人の倍は稼いでみせる。その自信が彼にはあったようです。実際、入社した後の彼の働きぶりはベテラン社員に負けないものがありました」
 「そうですか……。でも、よく会社にばれませんでしたね」
 「うちの会社は、人物第一主義ですから、特に疑ってかかるようなことはしません。彼の場合も試験と面接で合格していますから、それ以上の調査は必要ないと思ったのでしょう。会社は最初から彼を信用し、期待して入社させたのです」
 仕事の面はともかくとして、経歴詐称がすんなりとまかり通ることを不思議に思った。しかも彼は学齢まで詐称しているのだ。彼女に話している内容もどこまで本当なのか、それすらも疑いたくなってくる。
 「由梨絵さんは彼の住まいに行ったことがありますか?」
 単刀直入に聞いた。
 「いえ、私は彼の住まいには一度も行ったことがありません。天王寺だということは聞いていますが」
 「それでは上田みゆきさんという名前を彼から聞いたことはありませんか?」
 由梨絵はキョトンとした顔をして、
 「上田みゆき――ですか? その人は誰ですか。一度も聞いたことがありません」
 やはり、湯川は肝心のことを何も話していない。明らかに彼は詐欺師だ。そう直感した私は、その日はそれで由梨枝と別れ、その場を辞した。
 湯川清二の経歴を探るために、探偵社の社長である富田英輔に連絡を取った。こんな時、出版社は便利だ。いろんな業界の人につながりがある。富田英輔も、数年前、依頼されて本を作った一人だ。五十代後半で、探偵業界のリーダー的存在であった彼は、創立三〇周年を控えて記念本を出版したいと考えていた。偏屈で頑固なところのあった彼はどの出版社とも印刷会社とも意思の疎通が図れず困っていたようだ。そんな時、異業種パーティで友人を介して富田を紹介された。意外なことに私と富田は初対面から気が合った。それで本を制作することになり、富田とはそれ以来、懇意に付き合ってきた。
 富田は私の話を聞くと、
 「わかった。湯川清二、現住所は大阪市天王寺区の日景マンションやな。その男のこれまでの経歴を調べたらええんやな?」
 と値段も聞かず引き受けてくれた。
 「で、いくらでやってくれる?」
 金額を尋ねると、富田は笑って、
 「どうせあんたのことやから金儲けでやってるんと違うやろ。貧乏出版社に金なんかもらえるかいな。今回はサービスや」
 と言う。こういう時、私が「それでは申し訳ない」とか「いや、少しでも」と言おうものなら、富田は怒る。
 「そんな水臭い付き合いやったら、わしは断る」
 その一言ですべておじゃんになる。それがわかっているから、素直に「ありがとう。よろしくお願いします」と言う。「よっしゃ、わかった」。富田の一言ですべてが動き出した。
 探偵社には独自のルートがあるようだが、その方法を依頼主には告げない。結果だけを告げる。現在は個人情報保護法に守られているから、調査がやりにくくなっていると聞いている。しかし、探偵社はプロだから決して弱音は吐かない。文句を言ったところで何も始まらないからだ。調査の方法はひと通りではない。さまざまな方法を駆使して調べ上げ、克明な調査報告書と所感を書いて依頼主に報告する。それが大体一週間前後だ。
 一週間後、富田から連絡が入った。
 「こいつ、かなりの大物やで」
 開口一番、富田が言った。
 「大物?」
 井森が驚いて聞き返すと、
 「そうや。あんたの友だちの従妹もえらいやつに引っかかったもんや」
 とため息交じりに言う。富田から聞いた話はこうだった。
 
 ──まず、湯川の尾行から始めたんや。その日は彼女とのデートがなかったようで、会社を終えると湯川はミナミへ出た。東心斎橋にある『涼子』というスナックに立ち寄ったので、客に紛れて中に入ると、湯川のやつ、そこの店で常連扱いされとった。そこでその店のママにさりげなく、
 「ママ、あのカウンターで歌を歌っている人、どっかで見たことあるんやけど、なんちゅう名前やったんかなあ」
 と聞いてみた。
 「吉川さんのことですか? 吉川豊さん、箕面のボンですわ」
 「えっ、吉川? 吉川で間違いありませんか?」
 「間違いなく吉川さんですよ。うちには三年前ぐらいから来てくれてる。 羽振りのいい人で、箕面の金持ちの息子というふれこみで、うちでもようけお金落として行ってくれてますわ」という。
 一介のサラリーマンにどうしたらそんなお金が捻出できるのかと俺は不思議に思った。
 「すみません。人違いやったみたいですわ」
 と断って富田は外で湯川を待った。
 ようやく店から出てきた湯川は、送ってきたホステスと店を出たすぐの場所で親しく話をしている。ほんまにこいつ、湯川という男と同一人物なのか、そう思えるほど感じが違って見えた。
