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老いること、笑わせること

ダチョウ倶楽部の上島竜兵が亡くなった。61歳だった。

厚生労働省が連鎖自殺を防止するために、報道のガイドラインを示していることもあってどうして自殺しようと思ったのか、詳細は分からない。まあ、報道で他人に見える上島竜兵(以下、竜ちゃんと親しげに書く)とそれをとりまく環境はわかっても、竜ちゃんの心の中まではわからない。

まじめな高校生の竜ちゃん

竜ちゃんが通っていた私立神戸村野工業高校で、3年間担任だった柏木冨士男さん(78)がいろいろ取材を受けている。村野工業は持ち上がり担任制で3年間、竜ちゃんの行動をよく見ていた先生のようだ。

「野球、ラグビー、柔道など、スポーツの得意な生徒が多かったが、彼は運動は苦手。それでもいじめられるようなことはなかった。なんでも丁寧にまじめにやる子でした。掃除当番なんてよくさぼる生徒がいるのですが、彼は絶対にさぼらず、丁寧に黒板を雑巾で拭いたりしていました。タバコを吸ったりなどの校則違反もまずない。ほっておいても全く心配のない生徒でしたね」

柏木先生は、卒業後も竜ちゃんとやりとりがあった。2008年には志村けん主宰の「志村魂」の舞台が神戸であり、その公演にも竜ちゃんに呼ばれた。

「妻と見に行きました。そのあと、楽屋にも招待してくれました。志村さんは上島のことを『芝居に魅力がある』と褒めてくれました。嬉しかった。本当に彼を買ってくれていたんですね。志村さんとのアドリブも面白かった。志村さんが『先生が持ってきたピロシキはおいしかったな』と言うと、ダチョウ倶楽部のメンバーが『オカンの持ってきた食べ物は、もう一つやった』なんて返していました。観客は大笑いでした」

高校生の頃、おとなしくてまじめだった竜ちゃん。
卒業後は、俳優になりたかったらしい。
柏木先生は竜ちゃんが卒業する前に、母親と「三者面談」を開いて進路を決めた。竜ちゃんの進路志望は「芸能の道に進みたい」ということだった。
その後、竜ちゃんは東京に行った。

2020年11月11日の午前零時ごろ、竜ちゃんは柏木先生に電話をしている。
たまたま起きていた柏木先生が、自分から名乗らない電話の相手に「竜兵か?」と訊くと、「はい」と言った。家族を起こしてはいけないと思ってか、声を潜めていたらしい。

「自分からそういうことは言いませんでしたが、こちらが推し図って、『コロナで大変やろうけど、ここは辛抱やで』と言いました。近況なんかを少し話しました。たまたま村野工業の創立100周年の祝賀会がコロナで延期になっていたので、『また祝賀会とかを開催する時には協力してくれるな』と言うと、『はい』と答えていた」

高校の頃、おとなしくてまじめだった竜ちゃん。進路は俳優と決めていた。それから鳴かず飛ばずで10年くらい経って、お笑いのダチョウ倶楽部で人気が出てきた。
お笑いでも主役にはなれなかった。しかし、ビートたけし、志村けんなどに認められ、一気に人気者になった。マンネリのギャグが、逆にウケた。

志村けんを失った喪失感

2020年3月には竜ちゃんが「人生の師匠」と慕っていた志村けんが、新型コロナウイルス感染による肺炎で死去した。
竜ちゃんはその死の翌日、公式ブログで「メンバー一同呆然としております。プライベートや仕事で本当にお世話になりました」「これからコント番組を作る人がいなくなりました…」と綴っている。

2020年5月には、ウェブメディアのインタビューの中で志村けんの死について「悔しくて、悲しくて、寂しくて、今でも信じられない。人間、生きてこそです!」と竜ちゃんは語っていた。
しかし、2021年1月のラジオ番組では「1人でお酒を飲んでいると、志村さんを思い出して涙ぐみます」と話した。
そして、2021年10月頃には、上島さんの落ち込みが目に見えて激しく、心配した関係者は「自殺してしまうのではないか…」と心配してケアしていたほどだったという。

「番組での絡みを見ても分かりますが、志村さんは上島さんの最大の理解者だった。上島さんも、これまで以上に志村さんと仕事の中でコメディアンとしての人生を見据えていた。それだけに志村さんの死をいまだに受け入れられず、自分も死ななければいけないのではと考えたのではないか」と関係者は話す。

