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自己紹介/FIREを目指す海外駐在員

私は現在、海外(南米)で海外駐在員をしています。

今にして思えば、私が子供の頃には考えられない状況です。
30年前の私が今の私を見た時に自分が今やっていることに驚くと思います。
なぜなら、海外で働けるような人間ではなかったからです。

自己紹介

年齢:40代前半

仕事:南米で海外駐在員。職種は営業所長

家族:妻、子供二人

資産:4,000万

性格:引っ込み思案、他人と合わせるのが苦手

目標:サイドFIREして好きな仕事で生活

コミュニケーションがうまく出来なかった若い頃

若い頃は友達もそんなに多くなく、ゲームばかりやっていました。
当然、学校の成績も良くありませんでした。
いじめにもあいました。
でも、学校にだけはどんなことがあっても行っていました。
幼心に学校を休み続けたらまずいと考えていたからです。

友達も多くはありませんでしたが、話せるくらいの友達はいました。
成績も良くはありませんでしたが、何とか大学にも入ることができました。
(そんなに偏差値の良くない大学ですが・・・)

なんとなく学生時代は暗黒ではありましたが、何とか乗り越えたかなという感じでした。

社会人になって壁にぶつかる

就職活動は大変でしたが、自分で金が稼げるということが嬉しく、
頑張ることができました。

そして就職・・・
学生時代のコミュニケーション能力の低さや営業職を選んだことが災いし、
とんでもないことになりました。
毎日、先輩に怒られ、失敗ばかり。職場でも肩身の狭い思いをしていました。
というか、事務所にいるだけで頭がおかしくなりそうでした。
しかし、会社にだけはなんとか行っていました。
出社拒否はさすがにまずいと考えていたからです。

まぁ、続けて何にも考えずにお客さんに会いに行っていたのですが、
「よく来てくれる」といういいイメージを持ってくれるお客さんもいてくれて、
注文をくれるお客さんもいました。

サボらないことや少しですがお客さんに気に入られることもあった私を
見てくれた他の支店の支店長が私を欲しいと言ってくれてその支店に転勤になりました。
やはり必要としてくれることは嬉しいもので、お客さんに行くことも、
増えました。すると売上も少しずつ増えていきました。
この支店の経験は今の私にとってとても大きな財産です。

30代で転機

私は結婚は地元でしたいと考えていたので、地元の支店に転勤させて欲しいと
会社に言い続けましたが、結局は聞き入れられずに転職を決意しました。

7年間在籍していた会社を、離れて地元に戻りました。
当時はリーマンショックから間もないこともあり、転職はとても難しい状況でした。
何とか就職はできましたが、地元に居続けられるかわからない会社でした。
入社して3年後に結婚しました。
子供もできました。

そしてコロナになりました。
この頃からFIREが流行り出し、自分の人生やお金のことについて考えるようになりました。

そんな中、コロナ渦で海外駐在の話が持ち上がりました。
この状況で海外!?
しかし英語を学びたいということ、いい経験になると思い、海外駐在を受けることにしました。

ただ、これがとんでもない試練でした・・・
文化が異なる人たちとの交流、日本が全く通じない文化、慣れない食事。
言い出せばいくらでも出てきますが。

でも、今は何とか家族で疲れながらも、イライラしながらも
サイドFIREを目標にやっています。

最後まで読んで頂き、ありがとう御座いました。
こんな私ですが、今までの経験で得た価値観にも価値があるなと思いましたので、
記事を書いていこうと思います。

ぜひ、読んで頂けるとうれしいです。



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