 マンションに帰るかと思うたらミナミの別の店へ行きよった。今度はラウンジ「華江」という店やった。そこの店にも客に紛れて入り、中で働いているホステスに湯川のことを聞いてみた。すると、「ああ、立花さんのことですか?」と言うんや。前の店では吉川豊、今度の店では立花。どないなってんのや、と思うていると、湯川と親しいというホステスを紹介してくれたので、その女に金を握らせて聞いてみたんや。すると、その女、湯川のことをよく知っていて、
 「立花の本名は湯川清二、あの人、若い頃からホストをやっていて売れっ子やってん。特におばはんに人気があって、えらいかわいがられようやったわ。小遣いもだいぶもらってたんと違う? ミナミの店、名前を変えて行き倒してたから。ホストをやめたんは五年前くらいかな。金持ちのスポンサーが付いたみたいで、あっさりホストをやめよった」
 「そのスポンサーって水商売やってた人と違うか? 上田みゆきという名前の」
 「名前は知らんけど、水商売って言うか、いくつもの店を経営をしていた人で、四十代後半やなかったかな。湯川にご執心で、ずいぶん金を継ぎ込んでたみたいやったなあ」
 「その湯川、今でもスポンサーと付き合っているんか?」
 「いや、だいぶ前に別れたて聞いてる。その頃、これからは真面目な商社マンになるというて張り切ってたけど、ほんまになるとは思わんかった」
 「そのスポンサー、その後、どないしてるんや。聞いたことないか?」
 「いや、全然聞いたことあらへん。ただ、湯川、ずいぶんそのスポンサーからお金をむしり取ったようで、別れてからめっちゃ羽振りがようなった」
 「今日、これで二軒目やけど、なんで店ごとに名前と経歴を作り変えているんや?」
 「ああ、あれはホスト時代からの湯川の手口や。金持ちのボンボンや言うたら女は寄ってくる。散々お金を使って、女を虜にしたら今度は倍以上のお金を貢がせるんや。あいつはそうやって生きている。うまい汁を吸いつくしたらポイや。それが手口やねん」
 女は吐き捨てるようにいうと、グラスに入ったウイスキーを一息に飲み込んだ。
 それをみて、この女も湯川に騙された一人なのだろうな、ということがすぐにわかった。
 その後、湯川のことは、ホスト時代の仲間に会って聞いて、生い立ちから現在まですべてわかった。
 両親に死に別れたということは本当のようで、中学卒業間近に両親は交通事故で亡くなっていることがわかった。一人になった湯川は、最初、工場へ勤めて、寮に入り、夜、定時制高校に行く道を選んだようやった。しかし、十七歳の時、工場の主任と喧嘩をして、同僚だった男と二人、仕事をやめて寮を出た。同時に高校もその時、やめている。
 湯川と同僚の男はホストクラブに紛れ込み、そこで働くようになった。最初は二人とも初心だったようやが、年配の客のおもちゃになっているうちに、この仕事に目覚めたようや。二人とも、売れっ子になって金を稼ぐようになった。しかし、その同僚がひどいアルコール中毒になり、またクスリをやり始めて廃人同然になったのを見て、湯川は突如としてホストを廃業した。
 これはすべて当時ホストだった同僚たちに聞いた話や。湯川はやめる時、 「商社マンになって普通の生活をする」と同僚に宣言していたらしい。同僚はみな、笑っていたそうや。学歴もなく満足な職歴もない男が商社マンになれるなど信じられないことだったからや。
 湯川が店をやめる時のことを同僚の一人はこう語っている。
 「清二に熱を上げていたおばはんがいて、そのおばはんに取り入る形で清二はこの仕事をやめた。搾り取るだけ搾り取ったら、ちゃんとしたサラリーマンになって、ちゃんとした女と家庭を持つ。清二、そう言うとったけど……。誰も信じへんかった。そやけど清二のやつ、ちゃんとおばはんと別れて、ちゃんとした会社に入りよった。おばはんからようけお金をむしり取ったんやろなあ。羽振りがようなったし、ちゃんとした彼女もできたみたいやし、ほんま、大したやつや」
 そういって元の同僚たちは感心した。
 「ただ、一度ついた遊び癖と騙し癖は治らへんみたいや。あいつ、今でも夜になるとこの界隈の店を遊び歩いて、女を騙しまくっている。あんなことしとったら、そのうち女にやられよる。わしらはそれを心配して清二に忠告するんやが、清二は聞き流すだけや」
 
 富田の報告を聞いて、すぐに警察に連絡を取った。上田みゆきが湯川の手にかかっている可能性があると思ったからだ。ただ、推測だけでは警察も動いてくれない。連絡してもまともに取り合ってくれなかった。実際、上田みゆきは湯川の言うように海外へ行っている可能性が否定できなかった。だが、上田みゆきはすでに湯川の手にかかって命を落としている、私にはその直感が強く働いた。そこで富田と共に湯川の住むマンションの管理人の元へ出向いた。