先月の4月25日に竜ちゃんはダチョウ倶楽部としてテレビ出演している。

トリオで出演した先月25日のイベントでは、「熱湯風呂もケンカからチューもできない。俺としては商売あがったりだよ」と語った上島さん。芸人としてのリップサービスの一面もあるが、「このコロナ禍でもリアクション芸が通用するのかと確かめるため、マスクを着けて熱湯風呂に入ってみるなど、真摯(しんし)に研究していたそうです」と演芸関係者は話す。

竜ちゃんは、リアクション芸人のプロフェッショナルだったんだろう。いつまでも研究を怠らない。

繊細なリアクション芸人としての上島竜兵

家族のことをネタにする芸人が多い中で、竜ちゃんはあまり家族のことを語りたがらなかったという。

ただ、奥様に関する話はあまり気乗りしないようでした。30年近い結婚生活を続けていてもずっと仲睦まじくいられる秘訣をうかがおうと思っていたのですが、『家族には迷惑かけてるなぁと思っています』と、口が重かった。いろいろ話してくださいましたが、『奥さんに怒られちゃうからここはNGね』とおっしゃることもありました。奥様や家族への深い愛情を感じました」(インタビュー担当記者)

周りに気を遣い、自分は脇役だと控えめに振る舞う。コロナでブランクがある熱湯風呂の研究も怠らない。
そういう竜ちゃんの心はどこにあったのだろう。

老いと喪失

案外知られていないが、日本で自殺は高齢者に多く、男性の方が女性より多い。
厚生労働省と警察庁が今年3月に公表した「令和3年中における自殺の状況」によると、昨年1年間に自殺した人は全国で2万1007人だった。

https://www.mhlw.go.jp/content/R3kakutei-f01.pdf

自殺者のうち、50代以上が1万1478人と、全体の半数以上を占める。男性の自殺者数が女性の2倍近い。
自殺の原因は、家族の不和、家族の死亡、病気の悩み、収入減少などの経済問題など多様なようだが。

精神科医の香山リカ氏も、「60代の初老期うつ病というのはけっこう起きやすいものです」と語っている。

「60代でも、まだまだ元気で若く、新しいチャレンジをするというのは理想の生き方としてありますが、60代なりの老いの兆候や体の不調というのは誰にでも出てくるもの。少なくない人が年齢に関係なく、若さを保っている時代だからこそ、自分のイメージと現実のギャップに、想像以上に苦しんでいる人がたくさんいると思います」(香山氏)

自分が思っている「私」のイメージが誰にもある。
そのイメージと老いて衰えて行く「実際の私」の姿にギャップが生まれる。自分のイメージが若いほど、あるいは老いのスピードが加速するほど、そのイメージギャップは埋められない。

それに「喪失感」が加わるとどうなるのだろうか?

精神科医の片田珠美氏はこう語る。

「一般的に60代になると初老期うつ病を発症しやすいと言われています。これは50代から60代半ばの初老期に発症するうつ病で、何らかの喪失体験がきっかけになることが多い」

「例えば、コロナ禍の影響で経済的損失があったのならば、それは喪失体験です。思い通りに体が動かせなくなったとか、理想とする体形ではなくなったとかいう場合も、喪失体験と受け止められやすい」
「どんな国でも、どんな文化でも、どんな時代をとっても、男性の自殺率が女性よりたいがい高いんです。これは男性の方が喪失体験に対して脆弱だからです」(片田氏)

うつ病、うつ状態から抜けられないとき

誰にも老いはやってくるし、老いれば家族が亡くなることも多い。多くの人が「喪失感」を経験する。けれど、多くは自殺なんかしない。では、死を選ぶメカニズムというのはどういうものなんだろうか?
そのひとつが、生命を維持できるほど心が健康ではなくなるということがある。

うつ病やうつ状態だと、自律神経失調症と同様に身体症状と精神症状が表れる。
うつは、頭痛、腹痛、下痢、肩凝り、不眠症、食欲・性欲の減退、めまい・立ちくらみなどで生活が正常にできなくなる。
自律神経失調症では、不安や集中力の低下、関心・意欲のダウン、考えがまとまらないなどが症状に現れる。
正常な判断ができなくなるのだ。
さらに、うつ病だと妄想が生じることがあるとストレスケア日比谷クリニック院長の酒井和夫氏は言っている。

「ひとつは貧困妄想で、その言葉通りおカネや仕事がなくなるのではないかという妄想です。もうひとつは罪業妄想で、罪を犯していると思い込む。世の中の悪いことがすべて自分のせいだとすることもあります。どちらも、現実はそんなことがなくても、仕事や生活の不安定さによって、妄想が強まりやすく、それが度重なる状態はよくありません」

先日66歳で亡くなった俳優の渡辺裕之は、医者にかかり、自律神経失調症と診断され治療していたらしい。妻の原日出子がそうコメントしている。
竜ちゃんのことはよくわからない。
妻の広川ひかるのコメントには何もそんなことは書かれていない。

これからもずっと竜ちゃんを忘れないでください。
『芸人上島竜兵』は皆様に愛され大変幸せな人生でした。
 皆様の中に思い出がありましたら、どうぞたくさん笑って たくさん思い出話をしてほしいです

そういうコメントが発表された。
残された者もつらいだろう。

竜ちゃんの夢

竜ちゃんが何に悩んでいたのか?
ホントのことは分からない。

竜ちゃんは最初に東京に出たときに個性派俳優に憧れていたらしい。

「極端に映画好きとかではなかったですけど。だってスクリーンの字幕とか、読み終える前に消えちゃうからストーリーがよくわからない。でも映画雑誌を読むのが好きで、監督・俳優名鑑は暗記するほどでした」

高校卒業後、1年間アルバイトをしてお金を貯め、上京した。
劇団青年座研究所の試験に合格した。憧れの俳優は「顔が似ているからではないけど西田敏行さん」と言っていた。だが、1年後、母親が病気になり実家に戻ることに。

「その後、再びアルバイトをして上京しました。青年座の試験を受けたけど、パントマイムのお題なのに声を出して失格。ウケはよかったんだけどなぁ。劇団文学座、劇団夢の遊眠社も落ちて、受かったのがテアトル・エコー。そこで寺門ジモンと知り合いました」

「ドラマは台詞を覚えるのが大変です。僕、覚えが悪いので(笑)。コントですか? 長台詞もありますけど、笑いのツボの言葉をおさえていれば、ほかを忘れても意外に大丈夫です。それにうちは2人がフォローしてくれますから。『真犯人フラグ』は台詞も完璧にしなくちゃいけないし、表情だけの演技もあって緊張しましたけど、いつもどおり皆さんに助けられました」

そんな竜ちゃんは、日本テレビのドラマ『真犯人フラグ』で謎の男・強羅役を演じた。
今年3月13日に最終回を迎えたにその『真犯人フラグ』では、上島竜兵のイメージにはない「怪演」が話題となった。

竜ちゃんは誰も見たことのない役のイメージが自分のなかにできたのだろう。長年の夢が叶ったのかもしれない。

イデアとしての「竜ちゃん」

ケツメイシの「友よ~ この先もずっと」のPVにダチョウ倶楽部が出演している。
3人の昔の写真や熱湯風呂やアツアツおでんを顔にくっつけるネタがケツメイシの爽やかなメロディーとともに流れる。

♫いい事ばかりじゃない、これまでの僕らの毎日に

♪今だからきっと言える、ホントありがとう 友よ

♩何十年先も君を 友だちと思っている

♬辛いときは何でも話してよ

♫いい事ばかりじゃない、この先の僕らの毎日に

♪今だからきっと言える、ホントありがとう 友よ

このビデオを見ると、笑えば笑うほど泣けてくる。
「辛いときは何でも話してよ」
肥後とジモンがそう言っているようだ。

この映像はいつまでも僕らの心に残る。
永遠の竜ちゃんのイメージとして。

高校を卒業するとき俳優になりたかった竜ちゃん。
ずいぶん遠回りしたけど、ダチョウ倶楽部でお笑い芸人として認められて、ドラマでの怪演も実現した。
諦めていた夢が叶ったのかもしれない。
人生の師匠として一番慕っていた人に先立たれた。
それは心のなかにぽっかり空いた穴みたいで、時が経っても埋まらなかったんじゃないかな。
でも、熱湯風呂も出川哲朗との仲直りのチューもまだまだやるつもりだったんだろう。

♫いい事ばかりじゃない、この先の僕らの毎日に

老いるのは悪くない。
呆けるのも、惚けるのも悪くない。

♪今だからきっと言える、ホントありがとう 友よ

上島竜兵の思い切りナンセンスで、あまりにもバカバカしいネタは忘れられそうにない。
永遠のイデアとして。

ありがとう、竜ちゃん。
安らかに。

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