 管理人に話をすると、最初は信じようとしなかった。だが粘り強く話すと、管理人も不審に思っているということがわかった。失踪する前日、管理人は上田みゆきと顔を合わせている。だが、挨拶をし、会話もしているのに、どこかへ出かけると言う話は一切出て来なかったという。
 上田みゆきの係累を調べたが、両親は亡くなっており、兄弟も音信不通の状態でどこにいるか所在が掴めなかった。親戚も洗い出したが、やはり同じ状況で、唯一、付き合いがあったという遠い親戚にあたる園田ゆきと言う女性に出会うことができた。彼女は上田みゆきと同年代で、失踪する数カ月前までとぎれとぎれではあったけれど、交際があったと語り、以後、付き合いが途絶えていると語った。
 園田ゆきの立会いで、管理人の承諾を得て湯川の部屋の中を調べることにした。何も出て来なければ罪になることはわかっていたが、静観するわけにはいかなかった。
 部屋は意外にきれいに片付いていた。豪華なマンションだった。賃貸ということだったが賃料もきっと大変な金額になると思う。バス、トイレ、広いリビングルームに超大型テレビを備えた寝室、他に三室があった。一つひとつ、四人で丁寧に確認した。
 「編集長、これ!」
 富田が叫ぶようにして言った。富田が指さす方向に壁があり、その壁の色が他と少し違って見えた。さすがは探偵社の社長だ。ともすれば見逃してしまいそうな小さなことも決して見逃さない。
 「塗り替えていますね」
 と管理人が断言した。その言葉をきっかけに壁を砕いた。壁の中に手が見つかった。もう少し幅を広げて砕いていくと、今度は足のかたわらが見つかった。
 「ギャー!」と雄叫びを上げて園田ゆきが床にしゃがみ込んだ。壁の奥に白っぽく染まった上田みゆきの恨めしそうな顔があった。
 
 湯川清二はその日のうちに死体遺棄容疑で逮捕された。ちょうど、加瀬由梨絵とデート中で、フランス料理に舌鼓を打ち、ワインで乾杯をしている最中だった。
 逮捕された湯川は、あっさりと上田みゆき殺害を自供した。上田みゆきと同居するようになった湯川は、同居以来、奴隷のように扱われてきた。夜の生活までそうで、次第にその状態に耐えられなくなったという。しかも上田は人一倍、嫉妬心が強く、決して湯川を一人で外出させなかった。多額の借金を支払ってもらうなど、金で縛られていた湯川は、がんじがらめの生活に次第に疲弊し、壊れていった。ある時、夜の営みを強要され、満足に性交できなかった湯川を上田がなじった。そのことに激昂した湯川はベッドの隣に置いてあった花瓶で上田を撲殺した。花瓶で頭部を殴り、首を細紐で締め上げた。上田は悶絶し、意識を失った。なおも湯川は上田の息が完全になくなってしまうまで、締め続けた。上田の死を確認した湯川は急にこれからのことを思って恐怖に襲われ、バスに死体を運ぶとそれをバラバラにして壁に埋め込んだ。数日かかって壁を塗り替えたため、見た目には気付かれなくなってはいたが、それでも不安で、誰一人として部屋に上げることはなかった。
湯川も死体が見つかるとは思っていなかったようだ。ただ、死体があると思うと落ち着いて眠ることができず、毎日のように外で遊ぶようになっていた。遊ぶお金は十分にあった。上田みゆきは大変な金持ちで、資産とは別に所持していた金だけでも二億円をタンス貯金にしていた。そのお金だけで、十分、生活ができたが、昔から持っていた、サラリーマンになりたい、普通の家庭を持ちたいという夢を実現するために、経歴、学歴を偽って商社に勤めることにした。だが、普通の生活だけではやはり刺激が足りなかったようだ。湯川は昔のようにさまざまな店を遊び歩き、女を騙しては貢がせるようになっていた。
 そんな湯川を憎んでいた女性も一人や二人ではきかなかったと聞いた。もう少し湯川の逮捕が遅ければ、彼は確実に刺されていただろう。そう断言する者もいた。
 加瀬由梨絵に今回の湯川のいきさつをどう説明すればいいか迷った末に、私は自分の口から話すよりも従妹の身を案じていた加瀬吾一から話してもらった方がいいだろうと判断した。
 事件からしばらくして、加瀬吾一は由梨絵に一切合財を話した。由梨絵の嘆きはひと通りではなかったが、加瀬が湯川は由梨絵のことだけは真剣だったと話すと、少し心が和らいだ様子でいたという。そして、湯川がいい人を見つけて幸せになってほしいと言っていたことを告げると、由梨絵は涙を流して頷いたと加瀬は私に話した。
 心の傷は残るだろうが、時間と共にそれも薄れることでしょう。加瀬はそう言って私への話を締めくくった。
〈了〉

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